雨引の里と彫刻 2008 に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。

和田政幸/ゴム

初めて雨引の里と彫刻に出品します。僕が選んだ場所は、林の中の木立が途切れている所です。屋内と違って、作品の大きさに制限ないので数多く作ろうと思いました。鉄と言っても車のボデェに使われている様な薄い鉄板の貼り合わせです。薄鉄の柔らかい感じが表現できれば良いのですが。

金鉉淑/DOXAへの行列 08-09
陶、その他
始まりも終わりもない行列。
人間の本質への欲望と完璧への信頼は、
時には人を惑わす

山崎隆/Lのあるかたち 2つ
黒御影石
形というものはいろいろな関係が支えあってなりたっています。前があれば後ろがあり、表面があれば内面があるというわけです。お互いの関係は複雑に絡み合っていて、眼で見えることもありますが見えないこともあります。そんな“支えあういろいろな関係”のことをこの作品で表現したいと思います。

宮沢泉/MIDORI
花崗岩
ひたすら石に鑿を当てている。
鑿を打つごとに石に表情が生じ、それに応えるように鑿をあてる。
限りなく打つ、石片がはじけ飛ぶ。
その先端には遠い昔の光景や未だ見ぬ光景が瞬いている。

いしばしめぐみ/ぼくたちのきおく
F.R.P.
そこがぼくたちのきおくでいっぱいになると、それはみずたまになってそらへとんでいくんだ、つぎのきおくをうけいれるためにね。
それでね、とんでいったみずたまはやがてはじけ、ぼくたちのみらいにいろをつけはじめるんだよ。

安田正子/植物のかたち -木の果実-

原木を前にすると、ほんの少し手を加えるだけで良いかたちが生まれそうに思うことがしばしばあります。そんな木を寄せて、ひとつの果実を作りました。角材をうめて原木を継ぎ合わせる作業に手間どり、夏を迎える頃には緻密な欅は乾燥して手強い木口彫りとなりました。思いきって、解放された空間に置いてみました。

井上雅之/A-0810
陶、鉄
自然物より「人」が作り上げたモノに強く惹かれる事がよくあります。ここ桜川の風景も「人」の営みに大きく影響されています。土をロクロの上に乗せグルグルと廻す事も「人」の為せる業です。当たり前の高さですと湯呑や花入れになります。しかし、少しばかり度を超えると何やら「おもしろげ」な姿になります。

岡本敦生/遠い地平
白御影石、フィルム、土
広い大地の中にいて半身土に塗れながら、それでもなお行く先の見えない不安が付きまとう。
でも、内に秘めた希望だけは失いたくないのだ。

大槻孝之/Circle

この作品は、実際に作品を設置する場所から発想を得て制作しました。河川敷に立ってまず感じられるのは、空の大きさと、筑波山や加波山に囲まれた、広々とした田園風景でした。これらの風景を作品の中に取り込むことで、その向こう側にあるものを顕現することができるのではないかと考えました。

大島由起子/雲にのって帰る
小松石
長い月日が作品をつくります。
石は長い月日を受け入れてくれます。
いかなる時も石は私を冷静に見つめています。
私はそんな存在に支えられています。

高梨裕理/水

畑の向こうに1本の大きな木。
この辺りには大きな木が多くあります。
ここに一瞬の動とその後の静を感じて
みたいと思いました。

戸田裕介/緑を見上げ落葉を迎えるための柱/樹下の神託
鉄、石、その他
ゲートボール場のある西方公園。片隅に、木陰がガランとしていました。何か特別な役割も無さそうに見えた場所では、春には心地よい風が新緑の枝を揺らし、夏には穏やかな木漏れ陽が、秋には落葉がゆっくりと舞っていました。私は、この場所で、密やかに繰り返される無為に、少し大きな声で讃歌を捧げます。

平井一嘉/場
赤御影石、白大理石
今回展示させて頂くお屋敷の入り口の大きな欅と立派な樫の生垣の前のステージに小さな石を置いて見たらどんな風に変わるか、変わらないか見てみたいと思っています。快く承諾して頂いた地主様に感謝しつつ作りました。全体をご鑑賞下さい。

中井川由季/陽だまりに向かう 丸まりながら休む 重なって暖まる

何機かの遊具と桜の木、ゲートボール場、その小さな公園は、集落の真ん中にある。そこは近所の子供たちの遊び場なのか、それともお年寄りたちの楽しみの場だろうか。「公園」には、陽だまりが似合う。幸せのにおいがする。そんな私の個人的な思いと希望を、かたちに映して作ってみる、その公園に置いてみよう。場に似合うかな。

松田文平/充実した空(ku-) (The full emptiness)
花崗岩
表現しようとする意図は、この題名に集約されています。fullとemptinessとは、対極する事柄でありながら、自分の意識の置き場所によっては、同一であると言えます。外から見た立場と、中から見た立場は、中も外も感じなくなってしまった心には、同一の立場として映るのでしょう。

佐藤晃/外延と内包量・VII
白花崗岩
ひときわ背の高い欅の木が並ぶ緑に囲まれた屋敷の裏庭がある。大木は巨体を誇示する訳でもなく優しく境界を守っている様であった。内側から見上げると、枝は外へ向かって開かれ、葉の輪郭は空へと消えてゆく。整然とした心ひかれるこの庭の中に、樹木や空と戯れる様な形を造りたいと思った。

志賀政夫/「風の色」のパズル
陶、鉄、ステンレス・スチール
いつの日か人影が途絶え、静かに時の過ぎる日々。
旧東飯田駅プラットホームには、刻まれた時間が過ぎて行く。
わずかな色が、風に乗せて、振り向きもせずそっと置いて行く。
風の色がパズルの様にさまよい、遠くを見据えているのだろうか。
私は、プラットホームに足をとどめている。

村井進吾/黒体
黒御影石
この黒い石の表面は外部であり内部である。

小日向千秋/Figuration
漆、鉄、麻布、砥の粉、ステンレスワイヤー
かたちがあるようでかたちのないもの。かたちがないようでかたちがあるもの。たとえば燃える炎。たとえば立ち上る煙。
かたちがあるようでかたちのないものをかたちとしてこころの目に映しとりその瞬間を両の手で再現してみる。
黒い影のように存在するそのかたちは風の中で止まった時をかたちづくる。

山添潤/塊のかたち
大理石
石を見つめ、石を彫る。砕け散る一片、残される跡。
手から伝わる反発を感じながら思う。
この一打はどこまでとどいているのか?どこまで響いているのか?
沈黙する石。
石が守り続ける沈黙を破ることができたらと思う。

廣瀬光/水平孔・鉛直孔
御影石、ヒューム管
土管、正式にはヒューム管は地中に埋没され汚水廃液などを流す道となる。スーパーマリオには「土管の世界」というのがあるそうだが、漫画「ドラえもん」のほうがなじみが深い、よく空地に3本積まれている場面が描かれ主人公のび太が昼寝をしたり隠れたりする、この空洞は現実から離れた別空間になる。

海崎三郎/能力 I

熱が作り出したわずかな深さと空間。
かき消すことで現れる一瞬という際。
目覚めようとする負の無垢性に、鉄も私も試されている。

國安孝昌/雨引く里の花環(かかん)
丸太、陶ブロック、鉄管
何度も雨引を訪れていると、変わるものと変わらないものが理解できる。移りゆくものの中に変わらないものがあり、移りゆかないものはやがて消滅する。静かに変わらないものを見つめ、刹那に捉えてみたい。残ることはなく残せるものもない。充分に長い時間、循環と繰り返し、私はひとつのことすら満足にできていない。

西成田洋子/記憶の領域2008
廃材、布、新聞紙、鉄等
約50年前、ギリシャ神話とリオのカーニバルを題材にしてつくられた映画「黒いオルフェ」。その冒頭で、子供が紙で作ったと思われる太陽を空高く飛ばすシーンがある。丸く黄色いそれはリオの街の上をひらひらと所在無げに漂っている。私の大好きな場面である。なんとも稚拙なのだが楽しい。そんなものができたらと思う。

齋藤さだむ/ひかりのなかで
写真
雨引の展覧は、毎回展示空間エリアが変わり、参加者はまず適切な場所選びから始まる。その意味ではすべてがインスタレーションであるといえる。はじめて参加する私が選んだ場所は、漆黒の闇を感じさせる空間である。人類は闇を侵略し明るい場所を文化の証としてきた。さて、私はこの空間とどのように結ばれるのだろうか。

山本糾/クイックシルバー 11・12・13
ゼラチンシルバープリント
写真の場所は何処にあるのだろうか。われわれがものを見る視線とものがわれわれを見つめ返す視線が交わるところに写真の場所はある。われわれは自分の意志で対象を選んで写真を撮っていると思っているのだが、本当はものの方がわれわれを選んで写真を撮らせているのである。

中村洋子/パビリオンでTHAI-LANDの話をしよう
木、ステンレスメッシュ
今春、タイ王国を初めて訪れた。それが動機となっているのだろう。この旧パビリオンがもつ、内のような外のような場を生みだす構造と、周囲の景色を浮きあがらせたり、隠したりする様相に興味をもった。このような空間に[浮遊]と[入れ子]の関係を仕組んで、保存されてきたこの建物を再構築しようと思った。

山本憲一/剪定季
白御影石
石を剪定するをテーマに近年制作しております。今回は剪定された樹木の断面に着目しました。石に切り込んだ断面と景観を一緒に覗き込む事でそこから発見できる芽吹くまでのかすかな生命力を見るきっかけになればと考えます。合理的で理不尽な合い反する仕組みによって生まれる偶然の調和をこの景観から感じて頂きたいです。

齋藤徹/天壌「瓶型」
大理石
記録的な集中豪雨が続き、日本の各地で住宅が浸水水没という被害に見舞われている。私のアトリエの隣家も被害に遭われ、他人事とは思えない緊迫感を覚え、改めて自然の力に驚かされました。そして今回私が制作していたのは、瓶のようなものなのです。隣家の被害を目にして少しばかり考えてしまいました。
程よいバランスで、恵みはいただけないものなのでしょうか?

中村ミナト/風と箱
アルミニウム
これは風の箱である。遥から吹く風を捕まえようと思った。いくど掴んでも跳ね返り逃げていく風。もうこの黄色い箱に収めようとするのは止めよう。山にでも平原にでも、好きなところに行くがいい。

島田忠幸/隠し砦の・・・
アルミニウム、布、鉄、木
むきだしの岩盤の壁、散乱する大きな石、この荒々しい風景に作品を置いてみたかった。
環境条件によって作品の見え方は大きく変化する。この場所だから出来る事がありそうな気がした。

菅原二郎/内側のかたち 08-3 ORGANO
黒花崗岩
外側を幾何学的な単純なかたちとして認識し、内側を幾分複雑で有機的な形で形態を追っていく、という考え方で作品を作っています。また色についてはオレンジと白という日本の神社などで古来より使われている、言って見れば私にとって日本の色、そして今回のテーマカラーという認識のもとにこの色を使いました。

横山飛鳥/ここから
木、その他
草原をゆらす風、見上げれば遠く広がる空。
時に立ち止まり、またある時には振り返りながら
ここから、この道を、また歩いていきたいと思います。

古川潤/道の記憶
黒御影石、鉛
その黒く傾いた建家は今は使われること無く、ひっそりと佇んでいました。その脇にあった小さなスペースには、草むらに埋もれて錆び付いたリヤカーが一台。聞くと、そこはかつて屋敷へ通じる馬の道だったそうです。そして私が作品を置くことでその道に新しい記憶が書き加えられる事を想像して、少し嬉しくなりました。

槇 渉/想像の泉
黒御影石
この作品は、刻一刻思い巡らす時の経過を大きな要素と考えます。背を向け帰途、心静かな充実感は望めそうにないが、ふと振り返る、そういう場を想定します。

大栗克博/鳥 925
黒花崗岩
自然が生命を閉じる晩秋に会場を見て回った。山里は、静寂を迎えている。遠く雨引観音からは昼を告げる鐘の音がのんびりと聞こえた。とその時、その場からたくさんの鳥達が、羽音をたてて空に飛びたった。いろんな命を育んでいるんだね山のふもとの休耕田。それでは、私の作品もどうかひとつ。

山上れい/Ring・Ring・Ring
ステンレス
5回展から、リングを基本にした作品を出品しています。これまでと違う環境に作品を置いてみたいと考えて、今回は千勝神社脇の林を選びました。
仄暗い林の中、高い木々の間から光が差し込む小道。木漏れ陽を集めて、リングの奥から光が放たれることを願っています。

藤島明範/月臨環(がちりんかん)0809 - 瞑想のトンネル
稲田石
四角い環状の石は、この扇状地の地霊と何を語り合うことできるか。あるいは瞑想の装置としてあることができるか。ひとつの四角い石を分割して考えたことです。

田中毅/周遊犬
黒御影石
祭りが近付いた。
大きなけやきの下では、自分たちも参加しようと、
神社や山を守る犬たちが、林の中から現れた。
いろんな犬たちが、木の回りを回って遊んでいる。
今度は、山車を引っぱるのを手伝ってもらおうかな。

鈴木典生/Stone Capsules -境界- '08
白御影石、土
石の内側をくり抜き、土を詰め込みわずかな穴をあけました。外気と接触している穴からそこに存在している生命体が入り込み宿ることにより、不動で見えない力を内包している石が日々変化する存在となります。日常の中にとけ込みながら以前にはなかった『場』を獲得し、ひとつの風景となるでしょう。

望月久也/呼吸・雨引
ステンレススチール
呼吸は生命活動の基であるとともに、人生の始終ともいえます。作品のある場所は、かつて鉄道のホームでした。そこに残る桜は、往時も今も呼吸し続けています。
この作品は、存在が移ろう印のようなものです。