あいさつ


photograph SAITO Sadamu



東に筑波山を望む茨城県中西部の桜川市一帯は、筑波山に連なる山々から良質の白御影石が採れ、石材業の盛んな地域です。1996年に地元で制作を続けていた数人の作家たちにより「第1回雨引の里と彫刻」は始まりました。展覧会は、季節と地区を変えながら6回目の「雨引の里と彫刻2006」が先月、無事終了しました。振りかえってみると今年で11年になります。出品者も今年は44人と、大きな会になりました。交通の不便さにもかかわらず観覧者の数も増え、はるばる遠方からこの展覧会を聞きつけて来てくださる人もいます。昨年の10月には、町村の合併により開催地である大和村は桜川市となり、引き続き市の協力や地域のボランティアの協力を得て、少しずつ「雨引の里と彫刻」も社会に認知されるようになってきました。
「雨引の里と彫刻」が今日まで続けてこられた要因は、周辺地域の方々の協力はさることながら、この会の出品者の一人一人が実行委員であり、作家の自主運営によって行われているからでしょう。月1回のペースで行われる実行委員会の会議で熱い討議を重ね、その上にこの展覧会は成り立っています。展覧会の1年以上前から、地区の設定や作品の設置場所選び、会期、会場ルートなど、もろもろのことが1から決められていきます。「第5回雨引の里と彫刻」のあと、今回の展覧会の名称は「雨引の里と彫刻2006」となりましたが、このことも、会の在り方について根本に立ち返って討議した結果です。このような討議を持つことで自分の展覧会であるという責任と意思を一人一人が持つからでしょう。もう1つの要因として、この展覧会は、会場地区の地権者の方に協力して頂いて行っていますが、それは単に作品を展示するためのスペースや借景として畑や林を貸していただいているのではなく、農業と石材業を営みとした生活の場の中に、彫刻、美術を関わらせて行きたいという欲求をみなが持っているからです。里山の自然豊かな大和地区ですが、曲がりくねった畦道ひとつとっても、農業を中心とした長い歴史の中で人の手によってつくられたものです。私たちの作品は、ゆっくりと生きづいているこの町のさまざまな物事や事象から触発されて生まれたものです。
日本の風土、生活環境の中に、彫刻が根ざしていけるかどうか、地域社会の中でどんな役割を担うことができるか、これからの課題もあります。前を見据えて一歩ずつ歩んでいくことの大切さを以前にも増して感じています。そして、「雨引の里と彫刻2006」の会期が終わった今、それぞれの作家の思いを詰め込んだ、この風景の中での作品は、カタログの中にしかありませんが、彫刻の形をなぞった風は多くの人々の心に届いていくと信じています。

2006年7月1日
雨引の里と彫刻 実行委員会
大槻孝之