雨引の里と彫刻 2006 に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。

山添潤/刻0602 stage-1
力は石へと向かう 力は石に残され刻まれる 刻まれると同時にそれに反発しそこに留まれなかった結果として砕け飛び散る外へと向かう力が生じる
その外へと向かった力を再び石の中へ向かわせる作業を試みる その一打一打にこの身をゆだねてみる その一打一打に石は包まれる

望月久也/月下点-06
「月下点」とは月を天頂に戴く地点のことで、回帰線より北に位置する日本では本来存在しません。ましてやこの会期中、月の上がる角度は夏至に向けて徐々に低くなって行きます。とはいえ、設置された「場」の印象では月は真上に昇ります。作品は月と人を結ぶ一つの「目印」であり、月を継ぐ「宿り」でもあります。

村井進吾/DARK / D 0604, D 0605
集落を廻るゆるやかな坂道の途中にがらんどうの闇がある。

中村義孝/雷神
山懐にいだかれた場所で雷にうたれた木を見つけました。その痕跡を見て、自然界のエネルギーの凄さに驚くと同時に、その瞬間を想像してしまいました。

中井川由季/風が抜ける場所、雨粒を集める、転がり落ちる
続く山並みの縁(ふち)、池と田畑がそのくぼみに集まっている。手に取ることの出来ないもの、刻々と変わり行くものに魅力を感じ、その一部や動きを「あるかたち」に止めたいと制作を試みました。作品を置く場所もまた、刻々と変わっていく自然の只中にあります。作品に開けた穴からも、その変わり行く様が覗けるでしょうか。

井上雅之/A-061
土を数メートルに積むことは、さほどの時間を必要としません。しかし土を積むといった些細な行為の中において立ち現れてくる、意図する意識と、意識の底に広がる意識化できない世界とのせめぎ合いが、人の営為の本質的で重要な骨格を成していると考えます。せめぎ合った総量が「つくりもの」の存在理由を保障します。

高梨裕理/雪消(ゆきげ)
春が来る。
寒いと思っていたら春になっていた。
2006年3月

山上れい/Ring・Ring・Ring
新緑のさざ波が打ち寄せる入江のような場所。その奥に小さなステージを見つけた。青く澄んだ空の下、田畑を渡る風とともに歌を歌いたい。

古川潤/Weighing The Earth(1気圧の偶然)
数カ月前、東京タワーに上る機会がありました。幼少の記憶とは違った景色が展開していたことは言うまでもありませんが、むしろそれより赤い鉄骨に支えられた仮の地面の上で繰り広げられる人間のドラマに昔と変わらない匂いを感じ、妙な安心感を覚えました。

渡辺尋志/虚と実
道の終わりがあった。たぶん数年後には、形も人の記憶からもなくなってしまうだろう。実在していたはずの道。
実在することとは形なのか記憶なのか。
形あるものと形を創るものの真実は?

國安孝昌/雨引く里の竜神の塔
羽田山の南に向く斜面からは、遠く富士まで広がる関東平野の田や畑の景観の西に、赤く美しい夕日が沈む姿が 印象的です。山々の縁(へり)、平野の始まるこの稲作の地に、雨を護る馮代(よりしろ)としての龍神の塔を作りたいと思います。私の彫刻にはいつも、目に見えない、大いなる何かが気配される願いを内包しています。

サトル・タカダ/沈黙への移行
沈黙は荒野を必要とする。世界の始まりは沈黙から生まれ、過去、現在、未来が一つの統一体をなして併存している。エレベータが瞬間に静止している時、そこに沈黙が存在する。

村上九十九/神狼
人はその昔、まほろばの地にも真神の疾走を見たであろう。
「遠い彼方で狼がとびまわっている。眼だけが闇の中で燃えている。両眼星の如く輝く青きガラスの眼で。」
たぶん今でもこの先には姿の見えない送り狼がいるかも知れない。

藤島明範/瞑想の部屋-0604
作品を設置した羽田山一帯の地下は6千万年前に形成された稲田花崗岩の岩盤。この岩盤のひとかけらを中腹の草地に置かせてもらった。四角い石からすぽんと石を取り出して作ったのは大小2つの部屋。瞑想のための部屋である。地球の地殻運動で生まれた花崗岩の胎内で、静かに瞑想してみよう。

松田文平/狭間(はざま)
越えようとしている領域は、すぐ目前かもしれないのに深遠なるディスタンスを感じている。突き貫けてしまえばまた同じように領域を求めるだろうに。

平戸貢児/CULTIVATION
行き止まりの道を見つけた。正面は森…後ろを振り返ると、今歩いてきた真新しいアスファルトの道が続いている。森は、先に進もうとする道を忽然と、当たり前のように塞いでいる。奇妙な空間だった。自然と人のエネルギーが凝縮したこの場所は、なにか次のエネルギーを培養するのに充分なモノの気配を感じた。

小日向千秋/光のあつまる場所
薄暗く湿った森の中の小径を抜けると、ぽっかりと陽光のあたる場所に辿り着く。光の雫が空から降り注ぎ拡散していく様は、あたかも森に活力を与える養分が渾々と湧き出る光の井戸のようである。森の中の秘密の場所に、光があつまっている。

グループ・RA(佐治正大及びメンバーズ)/明日に向かって
いち早く 行動を開始した たくさんの動物たち ゆっくりとでも確実に 前へ前へと理想の地を想って森の奥深く 私たちの知らない 新世界へ旅立つ そこには 平等ないのちがある
そして 共に生きると言う 意味の大切さがある
動物たちは私たちに それを伝えようとしているのです。

志賀政夫/Black boxは風の色
大和の里まほろばに、6個のBlack boxはそっと置かれます。
そこは、記憶の途中であるかのように、風が流れます。
そして、森はささやきます。太古の響きが始まります。
そっと、色を置いて行きます。Black boxは風の色。

大栗克博/息吹・芽吹き・響き
四月の声を聞くと里山は、活気に満ちあふれる。草木は、芽をふくらませ 鳥は、巣づくりに励み 虫は、殻から這い出し羽を広げる。
芽吹きの季節に息吹きあるものが、天空に向け今はじけようとするさまは、おおいに私の小さな心に響くものです。

島田忠幸/romantic love
風景の中で消えて見えなくなる作品を作りたかった。
彫刻の存在を否定するわけではないが、ひそやかに秘めた片思いの恋とか、隠れた危険な関係など日常を超えるものを夢みた。
暮れない日がないように、明けない夜もないだろう。
情熱をやしなう糧(かて)をくるしい沈潜の秘密の中に感じた。

山崎隆/春
ずっと前から此処に自分の彫刻を置きたいと思っていた。
そうしてこの場所に惹きつけられるうちに、素材や形態、題名も何時の間にか決まっていたような気がする。
春の季節に敢えて「春」という題名の作品をこの場所に置いてみる。

海崎三郎/花
鋪装された道と土の道、両方とも緩い上り坂で姉妹のようによく似ている。
切り通しの空間をなるべくそのまま見せたいと思い地面すれすれに2点の作品を置くことにした。
この厚みのない2つの鉄は熱によって咲いた花である。
自分の意志と鉄の意志の半々のところで咲いた花である。

佐藤晃/枠状の石-外延と内包量XI、柱状の石-外延と内包量XII
奥に続く小高い山は枯れた木々で被われてその山肌を顕わにしている。おびただしい数の裸の幹は揃って垂直に伸び上がり、まるで山の気が立ち登っているかの様であった。表層の果てしない拡がりと粗密の度合。一つひとつの連なりによって成り立つ外延とそれに属する内包量を、山の一部に含まれる形で表現したいと考えた。

大島由起子/Maison de campagne
それぞれに生活があり、それぞれに家がある。
そんな家には様々なお話しがあることでしょう。
私は、この美しい土地に私の家を建て、私の話を始めたいと思いました。

鈴木典生/Stone Capsules
アヤメやカキツバタを観賞するために作られた湿地(池)を見つけました。毎年この季節を楽しみにしている人も多いでしょう。一年に一回咲き誇る花たちの中に自分の作品を置きたいと思いました。いつもとは違う、今年だけの空間を作ります。観賞の場から互いが重なり合って鑑賞する空間になるような気がします。

横山飛鳥/回帰-再生
一年前、春を待つ冬枯れの木とは明らかに様相を異にする立ち枯れた赤松の森を見て、私の中に「死」というものが取り憑いた。文明の代償ともいえる自然破壊の生々しい現実の前に、為す術はない。
遠く忘れてしまった原点に立ち戻り、その場所から新たな一歩を踏み出すために、この春に芽生えた小さな希望を、私は信じたい。

中村洋子/蓮とともに咲いてほしい -二人の母へのオマージュ-
ここ雨引の里山。移り変わる美しい風景がとても好きだ。1400m2の沼と接するなだらかな森。この沼との出会いは忘れられない。その出会いをメッシュによる浮遊体と筏、そしてターポリンで作った大きな葉っぱ -蓮を見立てたものだが- それらで沼の水の力、風の動き、浮かす力を造形にさそいこんでみたいと思っている。

金鉉淑/between-064
漂う場の気配が私を誘う。
ココでゆっくりと、
みつめる時間がホシイと。

齋藤徹/天壌 2006-in the other side of a door
昨年6月に、トリノでの木彫シンポジウムに参加したことがきっかけになってしまったのか、今回木と石の複合で作っています。
およそ17年ぶりのことです。アトリエに楠のニオイが広がり、大好きなエンジンチェンソーの音が響き至福の時間が暫し続きました。
そして今、迫る搬入日に怯え、己の影法師を捕まえようとするの子供の如く、完成に向かって必死の日々です。さていかになる事やら。

中村ミナト/green of green
鳥居をとおると鎮守の杜があり、細い参道脇の開けたところに、鎮守の彫刻があります。

安田正子/植物のかたち-O MA ME-
ずっとアトリエの奥で横たわっていた欅です。根元に抱きこまれた岩石は、成長のエネルギーでバリバリと砕けていました。かたちを探りおこす日々、いつしか豆が弾けて根をおろすというイメージに展開しました。

平野米三/小悪魔の棲む杜
日頃、鉄の丸棒で幾何学形態の多面体を作り、それらを切ったり付けたり、と子供が積み木で遊ぶように彫刻を造っています。今回はいたずらっぽくも罪のないユーモラスな形を選んでみました。これらを青木神社の参道に置くことで、題名の「小悪魔の棲む杜」を感じ取っていただけたら幸いです。

槇 渉/気の杜
青木神社の清閑な場に立った時、この杜と社の調和と交響の中で私(石)も係わりたいという思いを強くした。そして立木の一本を石で囲むことが自然に思えた。それは生命を構成するものは何かを啓示してくれそうな気がする、でもそのものをまたもので説明する事ができない根元的な単元が存在するのではと思いながら。

山本糾/JARDIN
カメラに捕らえられた光景はシャッターによって切断され現実界から瞬時に死の領域に移行する。我々の世界と平行に、写真が発明されてから現在までに撮られた総ての写真によって作られた世界があり写真を見る人は崩壊の予感とともに死の領域であるその平行世界を覗き見ることになる。それはゆるやかな死のレッスンだ。

岡本敦生/遠い水
塀で囲まれた宅地空間に、梅の木と柿の木が生きている。今は水の出ない水道管一本が、汲上げポンプの側で枯れ枝の様に寂しく立っていた。そこを地下に向って掘れば、水脈に辿り着くはずなのだが私は上に向って彫ってみる事にした。失われた遠い水脈を求めて。

金沢健一/音のかけら-無人駅にて
殺風景な無人駅の待ち合いであった。この彫刻展の会議の為に毎月、自宅から折りたたみ自転車を担ぎこの駅で乗り降りしているが、がらんとした空間はいつも空しく声だけがよく響いた。列車を待つ数分間、この空間に必要だと感じたのは音と人の気配のようなものであった。

菅原二郎/内側のかたち 06-1
この作品は私が今まで追及してきた石の塊の中から形態を探していくのではなく、原材料の塊の持つ大きさを最大限に生かしつつ、その塊の中に空間を作り出していくという考えで制作しました。
 結果的には石で出来た籠状のかたちとなりました。そしてそのかたちはあるアングルからは二つの三角錐の組み合わせと感じられるような形態を目指しました。

宮沢泉/春の石
3月、常磐道を東へ江戸川を渡り次に利根川を渡ると突然関東平野の空も高く広々とした風景が広がった。風はまだ冷たいが日ごとに強さを増す太陽の下、地表はかすかにぬくもり地中には大きなエネルギーが充満しているようだった。

戸田裕介/風の栞・土の眷属
鹿島神社の裏手。草いきれの漂う崖地。足もとの柔らかな土の匂。耕作地に働く人。流れる雲。桜川の向こうに見える羽田山。様々な音が、遠くから近くから聞こえてくる。私は、折々に読み返してきたこの風景の1ページに、少しの間、彫刻を挿んでおく。

いしばしめぐみ/七色飛行人~始まりの地~
虹の橋を架けよう。抜けるように高く、青く澄みきった広大なこの空に。
七色飛行人が飛び立つ軌跡はどこ迄も続く天弓となり、この地から始まる架け橋となるように。

大槻孝之/春のヴェール
草や木がそうであるように、人もまた春の訪れを待ち望むのだろう。昨年の春の日に感じた春の気配を形にしようと、厳しい寒さの冬を過ごしてきた。ヨシの原のここから、さらさらと春の風が吹き始めることを願って。

山本憲一/剪定期
春の剪定の時期から芽吹きを迎える頃の桜川市の景観には感動致します。その一方で刈り落された木や草は土に返り輪廻していくはずであるがその様子を目に見る事はできない。その後者の流れを踏まえて石の塊を剪定することでこの場所に生育する木や草の変化と流れに関わりたいと考えます。

廣瀬光/標
古墳の跡だという小高い林のすそに沿うように行き止まりの細い農道がある、その道の途中に空間や位置を限定するための「しるし」として作品を置いた。