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略歴 | 1962 広島市に生まれる 1990 武蔵野美術大学大学院 造形研究科美術専攻彫刻コース修了 1994 日航財団「空の日芸術賞」受賞 1995-'96 同財団海外派遣芸術家としてフィレンツェ及びロンドンに滞在 1996 Royal College of Art(イギリス王立芸術大学院大学), Sculpture School P.E.P.修了 2000 国際交流基金より芸術家海外派遣フェローシップを受ける(派遣先:ドイツ) 2005 The 2004 Leah Middlebrook and Norio Sugano Fellowshipを受ける(アメリカ) |
個展 | 1997 プラザギャラリー(東京都調布市仙川/'99、'01、'06、'09年にも開催) 2004 ギャラリーGAN (東京都渋谷区神宮前/'05年にも開催) |
グループ展など |
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シンポジウム・アーチストインレジデンス | 1998 アーチスツキャンプ・イン・アソ 招待参加(熊本県阿蘇郡小国町北里本村) 2000 Lapidea2000国際石彫シンポジウム 招待参加(ドイツ/国際交流基金派遣) 2004 Djerassi Resident Artists Program 招待参加(アメリカ) 2006 Gwalior国際彫刻家シンポジウム 招待参加(インド) 2009 Penza国際彫刻シンポジウム 鉄鋼部門 招待参加(ロシア) 2010 Friuli - Venezia Giulia国際石彫シンポジウム 招待参加(イタリア) |
雨引の里と彫刻 2022
水土の門/華甲の舞い
伊達冠石(だてかんむりいし)、ステンレススティール
展示エリア(可変):880✕660cm
写真左から① 90 × 80 x 242(h)cm, ② 90 X 64 X 220(h) cm, ③ 81 X 80 x 225(h)cm, ④ 118 X 100 X 240(h) cm, ⑤ 88 x 85 X 248(h)cm, ⑥ 88 X 80 x 259(h)cm, ⑦108 X 66 X 219(h)cm
豪壮な長屋門の前に鎮座する老ケヤキ。おおきな空洞を抱きかかえながら 今年も力強く新緑を芽吹いた。この土地で何百年も人々を見守ってきた 霊木の御前で、私にとって最初で最後の華甲(かこう)を舞う。
雨引の里と彫刻 2019
天地を巡るもの/再生考
ステンレススティール、廃ボート(木製)、F.R.P、塗料
108×80×196 (h)cm
この木製ボートは1960年に霞ヶ浦で作られました。高度経済成長期からバブル期まで狛江の貸しボート「たまりや」で市民の行楽に大活躍しました。老朽化が進み、次第にFRP製ボートに仕事を奪われ廃棄寸前だった'97年に私が譲り受けました。当時、大和村の水路が霞ヶ浦に通じていることを知った私は、'01年の田植えの季節に開催された展覧会のために、ボートを改造して用水路の堰に浮かべましたが、会期中盗難に遭い、新聞記事になったあげく、真壁町の溜池に投げ捨てられているのが発見されました。その後、私のアトリエの屋根裏で18年間保管してきました。今、再び、春の甦りを謳いたいと思います。
雨引の里と彫刻 2015
湧出/天地を巡るもの
ステンレススティール、白花崗岩
108×80×196 (h)cm
雨縄文時代遠浅の海だった桜川沿いに広がる平野。寄せては引く波。28年前までディーゼル機関車が走った軌道を今はサイクリングロードを行き交う人々が描く。時代を超え幾重にも重なる水平方向の線。その動勢を横切って小さな水泡が立ち昇る。
雨引の里と彫刻 2013
水土(すいど)の門/ 天地を巡るもの
鉄、真鍮、ウレタン塗料、エポキシ塗料、真鍮箔、金箔
220×235×540 (h)cm
「水土(すいど)」とは、近世まで「自然環境」や「風土」と同意義で使われた言葉ですが、ここでは水と土を意味しています。
私たちを取り巻く世界では、様々な物質がゆったりと、あるいは猛スピードで巡っていて、全ては循環の中の一時的な姿です。
そんな刹那が身のまわりで輝いています。
雨引の里と彫刻 2011 冬のさなかに
雲烟過眼(うんえん · かがん)/枝宮のための篝(かがり)
鉄、サイザル麻ロープ
L:180×160×500 (h)cm
R:150×140×510 (h)cm
二基一対・展示サイズ可
高久神社の境内をよく見ると大小様々な摂末社がある。いずれかに地主神も祀られているはずだが、今では一つとして建立の時期も由来も判らないと聞いた。まして、私がここに彫刻を作った事など人の記憶からすぐに消え去るだろう。儚くも尊い今を共有したい。
雨引の里と彫刻 2008
緑を見上げ落葉を迎えるための柱 / 樹下の神託
鉄、石(江持石 安山岩)、土
200×240×640 (h)cm
西方(にしかた)の公園に、周囲と不釣り合いな、荒れた印象の木陰を見つけました。地面には錆びた鉄片やコンクリートの欠片が顔を出していました。一方、見上げた樹木では、春には心地よい風が新緑を揺らし、夏には木漏れ陽が、秋には落葉がゆっくりと舞っていました。
私は、上に留まっている崇高さを、地上に繋げたいと思いました。
雨引の里と彫刻 2006
風の栞・土の眷属
本小松石・合成ゴム・鉄・木・植物の種子・古書紙片
180×300×360 (h)cm
鹿島神社の東の畑、縄文・弥生の土器片が出土する段丘の崖縁に立つと、人と自然が織りあげた里山の風景が広がる。目前の桜川両岸から広がる葭原と、遠く山々に霞む耕作地を見渡すこの場所に、遙か昔の人達は何を見たのだろうか。
私は、楕円形のリング構造の内部を植物の種子と「常陸国風土記」写本の紙片を詰め込み、麦畑の突端に、石の重さだけで捧げ揚げた。簡素な造形と場を結び、土地に隠れているアニマティズム的生命力や不可知の力を呼び覚ましたい。
第5回 雨引の里と彫刻
木霊(こだま)/三ツ辻近くの結界
木、ステンレススティール、マニラ麻ロープ、炭素鋼
120×120×400 cm 2500 kg
120×490×145 cm 2200 kg
二基一対、展示サイズ可変
この場所を初めて訪れた日、明るく開けた地勢なのに他から遊離した空間の様に感じた。休耕田と竹林の間の道に佇んで、遠景に見えるのが遙か彼方の山と青空だけだと気づいた。瞬間、昔からこの里山に包み込まれていた様な強烈な錯覚。僕はここに彫刻を作りたいと思った。
第4回 雨引の里と彫刻
「五月の風と・せせらぎの間で」
廃ボート、FRP、塗料、布、鉄、ステンレススティール
350×160×320 cm
250 kg
これまでずっと、主に大きな重い作品を作り続けて来た。ある面それは僕の嗜好でもあるし、僕の仕事の作法でもある。けれども、僕の作品のテーマの一部でもある「写真に写せない、絵に描けないもの」「コンセプトだけでは成り立ちようのないもの」「置かれた場所の空気を一変させてしまうもの」をクリヤーするためには大きさや物量感は必ずしも必要ない。そこで、ここ5年くらい極ごく小さなものや画廊の空間を積極的に取り込む作品を同時に作ってきた。今回、雨引の里でやろうとしたことは、後者の流れだった。サイトスペシフィックな、「今此処でしか出来ない作品」を感じ考える心地よさをあらためて実感している。