廣瀬光

略歴 1959
茨城県生まれ

1983
武蔵野美術大学造形学部彫刻科卒業

個展 1996
ギャラリーアンアダン(茨城県・笠間市)

1995
GALERI CHARLES and MARTIN GAUTHIER(カナダ・ケベック州)

1989
ギャラリー山口(東京都)
グループ展他


2013
雨引の里と彫刻 2013(茨城県・桜川市/'11. '08. '06. '03. '01. '99. '97~'98. '96)

2012
ムンバイ国際彫刻シンポジウム2012(インド・招聘:カヌ ナヤック芸術財団)

1997
EFFET D'UTILITAIRE(カナダ・ケベック州・ベイサンポールエクスポジションセンター)

1995
とうや湖ぐるっと彫刻公園(北海道・洞爺村)
エスト・ノー・エスト彫刻センター(カナダ・ケベック州)

1994
石心彫刻展(東京都・兜屋画廊/'87. '86は東京及び名古屋)

1993
TAMAらいふ21「アーチスト イン レジデンス」招聘(東京都・日の出町)

1992
第4回東京野外現代彫刻展(東京都・砧公園)
マルタ-大島彫刻シンポジウム(愛媛県・大島)

1989
第13回現代日本彫刻展(山口県・宇部市常盤公園)
1988 -'89
インド・日本彫刻キャンプ(インド・グジャラ-ト州・バローダ)

1985
筑波国際環境造形シンポジウム'85(茨城県・つくば市)


雨引の里と彫刻 2013




凸と凹の形
白御影石
117×105×94 (h)cm


無限に繋がる形の部分を取り出し、不要なところをできる限り削り落とす、
ひとつの大きな結晶のような塊をつくりたい。



雨引の里と彫刻 2011  冬のさなかに




crossroad
御影石、鉄
242×242×145 (h)cm


石を分割する鉄の板はそのまま作品が置かれた空間をも分割する、場所に直接かかわることで今まで見ていた風景にほんの少し緊張感が生まれる、存在する位置や時間によってイメージはさらに変化し、記憶の中の風景がまた交叉する。


雨引の里と彫刻 2008




水平孔・鉛直孔
御影石、ヒューム管
183×203×134 (h)cm



雨引の里と彫刻 2006





白御影石・黒御影石
147.5×162.5×85.5 (h)cm
3500kg



第5回 雨引の里と彫刻




量塊とすきま
黒御影石、コンクリート、鉄
120×90×111 cm
2700 kg



第4回 雨引の里と彫刻




Coexistence 連結
黒御影石、コンクリート、鉄
140×30×36 cm(×2P)
400 kg・360 kg


Coexistence 環状
黒御影石、コンクリート、鉄
63.5×150×150 cm
1750 kg
(※ 写真奥)



以前、設置場所を探しにこの雑木の林を訪れたとき、林はもっと重く体にまとわりつくくらい密度がありました。冬を過ぎ下草を刈られた林は、奥にまつられた祠も容易に見渡せるほど軽くなり、経過した時間をはかることが出来ます。作られた作品もまた同じようにその内部に過ぎて行った時間の長さをためています。重さとはまた別の質量がそこにはあるのだと思います。



第3回 雨引の里と彫刻




南向きの円筒
黒御影石・コンクリート
97×97×110 cm
1720 kg


桜川を西側にしたそれほど広くもない三角形の土地は、横を走る細い道路よりわずかに高い位置にあった、 その周りの土地は水田や畑でありそれが小高い山に沿って北から南に向かって広がっている。
三角形の土地は何も耕作物を創られずにただ、雑草の類がその表面をおおっている。
その場所に置く予定である作品のために何度かその場所を訪れあるいは、通り過ぎた。
川や田畑や家、植物は均一で大きな流れは南北に沿っていた。
たぶんそこの空気の密度と同様に北から南に見えない程にゆっくりと移動しているように感じた。
ここに置かれるであろう作品の物質的な問題はこの時点ではほぼ想定されていたので、 周囲を取り込むための、あるいは受け流すための形態がより重要であった。



第2回 雨引の里と彫刻




組み込まれた形体
石・コンクリート
200×167×110 cm
4500 kg



第1回 雨引の里と彫刻




方形の核と殻
黒御影石
150×150×210 (h)cm