第5回 雨引の里と彫刻について

里山を背景に、なだらかな地勢が広がる。「雨引の里と彫刻」の会場・大和村は関東平野がはじまる場所でもある。村内には川が流れ、民家と石材加工所などが平らな土地に点在している。広がる田畑で働く人達が遠くに小さく見える。時おり、通りを真っ白な花崗岩を満載して作業車が行き交っている。空では、流れる雲と筑波の山がその姿を刻一刻と変えてゆく。村の外れで、こんもりと緑でおおわれているのが雨引山だ。
美術は、長い間、村里の暮らしとは縁遠いところで展開された。いつのまにか彫刻も、周囲に何もなく、光もコントロールできるような仮想的な空間を求めるようになった。自律した作品は、特定の場所と関係を持つことから離れた。
「雨引の里と彫刻」には様々な作家が集まって、村の人々の協力を得ながら、美術や彫刻の古くて新しい土壌にそれぞれ異なる思想と表現で向き合っている。
展覧会の準備は、会期の1年以上前に始まる。誰かが気づいた問題点は全員で共有され、それらは一つ一つ時間を掛けて丁寧に削ぎ落とされる。どんなに良い展覧会を開いても、その結果は作品に帰ることをみんな知っている。それでも、少しでも良い展覧会にしようと、時にガチンコになりながら話し合いは続く。
今年も、この素朴だけれど骨の折れる作業を共に費やした時間が、野外個展会場の寄せ集めではない「雨引の里と彫刻」の特質を支えていた。
回を重ねるごとに地元の人達とも少しずつ良い関係を持てるようになってきた。第5回展が終わる頃には、参加作家だけでなく、多くの人の視線が次回に向けられているのを感じた。 そんな状況の中、もうすぐ私たちは共有地・大和村を平成の大合併により失う。この先何が出来るのか。答えはまだない。
けれども、ここに集まる作家は本気の話し合いをする一方で、みんな呑気に構えている。「雨引の里と彫刻」は今年やっと8才になったばかりだ。明日にもまた楽しみが待っている。大切なのは、この先もゆっくりと一歩ずつ歩き続けていくことだ。
私は今、作品の撤去を終え、夕暮れが迫る里中の小道に立って、ついさっきまで自分の作品があった辺りをぼんやりと眺めている。1年余り季節の移ろいとともに、この場所に通った日々を想い出しながら、気持ちは早くも次回へと巡って行く。
黄昏の薄明かりの中、2カ月ぶりに静けさを取り戻した里山の景色は、以前に比べてほんの少しだけ広く気高くなった様に見える。

2003年11月5日
参加作家、彫刻家
戸田裕介