私が初めて雨引を訪れたのは、筑波大学芸術専門学群の美術学生だった2008年のことでした。雨引は茨城県桜川市にあります。その日は、夏のような暑さでしたが美しい晩秋の日でした。空はまるでコンスタブルが描いたかのように雲が飛んでおり、緑豊かな草、木々、森によって様々な緑に囲まれた風景が広がっていました。
まるで新しい経験の様に感じました。アート作品は美術館や屋内に展示されるものと思われています。彫刻のようなパブリックアートである可能性もありますが。しかし、作品を屋外の田んぼや自然空間の様な場所で、短期間(わずか数か月以内)展示し、その後、それらを撤去または破壊されてしまうのに、なぜその様な事をするのでしょうか?なぜそのように短命のアートワークやプロジェクトにエネルギーを浪費するのでしょうか?天候によって変形していき、構造部分を露呈する作品を展示する目的は何でしょうか?何よりも、そのような作品は、メインストリームカルチャーの性格とはやや対照的なのです。例えば、作品を簡単に移動したり、アートギャラリーや美術館に収蔵されることは容易ではありません。その様な作品がコレクターの興味を引くことも難しいのです。展覧会が終わったら、スタジオに戻すか、どこかに保管しなければならないのです。
その日、私たちが美しい自然の中を歩き回っていると、作品が1つ、そしてまた1つと、多くの場所で現れてきたのです。それは、都市部、農村部、森をつなげるもので、その場の自然との調和を再作成するものでした。美術館に行くのとは全く異なっていました。そこでは風を感じることができ、私の周りにいる鳥や虫の声が聞こえ、緑の匂いがしました。そして、私はアート作品についてとても多くの異なる見方をするようになりました。その見方の1つ1つに異なる物語があったのです。
この様に私は、環境アート、ランドアート、そして自然の大切な点を理解し始めました。もちろん、自然は風景画にみられるように常に芸術的表現の一部でした。しかし、1960年代末から1970年代の初めまでに、ランドアートは自然とのより親密な関係を育み、作品を「フレーミング」するというルールを打ち破りました。アート作品は、単一の視点や焦点なしに、感じるもの、経験するものになりました。ランドアートには多数の視点や観点があり、例えて言えば、1枚のスナップ写真でとらえるのは難しいのです。作品を感じて理解するには、内外を問わず自らがその場に居なければならないのです。_
私は2018年から「雨引の里と彫刻」のメンバーになりました。コロナパンデミックが世界中に広がって約3年ですが、今年は強い希望を持って、次回展覧会の計画を本格的に開始しました。この展示会を計画するには多くの労力を要します。参加アーティストは、展覧会の詳細について話し合うため毎月集まりますが、この会議では詳細決定を行うだけではありません。各メンバーは、単に作品を作成するだけでなく、展示場所の使用許可を取得し、展示会の鑑賞ルートを計画し、カタログや案内用チラシをデザインし、看板を設置する必要があります。もちろん、財政面も忘れることはできません。
アートグループに属し、意見や疑問を共有することは、アーティストの個人の成長にとっても常に重要です。私にとって、他の雨引メンバーとこういった意見交換をする事はとても有意義なことでした。
作品の制作を始める時は、分からない事だらけです。作りたい作品の展示に合う場所を探したり、場所で作る作品を考えたり、スペースに合わせて計画を調整したり。この様なプレッシャーの下で、全ての参加アーティストは、限られた時間で作品を完成させなければなりません。これはまた、「雨引の里と彫刻」メンバー間に、一緒に働く大家族のような、何か一体感を与えます。しかし、それぞれの作品には独自の魂と個性があり、創造の過程では常にアーティストの自己の一部が作品に取り込まれるのです。アートの表現には無数の顔があります。ある作品は、自然の中に浮かんで風景の一部になります。他の作品は、景色と全く関係のない色や素材を使用しながらも、風景の一部となるのです。
アート作品は、周囲の光と影につながり戯れて、その場所をとても繊細な景色にします。鑑賞者の皆さん、ルートをたどって全ての作品を観て下さい。最終的に、必ず、皆さん独自の考えを持ち、何かを感じて家に帰ってもらえるでしょう。そうする事によって、我々はパンデミックの混乱の中にあっても、ささやかな希望の光を共有できるのではないでしょうか。
参加作家 ゼレナク シャンドル