第1回展を立ち上げた作家達から届いた雨引の里と彫刻展への参加依頼の手紙。その内容は実に熱く真摯だったことを今も記憶している。その趣旨に賛同し私は2回展からこの雨引の里と彫刻展に参加させていただくこととなった。それ以来、雨引の里と彫刻展は作家による自主運営という大変な労力と引き換えに個々の表現行為を尊重するとともに、かたくなまでに理想の美術展のあるべき姿を模索してきた。このあらゆる虚飾を排し、ある意味硬派ともいえる作家達が作り上げる野外展の意味するところは今や大きい。
以後、2年毎にやってくるこの野外展は自らの表現の可能性を探る場であることの意味もさることながら他の多くの作家、作品と出合い、お互いが刺激を与えあう貴重な機会となった。
このような経緯を経て会を重ねた第7回展を迎えるころ、私は厄介な病に侵され入退院を繰り返していた。事態は深刻でもはや制作どころではない。病床の傍らにスケッチブックを持ち込むものの、線一本引く気力すらない。私はやむなく7回展の参加を見送った。
あれから3年。私は雨引に帰ってきた。8回展の作品を出展するために。様々な人に助けられ、生きる欲と作る欲がなんとか私を雨引に導いてくれたようだ。私は作品に相応しい場を求め久し振りにこの美しい里を歩み始めた。古に洞窟の中に絵画を描き、あるいは丘の上に巨石を築いた先人たち。表現とは本来しかるべき場において発生し、その場を探し求めることはヒトが表現を試みる上で根源的に備えている本能にも似た欲求、創造の原点かもしれない。そういえば中学の頃、北陸の山間で育った私は、川に突き出した大きな岩がどうにも気になり、その岩の先端に穴を穿とうと思ったことがある。ろくな道具もないまま3年がかりでとうとう穴を貫通させた。あれがもしかしたら原点か? そんなことを考えながら美しい風景の中を進む。雨引での作品制作はもう始まっているのだ。
さて、今回の雨引の里と彫刻展。舞台は冬のさなかである。生き物は眠りにつき、人々は家内の仕事に向かう季節。自然のリズムに逆らうように野外展を開こうなどとは、作家の性か、いや実に雨引らしい。
私はこの3年間厭になるほど寝た。あの忌々しい劇薬のような薬ともおさらばだ。冬の雨引の景色の中に点在する作品を想像しつつ、自分を含め42名の作家と作品にまた会えることが楽しみでしょうがない。
参加作家 村上九十九