• 実行委員会からのあいさつ2022

    雨引の里と彫刻2022は令和4年10月10日(月)より12月11日(日)の2 ヶ月間開催され、参加作家33名の彫刻作品が茨城県桜川市(旧大和村)の風景の中に展示されました。前回展は2019年の春に開催しましたので、約3年半ぶりの展覧会となります。2020年の冬頃から日本でも始まったコロナウィルスによるパンデミックの為、県をまたぐ移動の制限や対面での集会や会議などが制限されました。

    雨引の里と彫刻は月一回の会議を行なって展覧会を作り上げていく会であるので、どの様に話し合いを持って展覧会の準備をしていくか苦慮するところでした。その様な中、実行委員会の若手の作家たちからweb上で会議をしてはどうかという投げかけがあり、対面とweb上での複合的な会議を持って今回展の話し合いが始まりました。
    会議を行う桜川市の大和中央公民館の使用も幾度か県外の作家達は使用ができず、このような状況では本当に展覧会が出来るかどうか、不安の中で時間が過ぎて行きました。しかし、私達は社会の状況を見ながら会議を進めて行くことを決め、何度かの準備会を行い2022年に展覧会を開催することを決定しました。

    振り返ると、1996年の第1回展から今回で12回目になります。27年間この展覧会は続き、桜川市と展覧会との関係も少しずつ変わってきました。2015年の展覧会から市との共催事業となったことや、住民の方々が展覧会に興味を持って頂ける様になったことが最も大きな変化ではないでしょうか。近所の人が散歩をしながら何度も作品を観てくれる様になりました。また、ある時小学生の男の子とおばあちゃんが自転車でルートマップをみながら作品巡りをしていました。私達が求めていたのはこういう風景を見ることだったのではないでしょうか。生活の中に少しずつ美術が入ってきているような気がします。続けて行くことの大切さを実感しました。この様な展覧会に育ってきたことは、市の支援はもとより住民の方々のご理解とご協力のおかげであると思います。

    私達作家一人一人が彫刻と真摯に向き合い、この雨引の里と彫刻を通して桜川市の文化の一助となるように良い展覧会を作っていきたいと考えています。

    最後になりましたが、今回の展覧会会場となった本木1区、西方、大曽根、東飯田、阿部田の区長さん、地権者の方々、ボランティアの方々と地域の皆様のご協力に感謝申し上げます。

    雨引の里と彫刻実行委員会実行委員長
    大槻 孝之


  • 市長からのあいさつ

    この度「雨引の里と彫刻2022」の開催を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。
    桜川市は東京から70 ~ 80㎞圏の茨城県中西部に位置するまちで、三方を山並みに囲まれ、春には55万本もの山桜が咲き誇る美しさから「西の吉野、東の桜川」と称され、市名の由来にもなった「桜川」が市の中央部を南北に流れるなど、緑豊かな自然環境に恵まれた土地です。
    「雨引の里と彫刻」は、1996年から定期的に開催され、今回で12回目を迎えました。10月10日から12月11日の2カ月にわたり、大和ふれあいセンターシトラスから始まり旧大和村の南東側に位置する本木1区、大曽根、東飯田、西方、阿部田地区の各所に33名の作家によって石材や木材、鉄、布など様々な材料を用いて制作された素晴らしい作品が展示されました。
    作品をゆったりと鑑賞するには穏やかなシーズンとなり、サイクリングやハイキングをしながら作品を巡り、里山の自然を感じながら、山々の情景の変化にあわせて作品の表情が変わっていく様子も感じられたのではないでしょうか。
    開催する度にテレビや新聞などに取り上げられ、来場者も回を重ねるにつれ多くなってまいりました。この展覧会を楽しみにするお声を聞くことも多々あり、桜川市にとって大変期待の大きいイベントとなっております。
    2020年の冬頃から新型コロナウイルス感染症の感染が拡大し、不安と混乱が続くなかで、今まで通りにイベントを実施するのは難しいと思いましたが、作家の皆様をはじめ、多くの方々の協力や応援を得て、無事この展覧会が開催できましたことは心からの喜びです。また、開催に際しまして、展示場所を快く提供してくださった地権者の方々、作家やたくさんの来場者を温かく迎えてくださいました地元の皆様など、大変多くの方々のご理解、お力添えによるものと深く感謝申し上げます。
    結びに、「雨引の里と彫刻」のますますのご発展と、関係者並びに皆様方のさらなるご活躍をご祈念申し上げ、あいさつとさせていただきます。

    桜川市長
    大塚 秀喜


  • 自然との会話

    私が初めて雨引を訪れたのは、筑波大学芸術専門学群の美術学生だった2008年のことでした。雨引は茨城県桜川市にあります。その日は、夏のような暑さでしたが美しい晩秋の日でした。空はまるでコンスタブルが描いたかのように雲が飛んでおり、緑豊かな草、木々、森によって様々な緑に囲まれた風景が広がっていました。
    まるで新しい経験の様に感じました。アート作品は美術館や屋内に展示されるものと思われています。彫刻のようなパブリックアートである可能性もありますが。しかし、作品を屋外の田んぼや自然空間の様な場所で、短期間(わずか数か月以内)展示し、その後、それらを撤去または破壊されてしまうのに、なぜその様な事をするのでしょうか?なぜそのように短命のアートワークやプロジェクトにエネルギーを浪費するのでしょうか?天候によって変形していき、構造部分を露呈する作品を展示する目的は何でしょうか?何よりも、そのような作品は、メインストリームカルチャーの性格とはやや対照的なのです。例えば、作品を簡単に移動したり、アートギャラリーや美術館に収蔵されることは容易ではありません。その様な作品がコレクターの興味を引くことも難しいのです。展覧会が終わったら、スタジオに戻すか、どこかに保管しなければならないのです。
    その日、私たちが美しい自然の中を歩き回っていると、作品が1つ、そしてまた1つと、多くの場所で現れてきたのです。それは、都市部、農村部、森をつなげるもので、その場の自然との調和を再作成するものでした。美術館に行くのとは全く異なっていました。そこでは風を感じることができ、私の周りにいる鳥や虫の声が聞こえ、緑の匂いがしました。そして、私はアート作品についてとても多くの異なる見方をするようになりました。その見方の1つ1つに異なる物語があったのです。
    この様に私は、環境アート、ランドアート、そして自然の大切な点を理解し始めました。もちろん、自然は風景画にみられるように常に芸術的表現の一部でした。しかし、1960年代末から1970年代の初めまでに、ランドアートは自然とのより親密な関係を育み、作品を「フレーミング」するというルールを打ち破りました。アート作品は、単一の視点や焦点なしに、感じるもの、経験するものになりました。ランドアートには多数の視点や観点があり、例えて言えば、1枚のスナップ写真でとらえるのは難しいのです。作品を感じて理解するには、内外を問わず自らがその場に居なければならないのです。_
    私は2018年から「雨引の里と彫刻」のメンバーになりました。コロナパンデミックが世界中に広がって約3年ですが、今年は強い希望を持って、次回展覧会の計画を本格的に開始しました。この展示会を計画するには多くの労力を要します。参加アーティストは、展覧会の詳細について話し合うため毎月集まりますが、この会議では詳細決定を行うだけではありません。各メンバーは、単に作品を作成するだけでなく、展示場所の使用許可を取得し、展示会の鑑賞ルートを計画し、カタログや案内用チラシをデザインし、看板を設置する必要があります。もちろん、財政面も忘れることはできません。
    アートグループに属し、意見や疑問を共有することは、アーティストの個人の成長にとっても常に重要です。私にとって、他の雨引メンバーとこういった意見交換をする事はとても有意義なことでした。
    作品の制作を始める時は、分からない事だらけです。作りたい作品の展示に合う場所を探したり、場所で作る作品を考えたり、スペースに合わせて計画を調整したり。この様なプレッシャーの下で、全ての参加アーティストは、限られた時間で作品を完成させなければなりません。これはまた、「雨引の里と彫刻」メンバー間に、一緒に働く大家族のような、何か一体感を与えます。しかし、それぞれの作品には独自の魂と個性があり、創造の過程では常にアーティストの自己の一部が作品に取り込まれるのです。アートの表現には無数の顔があります。ある作品は、自然の中に浮かんで風景の一部になります。他の作品は、景色と全く関係のない色や素材を使用しながらも、風景の一部となるのです。
    アート作品は、周囲の光と影につながり戯れて、その場所をとても繊細な景色にします。鑑賞者の皆さん、ルートをたどって全ての作品を観て下さい。最終的に、必ず、皆さん独自の考えを持ち、何かを感じて家に帰ってもらえるでしょう。そうする事によって、我々はパンデミックの混乱の中にあっても、ささやかな希望の光を共有できるのではないでしょうか。

    参加作家 ゼレナク シャンドル


  • 実行委員会からのあいさつ

    桜の花の開花とともに始まった「雨引の里と彫刻」も、今年で11回目の展覧会となりました。1996年にこの桜川市(旧大和村)で彫刻の制作活動を続けていた7人の石彫家が、制作の現場で作品を発表したいと、里山や集落の中に作品を展示する展覧会が始まりました。翌年の2回展からは素材も形式も異なる作家達が呼びかけによって集まり、月一回の話し合いを持ちながら、一人一人が実行委員として展覧会を作っています。5回展までは「第何回雨引の里と彫刻」という展覧会の名称でしたが、第何回と展覧会の名称に付けると、回を重ねる為に展覧会を開催するような心持ちになってしまうのではないかと、名称一つについても検討を重ね決められてきました。また、今回の展覧会は前回の「雨引の里と彫刻2015りんりんロード」から3年半経ちましたが、それは月一回の会議を展覧会の決め事を検討するだけの会議ではなく、彫刻について話し合うことができる有意義な場にしようとしたことと、里山が桜の花で覆われ木々の新芽が芽吹く春の時期に、展示をしたいということがあって、展覧会の開催がこの時期になりました。春の展示は2006年以来、13年ぶりのことです。約2年間の準備会と全体会議を経て今回の展覧会が作られています。季節を変え、地区を変えながら彫刻の展示を行っているこの展覧会は、作家一人一人が彫刻家として、里山の生活の営みの中に彫刻を制作して置きたいという欲求が根本にあって成立しています。
    また今回の「雨引の里と彫刻2019」は桜川市、桜川市教育委員会の共催となりました。今日まで23年間も「雨引の里と彫刻」が継続できたことは、市長さんをはじめ市役所の職員の皆様や、地区の区長さん、地権者の方々、ボランティアの皆様の変わらぬご理解とご支援があってのことです。私たち実行委員もこの展覧会が桜川市の文化として発信していけるように努力していく所存です。特に今回は、春の繁忙期の時期にご協力いただき、ありがとうございました。

    雨引の里と彫刻実行委員会
    実行委員長
    大槻 孝之


  • 市長からのあいさつ

    桜川市は東京から70 ~ 80㎞圏の茨城県中西部に位置するまちです。三方を山並みに囲まれ、春には「西の吉野、東の桜川」と称された55万本の山桜が咲き誇り、市名の由来にもなった「桜川」が市の中央部を南北に流れるなど、緑豊かな自然環境に恵まれています。
     「雨引の里と彫刻」は本市でも特に自然豊かな旧大和地区を中心に1996年から開催され、今回で11回目となります。このような野外展覧会は全国的に見てもめずらしいもので、それを20年以上にわたって続けてくることができたのも、参加作家全員で実行委員会を組織し、自主的に運営していることはもちろんですが、展覧会に賛同し展示場所を快く提供してくださる地権者の方々、作家やたくさんの来場者をいつも温かく迎えてくれる地元の皆様など、大変多くの方のご理解、お力添えによるものと深く感謝しております。
     今回の展覧会は4月1日から6月9日までの約2か月間、美しい田園風景の広がる、阿部田、羽田、青木、高森地区を舞台に38名の作家による個性豊かな作品が展示されました。
     この季節の里山の風景は目まぐるしく、そして美しく変化していきます。桜の開花から始まり、山々は色鮮やかな萌黄色芽吹きはじめ、田には水が張られ美しく輝きます。田植えとともに辺りの風景は一変し、日ごとに緑は深くなってゆき、やがて梅雨に至ります。
     この里山の自然環境とともにその風景の中にたたずむ作品も幾重にも表情を変えてゆきます。遠くからいらっしゃる方はなかなかむずかしいかもしれませんが、こうした作品の変化を楽しむこともこの展覧会の醍醐味のひとつでありますので、今後機会がありましたら、ぜひ美しい里山の田園風景の移り変わりとともに作品をご覧になっていただけたらと思います。
     この展覧会には毎回多くの方が来場し、今回も市内、県内はもとより、日本各地、さらには外国からの来場者もあったと聞いております。またテレビや新聞等にも多数取り上げられ、桜川市としても大変喜ばしいことであります。
     次回の開催は未定とのことですが、今後とも「雨引の里と彫刻」にできうる限りの協力をしてまいりますので、近い将来また開催されることを心待ちにしております。
     結びに、「雨引の里と彫刻」のますますの発展と、皆様方のご活躍を祈念して、あいさつとさせていただきます。

    桜川市長 大塚 秀喜


  • 確かさ

    学生時代に初めて「雨引の里と彫刻」を訪れた時には、いずれ自分が参加することになるとは思ってもみなかった。それが作家として駆け出しの頃にメンバーとなり、今回で早くも4回目の出品となる。
     作家による自主運営を公然とするこの展覧会の舞台裏は、初参加当時の私にとって尋常なものではなかった。月一回の会議で繰り広げられる喧々諤々の真剣なやりとりには、格別の緊張感があった。展覧会開催に関わる全ての物事に向き合い、起こる事態に処していく。解決の道筋に予定調和は持ち込まず、面倒を承知で一から全員で話し合う。その過程で露わになるそれぞれの作家の気質。発せられた言葉の全てが、そのまま自分に返ってくるような抜き差しならない時間。私は渦中にいながらも、そこに社会の縮図を見る思いでいた。
     そうした縮図は、作家各々の人生の歩みや社会との関連の中で徐々に有り様を変えて行く。「雨引の里と彫刻」も時の流れと共に、真っ当に変化を遂げて来た。しかし、人ごとではない。ふと自身を顧みればこの縮図の一員である自分の内部に、さらに縮図があることに気付かされる。十人十色の作家達を鏡に、否応なく多様な自己が照らし出される。
     社会は分業。人は各々の専門を引き受け、その他を人に委ねることで初めて限られた時間で何事かを成し遂げることができる。展覧会も同様だ。作家と表現に携わるいくつかの職種が役割を分担して効果的に仕立れば足りる。
     しかし、「雨引の里と彫刻」はそれをしない。おそらく、作品制作以外の苦労を忘れて常態とするうちに、作り手として失うべきではない何かを取りこぼす可能性を、鋭敏に察知しているからだろう。大変な労力をかけて自覚し続けていることはいったい何か。それは、分業以降の歴史の中で自明となった「美術」という枠組みには求めにくい手応えのようなもの、言葉にするのは難しいが敢えて言えば「確かさ」なのかもしれない。
     ひるがえって歴史を眺めれば、これまで多様に展開してきた表現はそれぞれの「確かさ」と共に成し遂げられてきたとも言える。
    自明性への問いを掲げたり、枠組みの先端で斬新を狙う際にもそれは伴っただろう。これに対して「雨引の里と彫刻」は、風景の中に作品を置いて人に観せるという極めてシンプルな行いに専心するだけだ。だが、その過程で意義と責任の両方を受け取りながら、結果的に枠組み自体の形成過程を辿るような仕方で、表現における「確かさ」を獲得していく。
     ルートを巡り全ての作品を観る。作品は作家、観者、地域、そして社会をお互いに照射させ合う。その錯綜する反射がまた私の内部の縮図と反射する。私は内と外との変化の一時的な事情として佇んでいる。一方、作品はそんな生身の人間の機微とは無縁であるかのように、里山の暮らしの中に当たり前に存在する。それは「確かさ」を伴って観た人の記憶に残るのではないだろうか。そして、時を経る中で想起される度に解釈を更新させるに違いない。作品は思い返され、更新された分だけ作家に、ひいては観者へ新たなヴィジョンを与える。次の一歩を促しながら。

      
    参加作家 塩谷 良太


  • 実行委員会からのごあいさつ

    「雨引の里と彫刻2015 –りんりんロード」展を桜川市の市制10周年を 迎えたこの時期に、桜川市と共催のもとに開催できたことを参加作家 一同大変喜ばしく思っています。 ここに至るまで、市や県の担当者をはじめ多くの方々のご協力をいた だきました。ありがとうございました。 桜川市は、旧真壁町・大和村・岩瀬町が2005年10月に合併して誕生 しました。私達はこの記念する時期に、初めての試みとして真壁-大和 -岩瀬をつなぐりんりんロードで雨引展を開催しようと討議を重ね今 日に至りました。 今までの「雨引の里と彫刻」展では旧大和村地区で展覧会を開催す るエリアを決め、そのエリアの中で各作家が作品を置きたい場所を探 し、その後役所の方や、各区長さんをはじめ地元の皆様のご協力のも と、地権者の許可を受けてから制作に入る、という形を取ってきまし た。場所が決まり、ルートを決め、案内板を立てて、展覧会の開催を迎 えるという工程を踏んで来ました。 今回展では「りんりんロード」という副題をつけ、北端は県道14号の 犬田交差点から雨引休憩所を経て、南は旧樺穂駅までの区間とし、り んりんロードの敷地内という制約のもと、現況のような展示となりま した。 思い返すと、この雨引の展覧会を立ち上げたのは1996年、その意図 したところは、画廊も美術館もない田園風景の広がるこの地で、我々 が作品を通して発表活動を続けていくことにより、桜川市の皆様をは じめここに育つ子供たちに、美術とか彫刻は自分たちが育った環境に は普通に風景の中にあるもので、特別なものではないという気持を もってほしいという願いから始まりました。 それから早いもので20年近い年月が経ち、そのころ生まれた子供たち も20歳近くなっています。願わくは彼らの中に何かが少しずつ芽生え てきていたらいいなと思っています。 最後になりましたが、ボランティアグループの撫子庵の皆様、今回 は参加いただけませんでしたがそば打ちの会の皆様にも、長年にわた り来客の食事や休憩所をご提供いただきありがとうございました。 また未来塾の皆様のご協力のもと、地元中学生たちへのアプローチ、 フォトコンテスト、ワークショップ等を企画していただきありがとう ございました。 今回はそのワークショップも兼ねて、作品に少しでも親しんでいた だけるよう各作家の作品の近くにフロッタージュ用のレリーフを用 意しました。作品鑑賞のみならず皆様でフロッタージュの作品を作っ て記念としていただければと考えた次第です。

    雨引の里と彫刻実行委員会 菅原二郎


  • 「雨引の里と彫刻」と私

     雨引の里と彫刻との出会いは約10年前、大学の先生から展覧会の案内状を頂き、友人の家族と共に見に行ったことから始まりました。自宅の川越から、川越街道、浦所、首都高、外環、そして、常磐自動車道、北関東自動車道を乗り継ぎ走りました。桜川市に入り、見慣れない場所ということもあってか、随分、遠くに来た印象を持ちました。展示場所に着き作品を見た後、その日は、オープニングパーティーがありました。公園の中の傾斜を歩き、とても広いスペースに到着し、作家の方々が作った気持ちのこもったバーべキュウを御馳走になって、とても美味しい楽しい思い出となりました。2回目は、友人と見て回りました。林の中や屋敷の中などを回りながら雨引の自然の中で落ち着いた気分になりました。3回目は家族と自家用車で回りました。子供が作品の間から頭を入れて遊んでいたのを憶えています。良い思い出になりました。見た彫刻作品は、自然を背景にスケールの大きさを感じ迫力のある作品ばかりで、しかも、その空間に違和感と自然さ両方を持ち合わせた作品で「彫刻とはこう在るべき」と考えさせられました。


     様々な方から雨引の彫刻は作家が主体で運営するという話を聞き、また、桜川市の自然の中で堂々とした作品の展示が魅力的で、この展覧会に参加してみたいと感じていました。約3年前、思いきって雨引に参加されている大学時の恩師にフィールドでの作品展示に挑戦してみたいと相談したところ、少々の時を経て、推薦して頂くことに到りました。

     今年の3月から出品者、実行委員会メンバーとして、月に一度の展示に関わる会議に参加させて頂きました。会議、初参加の日、住まいを引っ越したこともあり、車で東北自動車道に入り北関東自動車道に乗り変え、到着まで約3時間掛かりました。インターを降りて走っていると改めて石材屋が沢山あることに驚かされました。公民館に到着し二階の会議室に入ると、とても広く、ぐるりとテーブルが置かれ、みんなの顔が見えるよう座った中、作家同士に距離がありながらも、一体感と解放感が漂っておりました。会議中、たくさんの意見が出て、展覧会に向う熱い気持ちを感じました。実際の展示場所のりんりんロードをメンバー全員で歩いたり、草刈りをしたり、パンフレットやポスターの郵送準備をする機会もあり、みんなで創り上げていくことを実感しました。
     
     今回の展示場所は、以前鉄道が通っていた場所です。作品のプランを練るために、また作品搬入のために、何回か展示場所に行きました。地元の方に旧雨引駅や樺穂駅にまつわる昔話を聞きながら、在ったものが無くなることを考え、アポリアについて考えさせられました。他界した父、故郷で生活している母、妻、我が子など家族のことを想い、雨引の里と彫刻との出会いは、私にとってかけがえのない時と場になりました。雨引の里と彫刻に作品展示の機会を頂き、桜川市市長をはじめ、市役所、市民のみなさま、関わった全ての方に感謝しております。

      参加作家 岡孝博


  • あいさつ

    photograph SAITO Sadamu


    「雨引の里と彫刻」は茨城県桜川市の旧大和村の里山や集落を舞台に、初回の1996年から作家が主催となり、地元の協力を得ながら運営してきた展覧会です。7人の石彫家により始まったこの展覧会も今や大所帯となり、毎月の全体会議では設置場所、コースの設定、その他諸々にいたるまで参加作家全員で話し合われ、一丸となって展覧会は周到に準備されます。
     前回展「雨引の里と彫刻2011」では、箔~のさなかに狽ニ題し、凛とした冷たい空気と彩度を落とした真冬の風景の中の展覧会を試みました。雪景色のスタートは真冬の開催にふさわしく、充実した作品の並ぶ展覧会ではありましたが、会期終了直前に東日本大震災のため展覧会は止むなく閉鎖。農業、石材産業を主とするこの地域にも震災の被害は及びました。幸い全42点の作品の倒壊はなく、この展覧会における作品の安全管理の高さを示しましたが、参加作家にとっては最後までやり遂げられなかった悔しさが残りました。
     さて、9回目の開催となった今回は、9月から11月にかけての2ヵ月間、秋の里山や集落の中に、参加作家38名の彫刻作品が設置されました。秋の爽やかな風や里山の美しさを体感しながら点在する作品群をオリエンテーリングのように巡る楽しさは、まさにこの展覧会の醍醐味です。リピーターの方々も多く、作家の解説付きのバスツアーも初日から予約が殺到する盛況ぶりでした。震災後の初めての展覧会として作品の安全性はもとより、地域との関わりも再検討しながら、準備を進めてきた展覧会です。ご高覧いただきました皆様へ、そしてご協力いただきました皆様へ、参加作家一同、心より感謝致します。

    2013年12月
    雨引の里と彫刻 2013 実行委員会


  • 自転車で回って。

     今回の展覧会が開催される時期が決定し、作品の設置されるエリアを下見のために訪れたのは、ちょうど1年前のこの時期であった。田んぼには、稲刈り間近の稲穂がたわわに実り、早いところではもう刈り入れが始まっていた。会期はおよそ3ヶ月の長期に渡るため、始まりと終わりの時期では、彫刻を取り巻く風景が一変してしまう。だから作家は、夏のムンムンとする新緑が残る季節から、冬の到来を感じさせる晩秋の頃までを見通さなくてはならない。そして、他の作家とぶつからないように気を配りながら(いや、邪魔されないように、と言った方がいいかも知れない)、これから作る作品に最もふさわしい場所を求めて、あるいは場所からのインスピレーションを感じるために、半年に渡って足しげくこの地を訪れる。
     しかしながら、その時点で、誰がどのような作品を持ち込んでくるのかは全くわからないから、自分の作品と全体との関わりを意識してはいない。ちょうど各々の個展会場を見るようなイメージで、設置場所を選んでいく。ところがどうだろう。いざ展覧会が始まってみると、個々人の個性が見事に、このエリア全体を生き物の細胞さながらに機能させ、結実した生命体のように演出しているではないか。「モノ作り」は得てして、他との協調性に乏しい人種と見られがちだが、いやいやどうして、力を合わせて発表することにより、個人にも全体にも良い結果が生まれることに、改めて感動した。
     参加作家である私は、「モノ作り」の一人ではあるものの、美術・芸術に見識が深いわけではない。正直なところ、理解に苦しむ作品に出会うこともしばしばである。例えば、裸体像を見る。作品の題名は「女」。大変安心する。意味のあるものは、人を安心へと導くからだ。しかし、それで本当に「解かった」と言えるのだろうか。意図がわかってしまうと面白くなくなることが多々あることも、事実だ。
     スタート地点であるシトラスには、作家の一言が記されたチラシが地図と共に用意されている。文章では表現しきれない思いを短いポエムに託したものから、端的に事実を記したものまで多様である。これらを作品と照らし合わせながら、回ってみるのも面白い。
    作品に紛れて、道すがら放置されているコンクリートの塊や鉄屑、倒れかけた道標に意味はない。迂闊にもそれらに目を奪われ、あれ!これ誰の作品?いいじゃない!!と思ってしまうことがある。これらも含めて作品と見るのもまた、この展覧会の意外な楽しみ方かも知れない。
     私が最初にこの展覧会に参加したのは、1997年に開催された第2回展の時である。それ以降毎回、一貫して作品の搬入・搬出に関わる役目を担わせていただいている。今回も搬入時期の2週間に渡り、自前の4トンユニック車を起動し、各作家の設置場所をぐるぐると走り回った。すでに見知ったルートではあるが、この文章を書くにあたり、新たな目線で展覧会全体を見渡そうと思い立ち、自転車を走らせた。自転車は徒歩と車の中間的な速度であるため、作品間を移動する間にも、小さな変化や見過ごしていたものに気がつく。私は小学生の頃、毎日8キロの道のりを歩いて登下校した。あたりにはちょうど、今回の会場のようなシチュエーションが広がっていた。その道すがら、畑に取り残された巨石や放置されたままの廃車の山、鉄製の何かの部品等が、まるで自然の山川と共存しているように見えたことを今でも記憶している。私が彫刻を作る上での礎は、この幼い頃に見た「理解がつかないもの」によるところが大きいと思われる。
     参加作家の大多数は、年齢・キャリアは様々であるものの、彫刻を生業としたいわゆるプロである。試行錯誤して現在に至った作品を、一目見て的確に分析し、理解するのは霊能者でも難しい。いや、ひょっとして作家本人も、完全には理解していないのかも知れない。それならばどうして、他人が理解できようか。理解ではなく、不思議なものを知識で結論づけずに、不思議なまま放置することこそが、正しい彫刻の見方なのかも知れない。
     最後に、遠方よりわざわざ足を運んでいただいた方々、様々な面でこの展覧会を支えてくださった地域の方々に、深く御礼申し上げたい。特に、土地を提供してくださった地権者の方々は、空間を共有するという意味において、作品を展示する作家と近い立場にあり、我々一同、感謝の念に絶えない。この「雨引の里と彫刻」は、飽和状態にある美術シーンに、発表する「場」のセクションとしても新しい可能性をもたらすと感じている。

    参加作家 松田文平


  • 私は書記係

    「雨引の里と彫刻」が市や町の主催ではなく、作家の自主運営による展覧会であることは広く知られるようになりました。参加作家が実行委員となり、各係として実務を担うのです。私の担当は書記係。毎月の会議の時に、議事内容を記録して議事録を作成する係です。「毎回大変だね」とよく言われますが、実は書記の仕事は結構面白い。議論が白熱すると早口になることも多いので書き留めるのは大変ですが、発言内容はもちろん言葉の選び方や声のトーン等、各作家の持ち味が出ていて興味深い。理路整然とはっきり意見を述べる人、迷いながらも一生懸命言葉を探す人、その様子は各々の作品につながります。
     会議翌日には、内容を整理して議事録を作成します。全体会議では全員が納得いくまで話し合うことを大切にしているので、決定事項だけでなく、各々の立場を偏りなく記すよう努力していますが、自己主張の強い作家が毎回40名前後参加しているのですから、その議事録をまとめるのは、なかなか骨の折れる作業です。ですが、こうした作業に毎回取り組むことで、雨引の抱える問題やそれに対する各作家の考え方等、雨引の現在を客観的に捉えることができます。私にとっても自分と雨引との関わりを問い直す、ひいては美術や彫刻について考えを深める良い時間となるのです。
     書記の他にも、カタログ係・サイン係・懇親会係等々、係の仕事は多岐にわたり、参加作家は各々の仕事に責任を持つ。今では「雨引方式」と呼ばれることもありますが、最初から今のスタイルができていたわけではありません。第3回展から参加していますが、当時も「作家自らが運営する展覧会」という大前提はあったものの、全員が係を分担していたわけではなかったし、一部作家に仕事が集中し問題となったこともありました。また次第に参加人数が増えたことで、実務の大変さは増す一方、展覧会への関わり方に温度差が生まれる等、様々な問題が生じてきました。今の方式は、こうした問題を乗り越えて、自分たちの展覧会だという自覚を高めるための、試行錯誤の結果なのです。もちろん今の方式が完成形ではなく、今後も改善されていくであろうことは言うまでもありません。
     さて、「雨引の里と彫刻2013」が開幕しました。すでに多くのお客様を迎え、秋空の下、里山の風景と作品展示をご覧頂いています。展覧会開催中は書記係の仕事もひと休み・・・というわけにはいきません。会期中も何かと起きるわけで、必要があれば全体会議を開いて協議し、書記は記録を取る。この地道な作業が次の展覧会に活かされることを願っています。

    参加作家 山上れい


  • 作家のひとこと

    雨引の里と彫刻 2013 に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。



    國安孝昌 / 雨引く里の竜神2013
    丸太、陶ブロック、単管
    心静かに雨引の里を巡って歩くと、風景のどこそこに地霊というべき聖なる空間を感じ見つけ出すことが出来る。2013 のこの場も私には雨引く精霊を感じる特別な場所である。場と私の制作が、願わくばひとつになって見えれば幸いである。


    山上れい / Triangulated Flower
    ステンレススチール
    この池は第5回展でも作品が設置された。久しぶりに訪れると、水面は蓮で覆われ、景色はずいぶん変化していた。夏、蓮は天に向かって花を咲かせる。薄桃色の美しい花は清らかな光を放ち、この場を包む空気に輝きを与えていた。秋、もう一度この池に花を咲かせたい。


    菅原二郎 / 内側のかたち-13PLS
    石灰石
    今回使った石は大理石よりもやわらかい素材のため、形をなるべく大きくとり、本来は細くしぼるべきところも素材の持つ強度とのかねあいの中、自分が感じる可能と思われるところまでとし、内側の曲面が持つ柔らかさの表現を重視した。


    宮澤泉 / 夏空
    花崗岩
    蝉が鳴いている。私は手にノミとハンマーを持ち石を彫る。
    ただひたすらに石を彫る。


    戸田裕介 / 水土の門/天地を巡るもの
    鉄、塗料、洋箔( 真鍮)、金箔
    「水土(すいど)」とは、 近世まで、「自然環境」や「風土」などと同意義で使われた言葉ですが、ここでは「水」と「土」の意味です。水循環、物質循環、私たちを取り巻く世界では、様々なものがゆったりと、あるいは猛スピードで絶えず巡り続けています。


    和田政幸 / しゃもじ

    薄い鉄板で箱を作っています。今回は試行錯誤の結果、下の楕円は1.6mm 厚、上の楔状の棒は1.2mm 厚で作りました。見晴らしの良い場所を選びました。


    佐藤晃 / Surface – 表層
    花崗岩
    なだらかに傾斜する丘から広がる田圃の緑は川面の様に揺れていた。流れの岸に連なる風を孕んだ森や竹林はまるで流動体の様であった。私はここに留まり呼応できる形を造りたいと思った。



    塩谷良太 / 具合
    陶、鉄線、シュロ縄、他
    春先から草木が伸び行くのといっしょに粘土をつなげていった。草木は人々の記憶に重なりながらのびやかに成長し、期待どおりに季節を運ぶ。粘土は私の漠然とした予感と共に姿を変え、移り行く季節の中にしばし留まる。


    松田文平 / 垂直と非垂直
    黒御影石
    振り下げた重りが地球の核に向かう軌道を絶対垂直線と定義し、変化する面に対してのそれを相対垂直線と定義した、基準になる物によってその絶対と相対は入れ替わる可能性が有り何とも不確定で有ります。


    鈴木典生 / GLOBE -番人-
    白花崗岩
    一度この大地から切り離されたこの石は、長い間時空を彷徨っていました。やがて強い意志を宿し、この地に舞い降ります。その姿は38 個の球体から成る守り人になりました。


    志賀政夫 / 風の色をみんなで眺める

    ちょっとイスに腰を下ろし、風の色を眺めてみましょう。
    昔の記憶がよみがえります。
    木の葉のささやきが周りをおおいます。
    風の色が通り過ぎるでしょう。


    山﨑隆 / Welcome
    白御影石
    石を彫りすすめて作品の形が見えてきたとき、
    自然とその作品の題名が浮かんできた。ウェルカム。


    中村洋子 / 「蒼い空、薄雲よ。ひゅうら、ひゅうら、ツテン、テン。」
    ステンレスメッシュ
    こんもりした林。ひっそりとした木の幹に立ちはだかる蜘蛛。そし
    て寄り添うように聴こえてくる、やしこばばの唄が。
    「杢さん、これ、何?……」と小児が訊くと、真赤な鼻の頭を撫で
    て、「綺麗な衣服だよう。」           泉鏡花『茸の舞姫』


    大栗克博 / 俺の不知火型2013
    灰色花崗岩
    邪気を払い地を鎮める謂れのある横綱土俵入りを2013 年は二人の横綱がそろって不知火型でつとめている。これは大相撲史上初とのこと。両腕を左右いっぱいに伸ばしてせり上がる豪快さが特徴の不知火型、この思いをこの地とこの機に。


    山本憲一 / 剪定季の風
    ピンク御影石
    剪定するをテーマに近年制作してきております。今回の作品では石を大きくくりぬき内側にすり込まれた割石の稜線と景観がどの様になるかと言う作品です。それと同時にこの場所に新緑の風が吹き込む願いも込めております。


    齋藤徹 / 天壌2013
    木、鉛、アクリル塗料
    素材の持つ良いところを全て捨ててしまうような行為に、少しばかり疑問を持ちながらも続けてしまう。不毛な時間の連続で日々が刻まれて行く、こうやって数ヶ月過ごしてしまいました。


    中井川由季 / あいまいな接合 木立の下に

    「あいまいな接合」と名付けた作品を、形や大きさを微妙に変えながら昨年より作り足しています。一つ一つ似ているけれど違う形がゆるやかにつなぎ合わせてあり、その場所に合わせて自在に変えられるという作品です。今回は木立の下に百個ほどを.いで置きます。



    小日向千秋 / 二重奏
    漆、鉄線、他
    風の中を舞い降りてきた二つの音色が、ひとときの居場所を見つけました。


    高梨裕理 / 深い水II

    林の中に入ってみる。木に出会う。そして見上げる。


    齋藤さだむ / 不在の光景part II
    写真
    サリン( ざりがに) が死んだとき、娘は涙を抱えながら墓を造ったブラッキー( 男猫) はある事件の後からは僕を信頼し続けてくれたグレ( 女猫) は死んだ子猫を取り上げてから、僕を終始嫌ったジジ( 雄犬) は、妻がみとる中、壮絶な最後を遂げた。


    平井一嘉 / サイセイキ
    黒、赤、白御影石
    手持ちの石と薬師堂前と自分との思いを巡らして、語呂合わせではあるが1 つは石臼を華と見立てて上から8-9-4( 薬師) 題名はサイセイキ( 再生機) ( 祭生機) ( 最盛期) ( 最性器) この地の変遷と個々の想いが廻るか体感してみたい。


    海崎三郎 / 点在II

    その小さく硬化した美しさに昔は気がつきもしなかった。


    サトル・タカダ / 再生
    ステンレス鋼、鉄骨、ウインチ、ワイヤー
    卵の形体を生命の象徴として表現しました。池の中に設置したのは生命の源でもあり水面の光と割れ始めた卵が再生された“ 何か” が興味を見る人達に持たれる事でしょう。構造美とこの環境が彫刻の意味を深いものになれば良いと思います。


    大島由起子 / たなごころ
    黒御影石
    神社のひっそりと落ち着いたこの空間に作品を潜ませたいと思った。少し、じっくりとゆるやかにこの様な場所で流れ続ける時間をみつめていたいという意識を憶えた。


    栗原優子 / 閃光、瞬間落下
    伊達冠石
    遠くの雷鳴。
    のちに、閃光。
    夜を一瞬で朝に変え、かたちないものを突き刺して消えた。
    朝は静かに夜へと戻ったが、刺さったなにかは消えなかった。


    大槻孝之 / 行く雲

    学生の頃の記憶ですが、足が泥の中に埋まって身動きが取れないけれど雲は行く、という万葉集の歌がありました。その人と雲との関係が美しく思え、それだけ覚えていました。私もこの里山の雲にその千年の気持ちを乗せてみたいと思いました。


    渡辺治美 / Root (carrot)
    御影石、真鍮
    一見するとロケットに見える物体は地球から宇宙に伸びる“ 逆さの人参” である。その存在は無重力の空間において正常と言える。見方を替えれば“ 逆も真なり” とも言える。地に根を張り栄養たっぷりに育った根菜を、命を繋ぐエネルギー源と例え表現している。


    岡本敦生 / 風になろうとしている
    白御影石
    以前展示した場所です。荒廃が進み、今や人の痕跡さえも消え去ろうとしています。一つの作品プランがあって敢えてこの場所を選んだのですが、道半ばにして長期入院せざるを得なくなりました・・・。


    西成田洋子 / 記憶の領域2013 里に棲む
    ミクストメディア
    深海にまだ見ぬ生物がいるように、私たちを取り囲む緑にも息を潜めて存在するものがあるかもしれない。


    藤島明範 / 分割された石1309-関係II
    稲田石
    二つに分割された石。 分けられた石どうしの関係。この関係を杉・檜の屋敷林の東端に置く。
    この屋敷林と道に沿って「大池」と田んぼが広がる前方の広大な空間に、 私の石はどのような「関係」を結ぶことができるか。


    井上雅之 / A-135
    陶、鉄
    押し潰されそうな真っ青な気圧の底に、小さく古い木造の蔵がありました。佇まいに惹かれ、ふわふわとした感触、手を離すとゆっくりと膨らみ、 もとに戻る緩い弾力を持った「形」を添えたいと思いました。しかし、しっかりと逞しく傍らに居合わせるように。


    サクサベウシオ / 吊るされた石と鉄2013
    自然石、鉄板、鉄パイプ、ステンレスワイヤー、鉄筋
    日常生活の中で重い物といえば石や鉄を思いつくが、その石や鉄は地表にあって安定している物である。しかしそれらをひとたび吊るすか支えるかして空中に浮かせることよって、重力という自然の法則をビジュアルにそして美的に認識させたいのである。


    山添潤 / 残像 -depth-
    砂岩
    森は揺れ動く大きな塊として僕の前にある。大地から切断された石が抱え込む記憶、そして僕が拘わったほんのわずかな時間が森の中で溶け合いひとつになって流れてゆく。様々なものが交錯する森が残す残像は如何なるものであろうか。


    廣瀬光 / 凸と凹の形
    白御影石
    無限に繋がる形のひとつを取り出し、不要なところをできる限り削り落とす、ひとつの大きな結晶のような塊をつくりたい。


    佐藤比南子 / Tension. 風を包む2
    羊毛、ゴム紐、ピン
    目に見えないものを包みたい。前回の展示(2011年3 月) の最中に地震があり、その後次々と起きたことの恐怖は今も尾を引いている。私はこの地で再び作品が創れる喜びを感じながら、この場所に流れる時間を包んでみたいと思っている。


    島田忠幸 / 娑婆
    アルミニウム
    生物のようであり、または未確認飛行物体か薄気味悪い、そんな情況を型値として表したかった。
    なんだかこの時代、予期せぬことが日常になったりする、怖さを感じる。


    金沢健一 / 垂直線上の刻

    数本の木に囲まれたこのひっそりとした場所を選んだのだが、この空間が何を欲しているか、読み解けないもどかしさがあった。おぼろげながらに場の中心点のような所を見つけた時に、時を刻むようにスリットを入れた鉄の角管を垂直に立ててみようと考えた。


    村井進吾 / 黒体-13B
    黒御影石
    手入れの行き届いたこの小さな竹林に、異物を持ち込むと決めた時 からあるためらいは今も続いている。


  • 雨引の里と彫刻2013ドキュメント

    雨引の里と彫刻 2013 ドキュメント

    2012/03/18
    第1回企画準備会
    *7名のメンバーが呼びかけ人となり企画準備会を立上げ、開催についての意思確認と作品設置の安全性について意見交換

    2012/04/15
    第2回企画準備会
    *桜川市の担当の生涯学習課について報告 *会期と設置エリアとプレ展について検討 *新作家の参加について予定を確認

    2012/05/20
    第3回企画準備会
    *会期を決定 *設置エリアについて討議し、候補地を下見 *プレ展について意見交換 *新作家の推薦方法について討議、決定

    2012/06/24
    第1回準備会
    *新作家の推薦 *設置エリアについて再度討議

    2012/07/29
    第2回準備会
    *新作家の承認 *会場ルート案を視察し、設置エリア決定 *議事録の扱いについて確認

    2012/08/26
    第3回準備会
    *自己紹介 *実行委員長、各係の決定 *現在の会計の状況について報告と説明 *参加費の金額を決定 *設置エリアを見学

    2012/09/23
    第1回全体会議
    *実行委員会発足 *展覧会名とサブタイトル、ポスター・チラシのデザインについて討議 *スケジュールについて確認 *助成金、会計、会場管理、プレ展、保険など各係からの報告と説明

    2012/10/28
    第2回全体会議
    *展覧会名称を「雨引の里と彫刻2013」に決定し、サブタイトルについて意見交換 *デザイナーを決定 *設置希望場所調査票を配付 *各種助成金について報告 *プレ展、懇親会、ホームページ、受付など各係から報告と説明

    2012/11/18
    第3回全体会議
    *サブタイトルを再度討議 *搬入出時の警備を検討 *受付、バスツアー、助成金、懇親会、プレ展、会場、各係からの報告と説明

    2012/12/16
    第4回全体会議
    *桜川市との確認事項について報告 *サブタイトルは付けないことを決定 *作品設置の安全について討議 *設置希望場所調査票を提出 *助成金、プレ展、懇親会、ボランティア、会計等、各係から報告と説明

    2013/01/20
    第5回全体会議
    *桜川市との面談内容の報告 *印刷物の記載内容について討議 *ボランティア、プレ展、会計など、各係からの報告と説明

    2013/02/24
    第6回全体会議
    *桜川市の助成金申請の報告 *作品設置希望場所の可否の報告 *プレ展の内容について討議 *各係概算予算について報告 *オープニングセレモニー開催について検討 *ボランティア、懇親会、助成金、バスツアーなど、各係から報告と説明 *ボランティアによる催し「大和撫子庵」の提案を受けた

    2013/03/31
    第7回全体会議
    *作品設置場所の環境整備や、撤去後の原状復帰について確認 *市報、広報、助成金、サインなど、各係から報告と説明

    2013/04/21
    第8回全体会議
    *桜川市の新担当者紹介、マイクロバス・オープニング会場使用について説明を受けた *オープニングセレモニー・パーティについてプラン提示 *プレ展(インフォメーション展)の内容を検討 *会場ルート案を提示 *ポスター・チラシの記載内容報告 *バスツアー、ボランティア、自転車、市報、保険各係から報告と説明

    2013/05/19
    第9回全体会議
    *会場ルート案を全員で回り、問題個所を修正 *オープニング会場の上野沼やすらぎの里キャンプ場を全員で下見 *市の新担当者紹介と協力内容の説明を受けた *ポスター・チラシ、広報、会計、ボランティア、事務局の各係から報告と説明

    2013/06/23
    第10回全体会議
    *会場内のトイレ・駐車場について確認 *「大和撫子庵」「手打そば大好き会」について提案を受けた *桜川市からイベント・ワークショップ開催についての提案を受けた *住所録の更新について *バスツアー、懇親会、受付、自転車、コメント、会計、の各係から報告と説明 *ポスター・チラシの原稿データを確認

    2013/07/14
    第11回全体会議
    *桜川未来塾の協力について説明を受けた *ポスター・チラシの内容修正、印刷部数の確認 *ワークショップについて討議 *印刷物発送先の整理 *懇親会、バスツアー、市報、サイン、キャプション、搬入出、会計、受付、自転車など、各係から報告と説明

    2013/08/11
    第12回全体会議
    *印刷物(ポスター、チラシ等)の発送準備作業 *ワークショップについて、講師作家から内容の説明 *作品、及び搬入出作業時の安全管理について注意 *保険、ボランティア、受付、懇親会、搬入出、サイン、キャプション、市報の各係から報告と説明

    2013/09/08-21
    *作品搬入開始 *重機による作品設置 (09/17) *サインの設置、インフォメーションセンター設営 (09/21)

    2013/09/12
    -11/24
    *インフォメーションのための歴代ポスターとカタログ、及び小作品数点を展示(真壁伝承館)

    2013/09/22
    「雨引の里と彫刻2013」開幕
    *15:30- オープニングセレモニー・パーティ(上野沼やすらぎの里キャンプ場)

    2013/10/06
    第13回全体会議 第1回バスツアー
    *会場内の問題について対応策を検討 *カタログ・コメント、助成金、市報、ホームページ、バスツアー、各係から報告と説明 *ボランティアグループ「大和撫子庵」「桜川未来塾」による休憩所開設

    2013/11/03
    第14回全体会議 第2回バスツアー
    *クロージングパーティについて討議 *カタログ、会計、サイン、ボランティア、搬出の各係から報告と説明 *フォトコンテストについて桜川未来塾から説明

    2013/11/23
    *フォトコンテスト授賞式

    2013/11/24
    「雨引の里と彫刻2013」閉幕
    第15回全体会議
    *カタログの編集・校正

    2013/11/25-
    *会場の撤去 *作品の撤去開始

    2014/1
    第16回全体会議
    *カタログの発送準備 *カタログ発送等を予定

    ■雨引の里と彫刻2013のあらまし
    2012年3月に雨引の里と彫刻展の企画準備会を集会して、次回展開催の是非や、開催する場合の形式、参加作家のメンバー構成等々について協議し、「雨引の里と彫刻 2013」の開催を決定した。
    2012年9月に「雨引の里と彫刻 2013」へ向けての新たな実行委員会を組織し、参加作家全員が実行委員会委員として、展覧会開催に向けての様々な作業を分担した。実行委員会の全体会議は一ヶ月に平均1回のペースで開催し、各係からの報告を受けながら、事案を協議し決定していった。
    2013年9月22日、「雨引の里と彫刻 2013」をオープンし、期間中にバスツアー等のイベントも開催しながら、2013年11月24日に同展を終了した。

    ■実行委員会構成:
    38作家

    ■実行委員会・係の構成:
    実行委員長/副委員長/事務局/会計/会計監査/司会/書記/広報/助成金/プレス/ホームページ/サインキャプション設置計画/ポスターチラシ図録/会場/市報/バスツアー/搬入出/受付/インフォメーションセンター設営/英訳/オープニング/ボランティア/会場管理/懇親会/プレ展/貸自転車
    以上のような作業分担のもとで、「雨引の里と彫刻 2013」は開催された。


  • あいさつ

    photograph SAITO Sadamu


    田園風景の広がる茨城県桜川市は日本有数の石の産地でもあり石材業の盛んな地域ですが、この地に仕事場を構える数名の石彫家達によって1996年、「雨引の里と彫刻」は始まりました。参加作家が地元の協力を得ながら自主運営し、継続してきた彫刻展であり、すでに15年の実績を持っています。近年、地域の活性化の為に多くのアートイベントが開催される中で、作家の地道な活動が人々の中で序々に理解され、さらに地域の活性化への一端につながった希有な例でもあり、彫刻家の純粋な表現活動と社会との関わりを考える上でも示唆に富む展覧会といえます。
    この展覧会も今回で8回目の開催となり、参加作家42名の様々な素材や表現の作品が、年初めの1月から3月の春の訪れを感じるまでの約3ヶ月間、里山や集落などに、設置されました。
    今まで、時候の穏やかな春、秋の開催が中心でしたが、今回、「冬のさなかに」と題し、あえて寒さの厳しい冬の季節を選びました。樹々は葉を落とし、はっきりとした稜線を露にする冬の大地。そこには、春、秋とは違ったもうひとつの美しさがあります。彩度を下げ、冷たく凛とした空気の中で42の作品はそれぞれにどのような身の置き場をみつけ、いかなる風景をつくりだすことができたでしょうか。
    季節の空気を感じ、オリエンテーリングをするように点在する作品群と出会う。その中で発見する日本の里山の美しさ、そこで営まれる地場産業や人々の生活。これらは、展覧会に豊かさや彩りを与えてきました。
    「雨引の里」に呼び起こされた作家たちは、里山の自然や地域の社会環境との接点の中で、表現を模索してきました。そして、年齢、経歴を問わず、お互いの作品に刺激され、この展覧会を自分自身の研鑽の場にもしてきました。
    「雨引の里と彫刻」は、これからも、まさに冬の大地を一歩一歩、踏みしめるように、着実な歩みを見せていくことと思います。

    2011年3月
    雨引の里と彫刻 2011 実行委員会


  • 雨引の里と彫刻2011について

    第1回展を立ち上げた作家達から届いた雨引の里と彫刻展への参加依頼の手紙。その内容は実に熱く真摯だったことを今も記憶している。その趣旨に賛同し私は2回展からこの雨引の里と彫刻展に参加させていただくこととなった。それ以来、雨引の里と彫刻展は作家による自主運営という大変な労力と引き換えに個々の表現行為を尊重するとともに、かたくなまでに理想の美術展のあるべき姿を模索してきた。このあらゆる虚飾を排し、ある意味硬派ともいえる作家達が作り上げる野外展の意味するところは今や大きい。
    以後、2年毎にやってくるこの野外展は自らの表現の可能性を探る場であることの意味もさることながら他の多くの作家、作品と出合い、お互いが刺激を与えあう貴重な機会となった。
    このような経緯を経て会を重ねた第7回展を迎えるころ、私は厄介な病に侵され入退院を繰り返していた。事態は深刻でもはや制作どころではない。病床の傍らにスケッチブックを持ち込むものの、線一本引く気力すらない。私はやむなく7回展の参加を見送った。
    あれから3年。私は雨引に帰ってきた。8回展の作品を出展するために。様々な人に助けられ、生きる欲と作る欲がなんとか私を雨引に導いてくれたようだ。私は作品に相応しい場を求め久し振りにこの美しい里を歩み始めた。古に洞窟の中に絵画を描き、あるいは丘の上に巨石を築いた先人たち。表現とは本来しかるべき場において発生し、その場を探し求めることはヒトが表現を試みる上で根源的に備えている本能にも似た欲求、創造の原点かもしれない。そういえば中学の頃、北陸の山間で育った私は、川に突き出した大きな岩がどうにも気になり、その岩の先端に穴を穿とうと思ったことがある。ろくな道具もないまま3年がかりでとうとう穴を貫通させた。あれがもしかしたら原点か? そんなことを考えながら美しい風景の中を進む。雨引での作品制作はもう始まっているのだ。
    さて、今回の雨引の里と彫刻展。舞台は冬のさなかである。生き物は眠りにつき、人々は家内の仕事に向かう季節。自然のリズムに逆らうように野外展を開こうなどとは、作家の性か、いや実に雨引らしい。
    私はこの3年間厭になるほど寝た。あの忌々しい劇薬のような薬ともおさらばだ。冬の雨引の景色の中に点在する作品を想像しつつ、自分を含め42名の作家と作品にまた会えることが楽しみでしょうがない。

    参加作家 村上九十九


  • 作家のひとこと

    雨引の里と彫刻 2011 冬のさなか に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。


    齋藤徹/アメ・ツチ(庭の様子)
    花崗岩
    通り過ぎてしまいそうな道端に、ぽっかりと空いた寒林。
    誰が愛でるのか? 野の庭。
    モノを配してどう変わる? 野の庭。


    菅原二郎/内側のかたち -10LS-CARPA
    石灰石
    私の作品は四角い石の外側を極力残し、内側を自由な形で空間・量を作ろうとした。その意図は外側の幾何形態と表面及び内側の有機形態のバランスを求めた。手を加えてない部分に着色、彫った部分は素材の色で残し、そのバランスを強調しようと試みた。


    國安孝昌/雨引く里の田守る竜神
    丸太、陶ブロック、単管
    北関東の冬の夕暮れは早い。幾日、ひとり低く赤い太陽を眺めたことだろう。零下30度に育った私には雨引の冬は優しく穏やかで親しげだ。私は、透明な空気のなか田畑を守る竜神をここに立てたいと思った。


    高梨裕理/深い水

    深い所から見上げてみた。


    菅原隆彦/Vortex Form ‘2011

    今回の作品は長さ5.5mの角鋼を数百本使い巻いて創りました。繰り返し巻く事により創られる絶妙な鉄の表情が気に入っています。1つの作品を創るのに時間がかかりますが、そうした過程の中で鉄の表情を感じとったりと、今までとは違った発見がありました。


    山添潤/石の躯体V -塊物-
    黒御影石
    石を彫る その瞬間から石の存在は曖昧になってゆく 石は僕の力 を呑み込みながらその質量を徐々に減らす 力と時間が重なり合い 纏わりつく痕跡 やがてその集積が溢れ出し塊化してゆく 躯をもちはじめた石の確かな存在を感じたい。


    金沢健一/オニムシの夢

    この場所を見つけた時に、1人の女性が土を掘り返し、作業をしていた。何をしているのか尋ねると「オニムシがねえ」と。「オニムシ?」傍らに置いてあったバケツの中にはカブトムシの幼虫がてんこ盛りになっていた。この出来事が作品のモチーフとなった。


    大栗克博/天空へ
    灰色花崗岩
    空の四方を隈なく見渡せる環境に仕事場を移したからか、また年齢からくるものなのか、空を見ている時間が長くなった。目線を上げ、雲の流れや赤く染まる夕焼、飛び交う鳥達などを見ていると、俺の石も少しだけ天空へ押し上げ、パァッと解き放してみたくなった。


    島田忠幸/追うプリニウス・逃げるプリニウス
    アルミニウム、木杭
    闘争本能は、オスの旗印みたいなものだと思う。時代の価値観が入れ替わるたびに、先頭はめまぐるしく入れ替わる。敵を追っていたはずの自分が、その敵とされているのだ。グルグルと追い駆けっこが終わらない。


    井上雅之/A-111
    陶、鉄
    風景を見ていると、何かもともとそこにあったと感じることがあります。それが自然のものか、人が作ったものであったのかを確かに言いあてることは叶いません。残された手がかりを頼りにしてかつての姿を探ってみました。少しばかり樹木の様でもありますが。


    山本憲一/剪定季
    白御影石
    石の塊を「剪定」するをテーマに近年制作しております。「剪定」にはある意味合理的で理不尽な人間の知恵でもあり樹木や果樹の成長にならいなされます。今回の作品では石の割れ肌の表層を内側からたどり繊細さや温度を感じて頂ければと考えます。


    中村ミナト/Tornado
    アルミニウム
    渦巻を見ていると、引き込まれそうな恐怖を感じます。たとえば渦潮や、竜巻や、人の渦、それらの大きなエネルギーを形にしました。


    渡辺治美/Venus
    花崗岩、アルミニウム
    子供の頃から夜空を見ることが好きだった私。時空を超えて無限に広がる空間に旅したくなる。生命体としての自分の存在を知ることができるような気がして・・・。私と宙との距離を縮める乗り物であるロケットを形造る事によって、宇宙の旅人気分に夢を馳せる。


    中井川由季/しゃがんで待つ

    畑が連なる小高い場所に小さなビニールハウスを見つけた。それは以前、作物を実らせるために作られたが、今は使われていない。骨組みだけが残るハウスの中に、何かの訪れをじっと待っている形を置こうと決めた。冬の仕事は力を蓄えて待つことだ。


    廣瀬光/crossroad
    石、鉄
    石を分割する鉄の板はそのまま作品が置かれた空間をも分割する、場所に直接かかわることで今まで見ていた風景にほんの少し緊張感が生まれる、存在する位置や時間によってイメージはさらに変化し、記憶の中の風景がまた交叉する。


    横山飛鳥/光のあるところへ
    木、大理石粉、自然光
    冬から春へと向かういま、光は日に日にその強さを増し新しい季節の訪れを予感させる。早春の光を全身に感じながら、その先にある希望へとまっすぐに歩みを進めてゆく。この林に光が差し込むとき、その一瞬の光により作品は完成する。


    松田文平/六方向の壁
    黒御影石
    地平を這う冬の太陽を、額で受け止めるがごとく。


    大島由起子/気になる木
    本小松石
    気になることを
    器に満たして
    木に生らしてみたら
    気にならなくなった。


    中村洋子/鳥はその時飛びたったよ、ベルックさぁーん。
    木、ステンレスメッシュ
    桜の木の下、あずまやにある大きな鳥カゴ。誰のものかと思うけどそんなことはどうでもいい。ただ、さっき鳥が飛びたったのを見ただけだ。今あるのはそのまんまの鳥カゴと私。何もなかったかのように佇んでいる。


    山崎隆/低い冬
    黒御影石
    犬と散歩をしていると普段より目線が下を向くせいでしょうか、色々と気づかされることがあります。冬の地表にはタンポポやノゲシが低く円形にその葉を広げています。作品「低い冬」ではそんな冬の植物たちからイメージをもらい、石の形としてみました。


    岡本敦生/forest 2011 – Planet
    黒御影玉石
    削岩機(ドリル)で石に穴を開けていきます。それぞれの穴は、石の中心で繋がっていきます。惑星の一部だった硬い石は、穴が貫通する度ごとに、段々と呼吸を始めます。その硬い石の中で生き返った森のカタチを、ひたすら発掘するのです。


    金子稜威雄/私は逆立ちする
    木材、プラスチック、鉄
    逆立ちの苦手な人に逆立ちしてもらうための作品です。両腕を上に伸ばし、天井を支えるように立ってください。写真も撮れるように覗き窓をつけました。


    鈴木典生/寒花
    白御影石
    淋し気に一本の桜の木がある。その周りに作品を置きたいと思った。桜の木とこの作品は無言の会話を交わせるのでしょうか。私は桜の木と作品の姿を想い浮べます。冬時の青空の下…雨の日…曇りの日…
    私が一番見たいのは雪が降り積もった姿です。


    齋藤さだむ/観覧車
    写真
    観覧車には、特別な思いを私は感じている。遠方からはランドマークの役割を果して、ゴンドラに乗れば外界を眺める装置となる。ゆっくり回転しながら上り始めると気分はすこしづつ高揚して、下り始めればそこはかとない儚さを感じさせるのである。


    志賀政夫/Black box は風の色
    陶、鉄、ステンレス・スチール、木
    この黒い箱は、「風の色」を作る装置です。
    あなたは、何色の風が好きですか。
    隙間から覗き込み、上から眺めて、「風の色」を見つけて下さい。
    あなたの「風の色」が、きっと見つかるはずです。


    大槻孝之/重力の森

    「そして林は、虔十のいたときのとおり、雨が降ってはすきとおる冷たいしずくをみじかい草にポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては、新しいきれいな空気をさわやかにはき出すのでした。」宮沢賢治『虔十公園林』より。林へのオマージュとした作品です。


    佐藤比南子/Tension. 風を包む
    羊毛、ゴム紐、ピン
    羊毛の繊維が絡みあい、広がって、まるで細胞が増殖するように一枚の布になる。やわらかく形のない布は、壷を包めば壷の形に、身体を包めば身体の形になる。何にでもなる可能性があるこの布を、引っ張り、ねじり、結んで、雨引の里の「風」を包んでみたい。


    戸田裕介/雲烟過眼(うんえん・かがん)/ 枝宮のための篝(かがり)
    鉄、サイザル麻ロープ、オイルステイン、塗料
    高久神社の境内をよく見ると大小様々な摂末社がある。いずれかに地主神も祀られているはずだが、今では一つとして建立の時期も由来も判らないと聞いた。まして、私がここに彫刻を作った事など人の記憶からすぐに消え去るだろう。儚く尊い今を共有したい。


    和田政幸/Big roll paper

    一昨年、トイレットペーパーの形を拡大して画廊で発表しました。その形をもっと大きく、比率を変え作りました。隣の池には夏一面に蓮の花が咲きます。空と林とロールペーパーあまり関係ありませんが、並んだ粗大ゴミと云う様でしょうか。


    佐藤晃/循環 -外延と内包量
    白花崗岩
    石の塊を割り、外から内、内から外へと彫り込んで行く。再び構築した形の内側には、空洞が生まれる。石の襞の間に、澄んだ冬の光や空気が巡りはじめる。


    田中毅/水守
    黒御影石
    最近、沼の近くで制作しているのを機に、水をイメージした作品を作ってみた。制作している内、自刻像を彫ってるように感じて来た。見通しが良いように、心の窓を開けてみた。


    塩谷良太/Ceramic Cylinder for Images of Water Level
    陶,鉄
    扇沼のわきの林の中に6本の陶の筒を立てました。筒は内側の水平面に水位によってあるイメージを形づくります。例えば筒の1つは上から、<円、ホワイト・マウンテン・サクシフリジ、舞子横顔、人胎児4週、耳、かたつむり、レール断面>となっています。


    藤島明範/月臨環(がちりんかん)1101 -瞑想のトンネルII-
    稲田石
    とてもよく手入れされたクヌギの林である。
    分け入って木々の間を散策すると、妙に懐かしさがこみ上げてくる。
    この懐かしさはいったい何なのだろう。
    私は遠い記憶をたどるために、瞑想のトンネルを置くことにした。


    宮沢泉/形象
    花崗岩
    目前の塊にひたすら鑿を当てハンマーで打ち削る作業です。一打ち一打ち僅かな石片しか削れません。こんなことで何になるのか、何ができるのだろうか。けれどじっくり根気よく繰り返し鑿を打ち続けていくうちに石が何かを帯びていくように感じる時があります。


    小日向千秋/風天
    漆、鉄、麻布、他
    木立の中に風が舞い降り、また立ち去ってゆく。寒さにふるえる木々や鳥たちは、まるで何事もなかったかのように素知らぬ顔をしているけれど、通り過ぎる風の痕跡はいつも新しい風景を描き続けているのだ。


    望月久也/reflections
    ステンレススティール
    折々の陽の運行は、つきつめれば地球の自転と公転という、2つの回転運動の結果で、輝きや陰影というものもその差す角度に因っています。そのような「陽光の移ろい」をイメージしてみました。


    山上れい/Triangulated Circle
    ステンレススティール
    高い空から木立の奥深くまで光が差し込み、足下の落ち葉を照らす。生い茂った緑に阻まれて夏には届かなかった光が、林の隅々まで行き渡る。冬の雑木林は光に満ちていた。ステンレスの円環を設置することで、光を強くはっきりと感じたい。


    海崎三郎/雨引

    自立と依存のはざまで立つ地中と地上をつなぐ一本の線。以前にはなぜか実現できなかったがもう一度作りたくなった。一月の雨引に山の神が降りてくる。翌日、朝もやの中で見た御神木はあぜ道の脇に立っていて、言いようもなく気高く美しかった。あの焦げた斜めの木が背中を押してくれた。


    村井進吾/黒体 1101
    黒御影石
    地表、1.29mの圏界面。


    西成田洋子/記憶の領域2011-F00
    衣服、靴、カバン、コード、針金 等
    かつて近隣の人々でにぎわったであろう建物の一隅。いまは落ち葉が降りしきり、やがてしーんと静まりかえった冬を迎える。そこに佇ずむ一つの生命体。いったい何者だろう?


    槇 渉/アマビキドン
    白御影石
    見えないものが見えてくる、現われては消えてゆく、人はそれを幾度となく経験する。長い時間と力で熟成されて現出するものは、消滅の時も多くの光の欠片を残す。そして新たなアマビキが生まれる。


  • 雨引の里と彫刻2011ドキュメント

    雨引の里と彫刻2011ドキュメント

    2009/07/12
    第1回準備会議
     *次回展の開催を決定し、開催時期や展覧会の内容について意見交換/現在の会計の状況について報告と説明

    2009/09/06
    第2回準備会議
     *会期を決定/設置エリアについて討議/新作家の推薦方法について確認

    2009/11/01
    第3回準備会議
     *参加意思の確認、新作家の推薦/展覧会名の決定「雨引の里と彫刻2011」・英語表記「AMABIKI 2011」
     *芸術文化振興基金に助成金申請することを確認/設置エリアについての調査報告

    2009/12/13
    第4回準備会議
     *新作家の推薦方法について討議し、確認/主な助成金申請の報告
     第1回全体会議
     *実行委員会発足/新作家の紹介/公式ホームページの掲示板やメーリングリストの使用方法について討議

    2010/01/10
    第2回全体会議
     *設置エリア候補地を全員で下見し、エリアを決定/作品設置希望場所の選定と今後の地権者との交渉の進め方について説明
     *各種助成金申請の報告

    2010/02/28
    第3回全体会議
     *桜川市から真壁ひなまつりシャトルバス連携の提案/実行委員長、各係の決定

    2010/04/04
    第4回全体会議
     *桜川市の助成金確定の報告/設置希望場所の提出、今後の予定の説明/シトラスエントランス使用に関する報告
     *参加費の金額を決定/助成金、バスツアー、会計、懇親会、小品展など、各係からの報告と説明

    2010/05/16
    第5回全体会議
     *各区長へ設置希望場所について説明した事を報告/会計、助成金、懇親会など、各係からの報告と説明
     *展覧会の副題を「冬のさなかに」とし、印刷物には副題と展覧会の説明文を載せることを決定

    2010/06/20
    第6回全体会議
     *設置場所許可の交渉結果確認/各施設の使用についての説明と報告、今後の市への要望の申請について討議
     *文化生涯学習課の協力について報告/ポスター・チラシ、会場地域、助成金など、各係からの報告と説明

    2010/07/25
    第7回全体会議
     *展覧会説明文の原案について協議し、修正を依頼/デザイナー決定/印刷物に関する今後の予定説明と部数について提案
     *会期中のシトラスの使用について報告と説明/助成金、小品展の係から報告と説明/ルートを全員で確認

    2010/08/22
    第8回全体会議
     *ポスター・チラシのデザイン、コメント、説明文について討議/ボランティアによる催し「大和撫子庵」について提案を受けた
     *小品展名の決定「雨引の里へ -雨引の里と彫刻 2011 小品展-」
     *ポスター・チラシ、カタログ、コメント、助成金、受付など、各係からの報告と説明

    2010/09/26
    第9回全体会議
     *桜川市とのこれからの協力関係について意見交換/ポスターデザイン案の提示と説明、討議
     *広報、小品展、懇親会、受付、会計など、各係からの報告と説明

    2010/10/17
    第10回全体会議
     *印刷物に関する最終確認/カタログ文章の原稿の決定
     *インフォメーションセンターとしてシトラスの使用が正式に許可されたことを報告
     *助成金、搬入、サイン、キャプション、受付、会計など各係から報告と説明

    2010/11/28
    第11回全体会議
     *印刷物(ポスター、チラシ)の発送準備作業/会計、搬入、小品展、受付、懇親会、サインなど各係からの報告と説明
     *コメント、キャプション、小品展データの提出について確認

    2010/12/24
    -2011/01/15
    関連企画「雨引の里へ -雨引の里と彫刻 2011 小品展-」開催(ギャラリーせいほう/東京・銀座)

    2010/12/26
    第12回全体会議
     *会場内に設置する看板の準備/貸出自転車の整備

    2011/01/04
    会場の設営開始、作品の搬入開始

    2011/01/09
    -2011/01/10
    大型クレーン(25t, 8t)による作品設置

    2011/01/13
    サインの設置、インフォメーションセンター設営

    2011/01/15
    「雨引の里と彫刻2011」開幕

    2011/01/16
     *15:00- オープニングセレモニー(大和ふれあいセンター「シトラス」ホール)
     *17:00- オープニングパーティー(福祉センターあまびき)

    2011/01/23
    -2011/03/20
    ボランティアによる休憩所「大和撫子庵」開設
    ボランティアグループ「三十そば会」*1 「彫刻展を支援する会」による蕎麦実演販売開始
    いずれも、会期中の各日曜日を予定
    「大和撫子庵」(鷲宿交流センター)/「三十そば会」*1、「彫刻展を支援する会」(中根ふるさとコミュニティーセンター)
    *1 丸の中に三の字、「さんとそばかい」

    2011/01/30
    第1回バスツアー(10:00-16:00)バス2台

    2011/02/20
    第13回全体会議
     *カタログ校正

    2011/03/11
    大震災発生

    2011/03/13
    第2回バスツアー(10:00-16:00)バス2台(地震により中止)

    2011/03/14
    地震のため展覧会を閉鎖

    2011/03/21
    「雨引の里と彫刻2011」展覧会閉幕
    2011/03/22
    -2011/04/03

    会場の撤去
     *作品の搬出


    ■雨引の里と彫刻 2011 実行委員会
    2009年に前回展「雨引の里と彫刻 2008」実行委員会を解散し、同年に次回展に向けての準備会を集会して、次回展開催の是非や、開催する場合の形式、参加作家のメンバー構成等々について数ヶ月にわたり協議した結果「雨引の里と彫刻 2011」の開催を決定した。
    2009年12月に「雨引の里と彫刻 2011」へ向けての新たな実行委員会を組織し、参加作家全員が実行委員会委員として、展覧会開催に向けての様々な作業を分担した。実行委員会の全体会議は一ヶ月に平均1回のペースで開催し、各係からの報告を受けながら、事案を協議し決定していった。
    2011年1月15日、「雨引の里と彫刻 2011」をオープンし、期間中にバスツアー等のイベントも開催しながら、2011年3月21日に同展を終了した。

    ■実行委員会構成:
    42作家

    ■実行委員会・係りの構成:
    実行委員長/事務局/会計/司会/書記/広報/助成金/プレス/ホームページ/ポスターチラシ図録/会場/搬入出/サイン計画設置/キャプション/インフォメーションセンター設営/コメント/受付/バスツアー/オープニング/ボランティア/会場管理(警備)/懇親会/小品展/英訳/市報担当
    以上のような作業分担のもとで、「雨引の里と彫刻 2011 冬のさなかに」は開催された。


  • あいさつ

    photograph SAITO Sadamu


    「雨引は2年に一度ですよね?」と毎回展覧会においで下さっている方々から尋ねられることが度々あります。継続するには力が必要です。地域や、何度も作品に触れ、足を運んで下さる人々の理解も大きな後押しとなります。しかし、この問いに少々の違和を感じ「そのように決まっているわけではないのですよ・・」と、「すべて作家の自主的な行いであること。主催者である雨引の里と彫刻実行委員会とは公的機関や企画者で構成されているのではなく、出品者のすべてが自律した個として責任を負い集っていること。この実行委員会は展覧会ごとに立ち上げられ、会期後解散すること。開催の意志も、会場地域や会期の設定、会にかかわるすべての決定と実労を伴うすべての運営を実行委員である参加作家が行うこと。」など長々とした説明を始めてしまいます。
    「雨引の里と彫刻2008」は7回目というよりは7度目の展覧会というのが正しいかもしれません。何事も回を重ねると当初の理想を失い形骸化することが常ですが、10数年経った今、どの「雨引の里と彫刻展」も同じ一つの、ものをつくること、美術を信じる道につながっていると感じます。前回があったから今回があるという意識はいつも参加者にあります。作り手としての姿勢が誠実であればあるほど、見落としてしまいそうな、些細でこぼれ落ちそうで大切な事柄に気づき、それを丁寧にすくいとることができるのだと思います。それらは次の新しい作品に反映されてゆき、展覧会として現れています。
    今回、「第23回国民文化祭・いばらき2008」事業の一つとして行われています。一度は固辞しました。行政事業の一環となることで主体性が損なわれるのでは、との意見からでした。翻し参加すると決定するまでに数ヶ月に渡り議論が交わされました。長年協力を受けた地元桜川市からの要請であるということも重く受け止めた結論です。じんわりと染込むような「雨引の里と彫刻」の有り様への自信の現れです。もちろん慢心に進むべき道がないのは重々承知の上です。
    「雨引は2年に一度ですよね?」
    「まだ、何も決まっていないんですよ・・」

    2008年11月9日
    雨引の里と彫刻 実行委員会
    井上雅之


  • 雨引の里と彫刻2008について

    彫刻の周辺

    何度訪れてもこの里山の風景は美しい。春夏秋冬、その何れもがそれぞれに良い。「雨引の里と彫刻」の作家達の情熱を支えているのはまずはこの風景に違いない。林間を歩いて行くと、少しずつその姿が現れてくる作品。畦道で遠くからだんだんと近づいてくる彫刻。また、道を曲がると突然とあらわれるもの。様々なかたちで点在する作品たちがこの里山の中にある。
    参加作家は1年以上もまえから何度もこの地に足を運び、作品の居場所を探すわけですが、これがなかなか楽しくもあり、また難しい。広い里山の中で自分の作品の居場所を決めるということは、それ自体既に作品の制作が始まっているのと同じことです。設置場所のみならず、作品に出会う道程などもそのまま作品をとりまく空間へのエピローグとなっていきます。作家には広い意味での空間の意識、空気感のようなものが要求されているわけです。多くの作品が設置されている、飾られているというより存在しているという感が強いのは、個々の作家達の空間への深いこだわりの表れといえるのでしょう。
    「雨引の里と彫刻」の最大の特徴はなんといっても自主運営ということに尽きます。この自主運営というものが大変で、作家にとっては非情なまでの負担ともなります。しかし、その自主運営の‘大変さ’と引き換えに我々の得ているものは大きい。自分あるいは自分達で全てを決めて展覧会を催すということは、これはもう作家にとって裸身をさらしているようなものです。裸身になり自分の思いを作品という形で表現できる環境は少なく、作家はどこかでそれを求めているからこその‘大変さ’なのです。
    また、今回の「雨引の里と彫刻」が前回までと大きく異なる点は、茨城県の国民文化祭に参加するという形で行われたことです。自主運営というシンプルな形で続いてきた展覧会が、そのシンプルさを損なうのではないかと作家たちは随分と不安を覚えたものです。参加か不参加か、月一度の話し合いは数ヶ月にも及びました。
    民俗学者の宮本常一の著「忘れられた日本人」の中に昔の農村での‘寄り合い’での様子が著されています。その場景が「雨引の里と彫刻」の在りかたと酷似しており、苦笑をまた禁じえません。昔の農村では、ちょっとした取り決めをするのにも村人全員が納得のゆくまで延々と話し合いを続け、時には夜を徹して何日もそれが続くことがあったそうです。
    「雨引の里と彫刻」もまた「忘れられた日本人」のように時間をかけ、これからもゆっくりとその歩を進めていくことになるでしょう。


    参加作家 山﨑隆


  • 作家のひとこと

    雨引の里と彫刻 2008 に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。


    和田政幸/ゴム

    初めて雨引の里と彫刻に出品します。僕が選んだ場所は、林の中の木立が途切れている所です。屋内と違って、作品の大きさに制限ないので数多く作ろうと思いました。鉄と言っても車のボデェに使われている様な薄い鉄板の貼り合わせです。薄鉄の柔らかい感じが表現できれば良いのですが。


    金鉉淑/DOXAへの行列 08-09
    陶、その他
    始まりも終わりもない行列。
    人間の本質への欲望と完璧への信頼は、
    時には人を惑わす


    山崎隆/Lのあるかたち 2つ
    黒御影石
    形というものはいろいろな関係が支えあってなりたっています。前があれば後ろがあり、表面があれば内面があるというわけです。お互いの関係は複雑に絡み合っていて、眼で見えることもありますが見えないこともあります。そんな“支えあういろいろな関係”のことをこの作品で表現したいと思います。


    宮沢泉/MIDORI
    花崗岩
    ひたすら石に鑿を当てている。
    鑿を打つごとに石に表情が生じ、それに応えるように鑿をあてる。
    限りなく打つ、石片がはじけ飛ぶ。
    その先端には遠い昔の光景や未だ見ぬ光景が瞬いている。


    いしばしめぐみ/ぼくたちのきおく
    F.R.P.
    そこがぼくたちのきおくでいっぱいになると、それはみずたまになってそらへとんでいくんだ、つぎのきおくをうけいれるためにね。
    それでね、とんでいったみずたまはやがてはじけ、ぼくたちのみらいにいろをつけはじめるんだよ。


    安田正子/植物のかたち -木の果実-

    原木を前にすると、ほんの少し手を加えるだけで良いかたちが生まれそうに思うことがしばしばあります。そんな木を寄せて、ひとつの果実を作りました。角材をうめて原木を継ぎ合わせる作業に手間どり、夏を迎える頃には緻密な欅は乾燥して手強い木口彫りとなりました。思いきって、解放された空間に置いてみました。


    井上雅之/A-0810
    陶、鉄
    自然物より「人」が作り上げたモノに強く惹かれる事がよくあります。ここ桜川の風景も「人」の営みに大きく影響されています。土をロクロの上に乗せグルグルと廻す事も「人」の為せる業です。当たり前の高さですと湯呑や花入れになります。しかし、少しばかり度を超えると何やら「おもしろげ」な姿になります。


    岡本敦生/遠い地平
    白御影石、フィルム、土
    広い大地の中にいて半身土に塗れながら、それでもなお行く先の見えない不安が付きまとう。
    でも、内に秘めた希望だけは失いたくないのだ。


    大槻孝之/Circle

    この作品は、実際に作品を設置する場所から発想を得て制作しました。河川敷に立ってまず感じられるのは、空の大きさと、筑波山や加波山に囲まれた、広々とした田園風景でした。これらの風景を作品の中に取り込むことで、その向こう側にあるものを顕現することができるのではないかと考えました。


    大島由起子/雲にのって帰る
    小松石
    長い月日が作品をつくります。
    石は長い月日を受け入れてくれます。
    いかなる時も石は私を冷静に見つめています。
    私はそんな存在に支えられています。


    高梨裕理/水

    畑の向こうに1本の大きな木。
    この辺りには大きな木が多くあります。
    ここに一瞬の動とその後の静を感じて
    みたいと思いました。


    戸田裕介/緑を見上げ落葉を迎えるための柱/樹下の神託
    鉄、石、その他
    ゲートボール場のある西方公園。片隅に、木陰がガランとしていました。何か特別な役割も無さそうに見えた場所では、春には心地よい風が新緑の枝を揺らし、夏には穏やかな木漏れ陽が、秋には落葉がゆっくりと舞っていました。私は、この場所で、密やかに繰り返される無為に、少し大きな声で讃歌を捧げます。


    平井一嘉/場
    赤御影石、白大理石
    今回展示させて頂くお屋敷の入り口の大きな欅と立派な樫の生垣の前のステージに小さな石を置いて見たらどんな風に変わるか、変わらないか見てみたいと思っています。快く承諾して頂いた地主様に感謝しつつ作りました。全体をご鑑賞下さい。


    中井川由季/陽だまりに向かう 丸まりながら休む 重なって暖まる

    何機かの遊具と桜の木、ゲートボール場、その小さな公園は、集落の真ん中にある。そこは近所の子供たちの遊び場なのか、それともお年寄りたちの楽しみの場だろうか。「公園」には、陽だまりが似合う。幸せのにおいがする。そんな私の個人的な思いと希望を、かたちに映して作ってみる、その公園に置いてみよう。場に似合うかな。


    松田文平/充実した空(ku-) (The full emptiness)
    花崗岩
    表現しようとする意図は、この題名に集約されています。fullとemptinessとは、対極する事柄でありながら、自分の意識の置き場所によっては、同一であると言えます。外から見た立場と、中から見た立場は、中も外も感じなくなってしまった心には、同一の立場として映るのでしょう。


    佐藤晃/外延と内包量・VII
    白花崗岩
    ひときわ背の高い欅の木が並ぶ緑に囲まれた屋敷の裏庭がある。大木は巨体を誇示する訳でもなく優しく境界を守っている様であった。内側から見上げると、枝は外へ向かって開かれ、葉の輪郭は空へと消えてゆく。整然とした心ひかれるこの庭の中に、樹木や空と戯れる様な形を造りたいと思った。


    志賀政夫/「風の色」のパズル
    陶、鉄、ステンレス・スチール
    いつの日か人影が途絶え、静かに時の過ぎる日々。
    旧東飯田駅プラットホームには、刻まれた時間が過ぎて行く。
    わずかな色が、風に乗せて、振り向きもせずそっと置いて行く。
    風の色がパズルの様にさまよい、遠くを見据えているのだろうか。
    私は、プラットホームに足をとどめている。


    村井進吾/黒体
    黒御影石
    この黒い石の表面は外部であり内部である。


    小日向千秋/Figuration
    漆、鉄、麻布、砥の粉、ステンレスワイヤー
    かたちがあるようでかたちのないもの。かたちがないようでかたちがあるもの。たとえば燃える炎。たとえば立ち上る煙。
    かたちがあるようでかたちのないものをかたちとしてこころの目に映しとりその瞬間を両の手で再現してみる。
    黒い影のように存在するそのかたちは風の中で止まった時をかたちづくる。


    山添潤/塊のかたち
    大理石
    石を見つめ、石を彫る。砕け散る一片、残される跡。
    手から伝わる反発を感じながら思う。
    この一打はどこまでとどいているのか?どこまで響いているのか?
    沈黙する石。
    石が守り続ける沈黙を破ることができたらと思う。


    廣瀬光/水平孔・鉛直孔
    御影石、ヒューム管
    土管、正式にはヒューム管は地中に埋没され汚水廃液などを流す道となる。スーパーマリオには「土管の世界」というのがあるそうだが、漫画「ドラえもん」のほうがなじみが深い、よく空地に3本積まれている場面が描かれ主人公のび太が昼寝をしたり隠れたりする、この空洞は現実から離れた別空間になる。


    海崎三郎/能力 I

    熱が作り出したわずかな深さと空間。
    かき消すことで現れる一瞬という際。
    目覚めようとする負の無垢性に、鉄も私も試されている。


    國安孝昌/雨引く里の花環(かかん)
    丸太、陶ブロック、鉄管
    何度も雨引を訪れていると、変わるものと変わらないものが理解できる。移りゆくものの中に変わらないものがあり、移りゆかないものはやがて消滅する。静かに変わらないものを見つめ、刹那に捉えてみたい。残ることはなく残せるものもない。充分に長い時間、循環と繰り返し、私はひとつのことすら満足にできていない。


    西成田洋子/記憶の領域2008
    廃材、布、新聞紙、鉄等
    約50年前、ギリシャ神話とリオのカーニバルを題材にしてつくられた映画「黒いオルフェ」。その冒頭で、子供が紙で作ったと思われる太陽を空高く飛ばすシーンがある。丸く黄色いそれはリオの街の上をひらひらと所在無げに漂っている。私の大好きな場面である。なんとも稚拙なのだが楽しい。そんなものができたらと思う。


    齋藤さだむ/ひかりのなかで
    写真
    雨引の展覧は、毎回展示空間エリアが変わり、参加者はまず適切な場所選びから始まる。その意味ではすべてがインスタレーションであるといえる。はじめて参加する私が選んだ場所は、漆黒の闇を感じさせる空間である。人類は闇を侵略し明るい場所を文化の証としてきた。さて、私はこの空間とどのように結ばれるのだろうか。


    山本糾/クイックシルバー 11・12・13
    ゼラチンシルバープリント
    写真の場所は何処にあるのだろうか。われわれがものを見る視線とものがわれわれを見つめ返す視線が交わるところに写真の場所はある。われわれは自分の意志で対象を選んで写真を撮っていると思っているのだが、本当はものの方がわれわれを選んで写真を撮らせているのである。


    中村洋子/パビリオンでTHAI-LANDの話をしよう
    木、ステンレスメッシュ
    今春、タイ王国を初めて訪れた。それが動機となっているのだろう。この旧パビリオンがもつ、内のような外のような場を生みだす構造と、周囲の景色を浮きあがらせたり、隠したりする様相に興味をもった。このような空間に[浮遊]と[入れ子]の関係を仕組んで、保存されてきたこの建物を再構築しようと思った。


    山本憲一/剪定季
    白御影石
    石を剪定するをテーマに近年制作しております。今回は剪定された樹木の断面に着目しました。石に切り込んだ断面と景観を一緒に覗き込む事でそこから発見できる芽吹くまでのかすかな生命力を見るきっかけになればと考えます。合理的で理不尽な合い反する仕組みによって生まれる偶然の調和をこの景観から感じて頂きたいです。


    齋藤徹/天壌「瓶型」
    大理石
    記録的な集中豪雨が続き、日本の各地で住宅が浸水水没という被害に見舞われている。私のアトリエの隣家も被害に遭われ、他人事とは思えない緊迫感を覚え、改めて自然の力に驚かされました。そして今回私が制作していたのは、瓶のようなものなのです。隣家の被害を目にして少しばかり考えてしまいました。
    程よいバランスで、恵みはいただけないものなのでしょうか?


    中村ミナト/風と箱
    アルミニウム
    これは風の箱である。遥から吹く風を捕まえようと思った。いくど掴んでも跳ね返り逃げていく風。もうこの黄色い箱に収めようとするのは止めよう。山にでも平原にでも、好きなところに行くがいい。


    島田忠幸/隠し砦の・・・
    アルミニウム、布、鉄、木
    むきだしの岩盤の壁、散乱する大きな石、この荒々しい風景に作品を置いてみたかった。
    環境条件によって作品の見え方は大きく変化する。この場所だから出来る事がありそうな気がした。


    菅原二郎/内側のかたち 08-3 ORGANO
    黒花崗岩
    外側を幾何学的な単純なかたちとして認識し、内側を幾分複雑で有機的な形で形態を追っていく、という考え方で作品を作っています。また色についてはオレンジと白という日本の神社などで古来より使われている、言って見れば私にとって日本の色、そして今回のテーマカラーという認識のもとにこの色を使いました。


    横山飛鳥/ここから
    木、その他
    草原をゆらす風、見上げれば遠く広がる空。
    時に立ち止まり、またある時には振り返りながら
    ここから、この道を、また歩いていきたいと思います。


    古川潤/道の記憶
    黒御影石、鉛
    その黒く傾いた建家は今は使われること無く、ひっそりと佇んでいました。その脇にあった小さなスペースには、草むらに埋もれて錆び付いたリヤカーが一台。聞くと、そこはかつて屋敷へ通じる馬の道だったそうです。そして私が作品を置くことでその道に新しい記憶が書き加えられる事を想像して、少し嬉しくなりました。


    槇 渉/想像の泉
    黒御影石
    この作品は、刻一刻思い巡らす時の経過を大きな要素と考えます。背を向け帰途、心静かな充実感は望めそうにないが、ふと振り返る、そういう場を想定します。


    大栗克博/鳥 925
    黒花崗岩
    自然が生命を閉じる晩秋に会場を見て回った。山里は、静寂を迎えている。遠く雨引観音からは昼を告げる鐘の音がのんびりと聞こえた。とその時、その場からたくさんの鳥達が、羽音をたてて空に飛びたった。いろんな命を育んでいるんだね山のふもとの休耕田。それでは、私の作品もどうかひとつ。


    山上れい/Ring・Ring・Ring
    ステンレス
    5回展から、リングを基本にした作品を出品しています。これまでと違う環境に作品を置いてみたいと考えて、今回は千勝神社脇の林を選びました。
    仄暗い林の中、高い木々の間から光が差し込む小道。木漏れ陽を集めて、リングの奥から光が放たれることを願っています。


    藤島明範/月臨環(がちりんかん)0809 – 瞑想のトンネル
    稲田石
    四角い環状の石は、この扇状地の地霊と何を語り合うことできるか。あるいは瞑想の装置としてあることができるか。ひとつの四角い石を分割して考えたことです。


    田中毅/周遊犬
    黒御影石
    祭りが近付いた。
    大きなけやきの下では、自分たちも参加しようと、
    神社や山を守る犬たちが、林の中から現れた。
    いろんな犬たちが、木の回りを回って遊んでいる。
    今度は、山車を引っぱるのを手伝ってもらおうかな。


    鈴木典生/Stone Capsules -境界- ’08
    白御影石、土
    石の内側をくり抜き、土を詰め込みわずかな穴をあけました。外気と接触している穴からそこに存在している生命体が入り込み宿ることにより、不動で見えない力を内包している石が日々変化する存在となります。日常の中にとけ込みながら以前にはなかった『場』を獲得し、ひとつの風景となるでしょう。


    望月久也/呼吸・雨引
    ステンレススチール
    呼吸は生命活動の基であるとともに、人生の始終ともいえます。作品のある場所は、かつて鉄道のホームでした。そこに残る桜は、往時も今も呼吸し続けています。
    この作品は、存在が移ろう印のようなものです。


  • 雨引の里と彫刻2008ドキュメント

    雨引の里と彫刻 2008 ドキュメント

    2007/4/1
    花見会*「雨引の里と彫刻2006」のメンバーが集まって、今後の雨引について雑談

    2007/4/29
    第1回準備会議
    *桜川市から国民文化祭説明と展覧会開催の依頼を受け、討議する *展覧会名の決定「雨引の里と彫刻2008」・英語表記「AMABIKI 2008」

    2007/5/27
    第2回準備会議
    *国民文化祭企画委員会からの報告、提出資料について討議 *展覧会名の決定「雨引の里と彫刻2008」・英語表記「AMABIKI 2008」

    2007/6/4
    第1回全体会議
    *参加意思の確認、新作家について検討 *国文祭企画会議の報告と予算等についての話し合い

    2007/8/5
    第2回全体会議
    *国民文化祭企画委員会からの報告 *参加作家の確認、新作家の推薦 *設置エリア候補地を全員で下見

    2007/9/9
    第3回全体会議
    *設置エリアについて討議し決定 *実行委員長の決定 *新作家の紹介

    2007/10/4
    第4回全体会議
    *設置場所の候補地と今後の交渉の進め方について討議  *各係、担当について検討 *デザイナーの決定 *国民文化祭企画委員会企画会議の報告

    2007/11/18
    第5回全体会議
    *設置場所の決定と資料の提出について説明 *実行委員会の各担当、係の決定  *ホームページの掲載内容について係から提案

    2007/12/16
    第6回全体会議
    *設置場所決定の今後の予定について報告 *市役所文化課からの提案で美術研究部会担当係を設置 *小品展、受付、ボランティア、会計など、各係からの報告と説明

    2008/1/17
    第7回全体会議
    *設置場所の交渉結果について報告 *予算についての報告と討議 *地域広報、小品展、連絡網、美術研究部会など、各係からの報告と説明

    2008/2/24
    第8回全体会議
    *設置場所の許可について確認 *予算、会計、会費などについて報告 *印刷物のスケジュール、写真撮影、印刷所について討議 *バスツアー、シャトルバス、美術研究部会、地域広報など、各係からの報告と説明

    2008/3/30
    第9回全体会議
    *ルート案の提示と討議 *バスツアーの日程を決定 *小品展の詳細について討議 *国文祭企画委員会の報告 *会議終了後、花見会(雨引駅)

    2008/4/20
    第10回全体会議
    *国文祭の担当となった文化生涯学習課の担当者の紹介 *サインの設置箇所、注意表示の必要性などを考えながら全員でルートを下見 *市報への今後の掲載予定について報告

    2008/5/18
    第11回全体会議
    *ポスター、小品展DMのデザイン案の提示と説明、討議 *ルートの変更と自転車ルートについて説明 *美術研究部会について現状の報告 *ボランティアによる催し(大和撫子庵)について提案を受けた *プレス、サイン、バスツアー、懇親会、受付、会計、印刷物など、各係からの報告と説明

    2008/6/15
    第12回全体会議
    *ポスターデザインの決定と記載内容の確認 *その他印刷物の見積額の報告とデータの締切日の確認 *美術研究部会、オープニングセレモニー、会場管理、受付、撫子庵など、各係からの報告と説明

    2008/7/27
    第13回全体会議
    *展示場所の変更について *国民文化祭実行委員会事務局より報告 *印刷物(ポスター・チラシ)の原稿確認と校正 *小品展の搬入搬出について報告、DMの発送作業 *サイン、地域広報、搬入搬出、懇親会、コメントなど、各係からの報告と説明

    2008/8/18-23
    関連企画「雨引の里へ」(雨引の里と彫刻2008小品展開催
    ギャラリーせいほう/東京・銀座)

    2008/8/31
    第14回全体会議
    *印刷物(ポスター、チラシ)の発送準備作業 *会場内に設置する看板の準備 *コメント、キャプションの提出について確認 *保険、オープニングセレモニー、受付、地域広報、搬入、取材、貸し自転車など、各係からの報告と説明

    2008/9/14
    会場の設営開始、作品の搬入開始

    2008/9/23
    大型クレーン(25t, 8t)による作品設置

    2008/9/28
    雨引の里と彫刻2008 開幕
    *11:00- オープニングセレモニー(大和ふれあいセンター「シトラス」ホール)
    *11:30- ティーパーティー(大和ふれあいセンター「シトラス」レッスン室)

    2008/10/5-11/30
    ボランティアによる休憩所「大和撫子庵」開設、10月26日を除く会期中の各日曜日(花の入公園内) ボランティアグループ「手打ち蕎麦大好き会」による蕎麦実演販売開始、 11月23日を除く会期中の各日曜日と10月13日・11月3日の祝日(東飯田公民館)

    2008/10/12
    第1回バスツアー(10:00-16:00) バス2台

    2008/11/1-9
    第23回国民文化祭・いばらき2008 -常世の国こくぶん祭- 開催

    2008/11/9
    第2回バスツアー(10:00-16:00) バス2台。 *図録編集開始
    第23回国民文化祭・いばらき2008 -常世の国こくぶん祭- 閉幕

    2008/11/30
    雨引の里と彫刻2008 終了

    2008/12/1-14
    会場の撤去、作品の搬出開始

    2008/12/21
    第15回全体会議
    *図録の不良により返品

    2009/1/11
    第16回全体会議
    *図録発送、雨引の里と彫刻実行委員会の解散、準備委員会の発足

    雨引の里と彫刻 2008 実行委員会構成
    2007年初旬、桜川市より「『雨引の里と彫刻』展を2008年に開催される国民文化祭茨城のイベントの一つとして開催して欲しい」と打診を受けた。同年4月に第1回展覧会準備会議を招集。桜川市の申し入れについて、前回展のメンバーで話し合いを始めた。話し合いの結果、同展が今まで継続してきた開催方式を変えないことを条件に、国民文化祭茨城の中のイベントとして展覧会を開催することに同意。 2007年6月、「雨引の里と彫刻2008」開催に向けて、参加作家全員が実行委員会を組織し、開催までの16ヶ月間、毎月1回のペースで実行委員会全体会議を開き議論を重ねていった。そして2008年9月28日、国民文化祭茨城桜川市事務局と共に展覧会を開催し、2008年11月30日に同展を終了した。

    実行委員会構成:42作家
    実行委員会・係りの構成:
    実行委員長/事務局/会計/司会/書記/広報/助成金/プレス/ホームページ/ポスターチラシ図録/会場/搬入出/サイン計画設置/キャプション/インフォメーションセンター設営/コメント/オープニング/受付け/バスツアー/ボランティア/会場管理(警備)/懇親会/小品展/写真記録/情報管理/市報担当/国民文化祭担当/地元小中学校美術研究部会担当
    以上のような作業分担のもとで、「雨引の里と彫刻 2008」は開催された。


  • あいさつ

    photograph SAITO Sadamu


    東に筑波山を望む茨城県中西部の桜川市一帯は、筑波山に連なる山々から良質の白御影石が採れ、石材業の盛んな地域です。1996年に地元で制作を続けていた数人の作家たちにより「第1回雨引の里と彫刻」は始まりました。展覧会は、季節と地区を変えながら6回目の「雨引の里と彫刻2006」が先月、無事終了しました。振りかえってみると今年で11年になります。出品者も今年は44人と、大きな会になりました。交通の不便さにもかかわらず観覧者の数も増え、はるばる遠方からこの展覧会を聞きつけて来てくださる人もいます。昨年の10月には、町村の合併により開催地である大和村は桜川市となり、引き続き市の協力や地域のボランティアの協力を得て、少しずつ「雨引の里と彫刻」も社会に認知されるようになってきました。
    「雨引の里と彫刻」が今日まで続けてこられた要因は、周辺地域の方々の協力はさることながら、この会の出品者の一人一人が実行委員であり、作家の自主運営によって行われているからでしょう。月1回のペースで行われる実行委員会の会議で熱い討議を重ね、その上にこの展覧会は成り立っています。展覧会の1年以上前から、地区の設定や作品の設置場所選び、会期、会場ルートなど、もろもろのことが1から決められていきます。「第5回雨引の里と彫刻」のあと、今回の展覧会の名称は「雨引の里と彫刻2006」となりましたが、このことも、会の在り方について根本に立ち返って討議した結果です。このような討議を持つことで自分の展覧会であるという責任と意思を一人一人が持つからでしょう。もう1つの要因として、この展覧会は、会場地区の地権者の方に協力して頂いて行っていますが、それは単に作品を展示するためのスペースや借景として畑や林を貸していただいているのではなく、農業と石材業を営みとした生活の場の中に、彫刻、美術を関わらせて行きたいという欲求をみなが持っているからです。里山の自然豊かな大和地区ですが、曲がりくねった畦道ひとつとっても、農業を中心とした長い歴史の中で人の手によってつくられたものです。私たちの作品は、ゆっくりと生きづいているこの町のさまざまな物事や事象から触発されて生まれたものです。
    日本の風土、生活環境の中に、彫刻が根ざしていけるかどうか、地域社会の中でどんな役割を担うことができるか、これからの課題もあります。前を見据えて一歩ずつ歩んでいくことの大切さを以前にも増して感じています。そして、「雨引の里と彫刻2006」の会期が終わった今、それぞれの作家の思いを詰め込んだ、この風景の中での作品は、カタログの中にしかありませんが、彫刻の形をなぞった風は多くの人々の心に届いていくと信じています。

    2006年7月1日
    雨引の里と彫刻 実行委員会
    大槻孝之


  • 雨引の里と彫刻 2006について

    雨引の青年たちは何処へ

    「雨引の里と彫刻2006」は4月1日の桜の開花の時期と共に始まり、やがて色鮮やかな緑が芽吹き、徐々にその緑を濃くしてゆく梅雨直前の6月4日に終了した。2週間後にはすべての作品は撤去され、雨引の里にはいつもの静かな時間が流れてゆく。
    4月から5月という時候の良さや新聞各紙に展覧会の模様が掲載され、またテレビ、ラジオに放送されたこともあり、芳名帳だけでも前回の1.5倍の1500人の名が記されている。会期中のイベントのバスツアーでは、定員を多く上回る参加申し込みがあり、2回目のバスツアーは定員を増やし、更にバスをもう1台増やしたものの、断りを入れる程の盛況ぶりであった。各日曜日にはボランティアによる「大和撫子庵」の休憩所、お茶のサービス、また「手打ち蕎麦大好き会」の蕎麦実演販売もあり、全長約15キロの展覧会コースを回る人々に息継ぎの場を提供してくれた。関連イベントとして4月24日から28日まで東京のギャラリーせいほうで「雨引の里から」と題しプランニング展を開催。44人の作家の作品のプランや小品を展示し、短い期間であったがサテライト・ギャラリーとしての役割を担った。
    すべての作品が撤去された現在、この里山に、そして人々にどのようなものを残すことができたのだろうか。44人の参加作家の中にはいまだ冷めやらない熱い何かが残っているようだ。
    10年程前、石の産地であるこの地を制作の場とする7人の石彫家により、「第1回 雨引の里と彫刻」は始まった。町や村が主催するのではなく、彫刻家が自主的に運営し、展示場所を自分で探し、地権者の許可を得、その場との対話のなかで制作、設置する形態の展覧会として。このことは展覧会の基盤として現在まで踏襲され、また、展覧会の特徴にもなっている。里山や集落の風景は美しい展示空間としても、また地元の人々、地域社会との関わりといった社会的空間としても、彫刻家を誘発した。美術館、画廊といった空間は、あらかじめ見ることを前提とし、どのような作品であれ、美術として自明のものとして守られる。しかしこの場では、地元の人々との美術に対する認識のギャップから、彫刻家たちの活動は時に奇異に見られ、誤解され、無視されるといった風雨にも曝される。このような体験は、各作家が今一度、自分の作品を振り返り、また美術の在り方を再検討する機会となったのである。各回ごとに参加作家の数が増え、44人の大所帯となった今も、美術や彫刻の存在意義を自分の中で問い直すきっかけとなるものをこの雨引の展覧会は有している。
    場所選びからすでに作品制作は始まっている。どのような場を選び、そこに何を読み取り、その場といかなる関係を結ぶのか、それは各作家の目と思考そのものの現れである。同じ場所であっても各作家により、全く違う視座を持つだろう。それは作家どうしのお互いの新たな発見となり、刺激となる。いい意味でのライバル意識がうまれてゆく。多くの団体展、グループ展が年月を経ることで、はじめの理想や緊張感が失われ、形骸化している現在、10年経った今でも、このような意識が失われず、グループ展としての理想の形を保持しているのがこの雨引の展覧会ではないだろうか。それは雨引の里という場が持つ力なのだろうか。あるいは自主運営と言う形で保持された作家の意志、欲望と言い換えてもよいものなのかもしれない。
    とはいうものの、多少のほころびと惰性を感じた前回展からの仕切り直しとして今回の展覧会は動き始めた。町村合併により大和村から桜川市への移行も一因であるだろう。展覧会開催の有無、展覧会名称の問題だけで約3回の会議がもたれた。より良い展覧会にしてゆく為に、今までの反省点、問題点をひとつひとつ検討していった。約1年前から、毎月一回定期的に会議は開かれ、必要事項が決定されていく。各作家それぞれが各係に着き、年齢やキャリアなどに関係なくこの展覧会に対し等しい責任と義務を担う。毎月の会議は各作家の気持ちを徐々に高揚させ、連帯を深める儀式であるのかもしれない。このような準備の末、ポスター、案内状の発送を最後に、今回の展覧会は「雨引の里と彫刻2006」と、名称も新たにオープンした。
    結果は冒頭で書いたように今までにない成功をもたらした。
    場の特性を生かした作品が多く、これまでにない場への作家の目と思考が感じられる力作が多かった。春の爽やかな風の中を自転車で回られた方は、そのことを体感していただいたのではないだろうか。何人かの作家にとっては今後の重要な展開を示す作品になったであろう。
    バスツアーは作家のトークもあり、欠かせない人気イベントとなった。
    各マスコミの批評も今までの「彫刻家が手弁当で展覧会を実施」という記事から各作品を言及した批評になっている。また「場との関わりが借景的である作品が多く、地域社会との関わり方で物足りない」という批判的な記事もあったのも事実である。
    2ヶ月の会期中に、周囲の環境は刻々と変わっていった。5月に入ると田圃には水が張られ風景は一変した。いっせいに農作業の音、蛙の鳴き声が聞こえ始めた。緑は濃くなっていった。環境の変化は作品の見え方や在り方にも微妙な変化をもたらした。野外展示のおもしろさと同時に、改めて日本の風土の中で人々の生活と自然が作り出した里山の美しさや豊かさに目を向けるのであった。
    また地元の人の行為が思いもかけず作品空間を変えてしまう出来事もあった。例えば、5月の初め、大和駅舎内に設置されたテーブルの作品の背後に市民ギャラリーと称してパネルが立てられ写真展が開催されてしまったこと。これは以前からの無人駅の環境を改善したいという、行政と地元の人の行為であり、雨引の展覧会をきっかけに行動してしまったことであるが、作家の意図した駅舎の空間の意味が変わってしまい、撤去していただいた。作品に対する理解や認識の溝を埋めることの困難さを感じた出来事であったことを報告しておこう。
    展覧会最終日の打ち上げの席で、実行委員長の菅原二郎は今回の成功を讃えながら、次のようなことを語った。「やっと、まともに批評され、また批判される段階にたどりついた。それは10年間の地道な活動がどうにか理解され、根付き始めたからこその批評、批判であり、そのことを真摯に受け止めていく必要があるだろう」と。
    その夜、今回の展覧会で起きた幾つかの問題について皆で語り合った。展覧会の成功とは裏腹に各作家の展覧会への関わりの温度差、桜川市との関わり、メール連絡よる作家間の意志の疎通の問題、地元の人々との美術に対する考えのずれから起きる様々な問題について。かなり酒も入っていたが。
    この展覧会の持つ純粋さや熱さは青年期特有のものに感じられる。
    雨引における各作家の愚直なまでの作品や展覧会への取り組みは、きわめて個人的な表現欲に支えられている。今、その個人、個人の営みの集合が地域社会において無視できない文化活動になりつつある。
    青年期から次の段階へ成長してゆくその起点に僕たちはたたされた。
    個人の表現と社会との関わりの中で、僕たちはどのような方向に向かうのか、また何回も語り合うことになるだろう。

    参加作家 金沢健一


  • 作家の一言

    雨引の里と彫刻 2006 に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。


    山添潤/刻0602 stage-1
    力は石へと向かう 力は石に残され刻まれる 刻まれると同時にそれに反発しそこに留まれなかった結果として砕け飛び散る外へと向かう力が生じる
    その外へと向かった力を再び石の中へ向かわせる作業を試みる その一打一打にこの身をゆだねてみる その一打一打に石は包まれる


    望月久也/月下点-06
    「月下点」とは月を天頂に戴く地点のことで、回帰線より北に位置する日本では本来存在しません。ましてやこの会期中、月の上がる角度は夏至に向けて徐々に低くなって行きます。とはいえ、設置された「場」の印象では月は真上に昇ります。作品は月と人を結ぶ一つの「目印」であり、月を継ぐ「宿り」でもあります。


    村井進吾/DARK / D 0604, D 0605
    集落を廻るゆるやかな坂道の途中にがらんどうの闇がある。


    中村義孝/雷神
    山懐にいだかれた場所で雷にうたれた木を見つけました。その痕跡を見て、自然界のエネルギーの凄さに驚くと同時に、その瞬間を想像してしまいました。


    中井川由季/風が抜ける場所、雨粒を集める、転がり落ちる
    続く山並みの縁(ふち)、池と田畑がそのくぼみに集まっている。手に取ることの出来ないもの、刻々と変わり行くものに魅力を感じ、その一部や動きを「あるかたち」に止めたいと制作を試みました。作品を置く場所もまた、刻々と変わっていく自然の只中にあります。作品に開けた穴からも、その変わり行く様が覗けるでしょうか。


    井上雅之/A-061
    土を数メートルに積むことは、さほどの時間を必要としません。しかし土を積むといった些細な行為の中において立ち現れてくる、意図する意識と、意識の底に広がる意識化できない世界とのせめぎ合いが、人の営為の本質的で重要な骨格を成していると考えます。せめぎ合った総量が「つくりもの」の存在理由を保障します。


    高梨裕理/雪消(ゆきげ)
    春が来る。
    寒いと思っていたら春になっていた。
    2006年3月


    山上れい/Ring・Ring・Ring
    新緑のさざ波が打ち寄せる入江のような場所。その奥に小さなステージを見つけた。青く澄んだ空の下、田畑を渡る風とともに歌を歌いたい。


    古川潤/Weighing The Earth(1気圧の偶然)
    数カ月前、東京タワーに上る機会がありました。幼少の記憶とは違った景色が展開していたことは言うまでもありませんが、むしろそれより赤い鉄骨に支えられた仮の地面の上で繰り広げられる人間のドラマに昔と変わらない匂いを感じ、妙な安心感を覚えました。


    渡辺尋志/虚と実
    道の終わりがあった。たぶん数年後には、形も人の記憶からもなくなってしまうだろう。実在していたはずの道。
    実在することとは形なのか記憶なのか。
    形あるものと形を創るものの真実は?


    國安孝昌/雨引く里の竜神の塔
    羽田山の南に向く斜面からは、遠く富士まで広がる関東平野の田や畑の景観の西に、赤く美しい夕日が沈む姿が 印象的です。山々の縁(へり)、平野の始まるこの稲作の地に、雨を護る馮代(よりしろ)としての龍神の塔を作りたいと思います。私の彫刻にはいつも、目に見えない、大いなる何かが気配される願いを内包しています。


    サトル・タカダ/沈黙への移行
    沈黙は荒野を必要とする。世界の始まりは沈黙から生まれ、過去、現在、未来が一つの統一体をなして併存している。エレベータが瞬間に静止している時、そこに沈黙が存在する。


    村上九十九/神狼
    人はその昔、まほろばの地にも真神の疾走を見たであろう。
    「遠い彼方で狼がとびまわっている。眼だけが闇の中で燃えている。両眼星の如く輝く青きガラスの眼で。」
    たぶん今でもこの先には姿の見えない送り狼がいるかも知れない。


    藤島明範/瞑想の部屋-0604
    作品を設置した羽田山一帯の地下は6千万年前に形成された稲田花崗岩の岩盤。この岩盤のひとかけらを中腹の草地に置かせてもらった。四角い石からすぽんと石を取り出して作ったのは大小2つの部屋。瞑想のための部屋である。地球の地殻運動で生まれた花崗岩の胎内で、静かに瞑想してみよう。


    松田文平/狭間(はざま)
    越えようとしている領域は、すぐ目前かもしれないのに深遠なるディスタンスを感じている。突き貫けてしまえばまた同じように領域を求めるだろうに。


    平戸貢児/CULTIVATION
    行き止まりの道を見つけた。正面は森…後ろを振り返ると、今歩いてきた真新しいアスファルトの道が続いている。森は、先に進もうとする道を忽然と、当たり前のように塞いでいる。奇妙な空間だった。自然と人のエネルギーが凝縮したこの場所は、なにか次のエネルギーを培養するのに充分なモノの気配を感じた。


    小日向千秋/光のあつまる場所
    薄暗く湿った森の中の小径を抜けると、ぽっかりと陽光のあたる場所に辿り着く。光の雫が空から降り注ぎ拡散していく様は、あたかも森に活力を与える養分が渾々と湧き出る光の井戸のようである。森の中の秘密の場所に、光があつまっている。


    グループ・RA(佐治正大及びメンバーズ)/明日に向かって
    いち早く 行動を開始した たくさんの動物たち ゆっくりとでも確実に 前へ前へと理想の地を想って森の奥深く 私たちの知らない 新世界へ旅立つ そこには 平等ないのちがある
    そして 共に生きると言う 意味の大切さがある
    動物たちは私たちに それを伝えようとしているのです。


    志賀政夫/Black boxは風の色
    大和の里まほろばに、6個のBlack boxはそっと置かれます。
    そこは、記憶の途中であるかのように、風が流れます。
    そして、森はささやきます。太古の響きが始まります。
    そっと、色を置いて行きます。Black boxは風の色。


    大栗克博/息吹・芽吹き・響き
    四月の声を聞くと里山は、活気に満ちあふれる。草木は、芽をふくらませ 鳥は、巣づくりに励み 虫は、殻から這い出し羽を広げる。
    芽吹きの季節に息吹きあるものが、天空に向け今はじけようとするさまは、おおいに私の小さな心に響くものです。


    島田忠幸/romantic love
    風景の中で消えて見えなくなる作品を作りたかった。
    彫刻の存在を否定するわけではないが、ひそやかに秘めた片思いの恋とか、隠れた危険な関係など日常を超えるものを夢みた。
    暮れない日がないように、明けない夜もないだろう。
    情熱をやしなう糧(かて)をくるしい沈潜の秘密の中に感じた。


    山崎隆/春
    ずっと前から此処に自分の彫刻を置きたいと思っていた。
    そうしてこの場所に惹きつけられるうちに、素材や形態、題名も何時の間にか決まっていたような気がする。
    春の季節に敢えて「春」という題名の作品をこの場所に置いてみる。


    海崎三郎/花
    鋪装された道と土の道、両方とも緩い上り坂で姉妹のようによく似ている。
    切り通しの空間をなるべくそのまま見せたいと思い地面すれすれに2点の作品を置くことにした。
    この厚みのない2つの鉄は熱によって咲いた花である。
    自分の意志と鉄の意志の半々のところで咲いた花である。


    佐藤晃/枠状の石-外延と内包量XI、柱状の石-外延と内包量XII
    奥に続く小高い山は枯れた木々で被われてその山肌を顕わにしている。おびただしい数の裸の幹は揃って垂直に伸び上がり、まるで山の気が立ち登っているかの様であった。表層の果てしない拡がりと粗密の度合。一つひとつの連なりによって成り立つ外延とそれに属する内包量を、山の一部に含まれる形で表現したいと考えた。


    大島由起子/Maison de campagne
    それぞれに生活があり、それぞれに家がある。
    そんな家には様々なお話しがあることでしょう。
    私は、この美しい土地に私の家を建て、私の話を始めたいと思いました。


    鈴木典生/Stone Capsules
    アヤメやカキツバタを観賞するために作られた湿地(池)を見つけました。毎年この季節を楽しみにしている人も多いでしょう。一年に一回咲き誇る花たちの中に自分の作品を置きたいと思いました。いつもとは違う、今年だけの空間を作ります。観賞の場から互いが重なり合って鑑賞する空間になるような気がします。


    横山飛鳥/回帰-再生
    一年前、春を待つ冬枯れの木とは明らかに様相を異にする立ち枯れた赤松の森を見て、私の中に「死」というものが取り憑いた。文明の代償ともいえる自然破壊の生々しい現実の前に、為す術はない。
    遠く忘れてしまった原点に立ち戻り、その場所から新たな一歩を踏み出すために、この春に芽生えた小さな希望を、私は信じたい。


    中村洋子/蓮とともに咲いてほしい -二人の母へのオマージュ-
    ここ雨引の里山。移り変わる美しい風景がとても好きだ。1400m2の沼と接するなだらかな森。この沼との出会いは忘れられない。その出会いをメッシュによる浮遊体と筏、そしてターポリンで作った大きな葉っぱ -蓮を見立てたものだが- それらで沼の水の力、風の動き、浮かす力を造形にさそいこんでみたいと思っている。


    金鉉淑/between-064
    漂う場の気配が私を誘う。
    ココでゆっくりと、
    みつめる時間がホシイと。


    齋藤徹/天壌 2006-in the other side of a door
    昨年6月に、トリノでの木彫シンポジウムに参加したことがきっかけになってしまったのか、今回木と石の複合で作っています。
    およそ17年ぶりのことです。アトリエに楠のニオイが広がり、大好きなエンジンチェンソーの音が響き至福の時間が暫し続きました。
    そして今、迫る搬入日に怯え、己の影法師を捕まえようとするの子供の如く、完成に向かって必死の日々です。さていかになる事やら。


    中村ミナト/green of green
    鳥居をとおると鎮守の杜があり、細い参道脇の開けたところに、鎮守の彫刻があります。


    安田正子/植物のかたち-O MA ME-
    ずっとアトリエの奥で横たわっていた欅です。根元に抱きこまれた岩石は、成長のエネルギーでバリバリと砕けていました。かたちを探りおこす日々、いつしか豆が弾けて根をおろすというイメージに展開しました。


    平野米三/小悪魔の棲む杜
    日頃、鉄の丸棒で幾何学形態の多面体を作り、それらを切ったり付けたり、と子供が積み木で遊ぶように彫刻を造っています。今回はいたずらっぽくも罪のないユーモラスな形を選んでみました。これらを青木神社の参道に置くことで、題名の「小悪魔の棲む杜」を感じ取っていただけたら幸いです。


    槇 渉/気の杜
    青木神社の清閑な場に立った時、この杜と社の調和と交響の中で私(石)も係わりたいという思いを強くした。そして立木の一本を石で囲むことが自然に思えた。それは生命を構成するものは何かを啓示してくれそうな気がする、でもそのものをまたもので説明する事ができない根元的な単元が存在するのではと思いながら。


    山本糾/JARDIN
    カメラに捕らえられた光景はシャッターによって切断され現実界から瞬時に死の領域に移行する。我々の世界と平行に、写真が発明されてから現在までに撮られた総ての写真によって作られた世界があり写真を見る人は崩壊の予感とともに死の領域であるその平行世界を覗き見ることになる。それはゆるやかな死のレッスンだ。


    岡本敦生/遠い水
    塀で囲まれた宅地空間に、梅の木と柿の木が生きている。今は水の出ない水道管一本が、汲上げポンプの側で枯れ枝の様に寂しく立っていた。そこを地下に向って掘れば、水脈に辿り着くはずなのだが私は上に向って彫ってみる事にした。失われた遠い水脈を求めて。


    金沢健一/音のかけら-無人駅にて
    殺風景な無人駅の待ち合いであった。この彫刻展の会議の為に毎月、自宅から折りたたみ自転車を担ぎこの駅で乗り降りしているが、がらんとした空間はいつも空しく声だけがよく響いた。列車を待つ数分間、この空間に必要だと感じたのは音と人の気配のようなものであった。


    菅原二郎/内側のかたち 06-1
    この作品は私が今まで追及してきた石の塊の中から形態を探していくのではなく、原材料の塊の持つ大きさを最大限に生かしつつ、その塊の中に空間を作り出していくという考えで制作しました。
     結果的には石で出来た籠状のかたちとなりました。そしてそのかたちはあるアングルからは二つの三角錐の組み合わせと感じられるような形態を目指しました。


    宮沢泉/春の石
    3月、常磐道を東へ江戸川を渡り次に利根川を渡ると突然関東平野の空も高く広々とした風景が広がった。風はまだ冷たいが日ごとに強さを増す太陽の下、地表はかすかにぬくもり地中には大きなエネルギーが充満しているようだった。


    戸田裕介/風の栞・土の眷属
    鹿島神社の裏手。草いきれの漂う崖地。足もとの柔らかな土の匂。耕作地に働く人。流れる雲。桜川の向こうに見える羽田山。様々な音が、遠くから近くから聞こえてくる。私は、折々に読み返してきたこの風景の1ページに、少しの間、彫刻を挿んでおく。


    いしばしめぐみ/七色飛行人~始まりの地~
    虹の橋を架けよう。抜けるように高く、青く澄みきった広大なこの空に。
    七色飛行人が飛び立つ軌跡はどこ迄も続く天弓となり、この地から始まる架け橋となるように。


    大槻孝之/春のヴェール
    草や木がそうであるように、人もまた春の訪れを待ち望むのだろう。昨年の春の日に感じた春の気配を形にしようと、厳しい寒さの冬を過ごしてきた。ヨシの原のここから、さらさらと春の風が吹き始めることを願って。


    山本憲一/剪定期
    春の剪定の時期から芽吹きを迎える頃の桜川市の景観には感動致します。その一方で刈り落された木や草は土に返り輪廻していくはずであるがその様子を目に見る事はできない。その後者の流れを踏まえて石の塊を剪定することでこの場所に生育する木や草の変化と流れに関わりたいと考えます。


    廣瀬光/標
    古墳の跡だという小高い林のすそに沿うように行き止まりの細い農道がある、その道の途中に空間や位置を限定するための「しるし」として作品を置いた。


  • 雨引の里と彫刻2006ドキュメント

    雨引の里と彫刻2006ドキュメント

    2004/10/14
    仮称・雨引をどうしようかな会
    *次回展について、考える会

    2004/11/14
    第1回全体会議
    *開催について意思確認 34名(保留5名)

    2005/1/14
    第2回全体会議
    *参加作家の確認、新作家の推薦
    *実行委員長の決定、会期、展覧会名、設置場所の検討

    2005/3/6
    第3回全体会議
    *展覧会名の決定「雨引の里と彫刻 2006」・英語タイトル「AMABIKI 2006」
    *設置場所の検討(羽田、青木、高森地区)

    2005/4/3
    第4回全体会議
    * 設置場所、会場ルートなどを想定しながら全員で視察
    *受付、休憩所、トイレ等の検討、会費額の決定
    会議終了後、花見会(旧雨引駅)

    2005/6/5
    第5回全体会議
    *作品設置希望場所の調整(第一候補、設置場所の重複など)
    *道路使用の希望について(まほろば公園)
    *希望場所調査表の提出(地権者確認)

    2005/7/10
    第6回全体会議
    *設置場所決定までの確認(地権者の確認、区長に協力依頼)
    *実行委員会の各担当、係りの決定
    *英文HP作成についての説明

    2005/8/7
    第7回全体会議
    *各区長への説明会、地権者への連絡
    *ポスター・チラシ等についての提案、デザイナー決定
    *メーリングリストの確認、各イベントについて討議

    2005/9/18
    第8回全体会議
    *イベントについて討議(いなかの会議、バスツアー、小品展等)

    2005/10/16
    第9回全体会議
    *市町村合併にともなう役場担当者の変更と移動について
    *小品展会場(ギャラリーせいほう)の決定
    *バスツアー、オープニングについて
    *会場ルート視察、注意箇所の確認(全長約15km、約3時間)

    2005/11/13
    第10回全体会議
    *河川敷の使用について(取水時期と重なり冠水する恐れがある)
    *休憩所(大和駅)決定
    *新作家の推薦(特例として認める)
    *バスツアー、貸し自転車、ボランティア等について討議

    2005/12/18
    第11回全体会議
    *河川敷の使用について(市役所より報告)
    *ポスター、チラシの原稿確認(記載地図、氏名)
    *小品展サブタイトル「雨引の里と彫刻 2006 プランニング展」に決定
    *助成、後援、協力、広報、ボランティア、受付け、サイン計画、プレス、コメント等各担当より報告

    2006/1/29
    第12回全体会議
    *市文化課より「2008年国民文化祭」についての提案
    *ポスターチラシ原稿確認(ポスター1000、DM6000、封筒5000、チラシ20000部)
    *受付当番表、図録用作品写真、搬入出、会場サイン等について係からの説明

    2006/3/5
    第13回全体会議
    *印刷物(ポスター、チラシ、DM等)発送準備作業
    *「作家の一言」の締め切りについて
    *看板、案内表示の制作
    *保険加入、会計報告、受付当番、会場管理、各係からの報告と説明

    2006/3/18
    会場の設営開始、作品の搬入開始

    2006/3/29
    大型クレーン(25t、8t)による作品設置

    2006/3-6
    新聞、テレビ取材、art lover、etc.

    2006/4/1
    <雨引の里と彫刻 2006 開催>
    オープニングセレモニー 15:00-(大和ふれあいセンター「シトラス」ホール)
    オープニングパーティー 16:00-(桜川市いこいの家)

    2006/4/1-6/4
    ボランティアによる休憩所「大和撫子庵」(大和駅)
    ボランティアグループ「手打ち蕎麦大好き会」による蕎麦実演販売(青木集落センター)

    2006/4/9
    第1回バスツアー 10:40-16:00
    バスツアー終了後、花見会(旧雨引駅)

    2006/4/24-28
    関連企画「雨引の里から」(雨引の里と彫刻 2006 プランニング展)
    (ギャラリーせいほう/東京・銀座)

    2006/5/21
    第2回バスツアー 10:40-16:00 バス2台

    2006/6/4
    第14回全体会議
    *市文化課より「2008年国民文化祭」への参加要請、討議
    *図録内容について(写真、レイアウト、コメント、挨拶文)確認
    *搬出、ポスター、案内表示の撤去について、保険の適用期間の確認
    <雨引の里と彫刻 2006 終了> 感謝会、打ち上げ会(福祉センターあまびき)

    2006/6/5-
    会場の撤去、作品の搬出開始、図録編集開始

    2006/8/6
    第15回全体会議
    *図録確認と校正

    2006/9/17
    第16回全体会議
    *図録発送準備、発送

    雨引の里と彫刻 2006 実行委員会構成
    2004年10月に旧5回展作家が集まって「仮称・雨引をどうしようかな会」を開き、次回展の有無について考える事から出発した。
    第5回展(2003年)までは旧大和村でビエンナーレ(隔年開催)開催としていたのだが、2005年10月に旧大和村・旧真壁町・旧岩瀬町が合併し、新生「桜川市」が誕生した事と相まって、前回展から中2年置いての開催となった。展覧会名も「第○回 雨引の里と彫刻 / the ○th AMABIKI village and Sculpture」を改め「雨引の里と彫刻 2006 / AMABIKI 2006」とした。
    企画・実行・運営は、今までの実行委員方式を踏襲して、参加作家44名がそれぞれの実行運営委員となって、展覧会の企画・実行・運営を行った。ほぼ毎月開催する委員全体会議(参加作家全体会議)が決定決議機関として、旧大和村・企画課、桜川市・商工観光課・文化振興課の協力を得ながら、展覧会に向けて議論を深めていった。

    実行委員 参加作家 43作家+1グループ
    実行委員会・係りの構成:
    実行委員長/事務局/会計/司会/書記/広報/助成金/プレス/ホームページ/ポスターチラシ図録/会場/搬入出/サイン計画設置/キャプション/インフォメーションセンター設営/コメント/オープニング/受付け/バスツアー/ボランティア/会場管理(警備)/懇親会/小品展/写真記録/情報管理/市報担当
    以上のような作業分担のもとで、「雨引の里と彫刻 2006」は開催された。


  • あいさつ

    photograph SAITO Sadamu

     茨城県中西部に位置する石材業と農業の盛んなこの村で、7人から始められた展覧会も今回で五回目を迎えました。約八年の間に季節を変えて展覧会を開き、気が付けば参加作家は45人にもなっていました。月に一度の会議や参加費、もちろん制作に係わるすべてを負担しながらも、参加作家が増えていくのは、この展覧会が持つ力に引き寄せられて、魅せられてしまうからなのでしょうか。
     自らが選んだ場所に作品を置き、季節が変わりゆく様を観察する。道行く人と会釈を交わし、短い会話をする。それらは、美術館やギャラリーでは味わえない体験です。また、数々ある集まりの中で、ある時は作家同士、互いの作品について批評し合い、美術について、あるいはこの展覧会について意見を戦わせる。それもまた、参加する楽しみでもあり、気概でもあります。
     参加しているそれぞれが、美術の現状や、社会について大上段からものを言ったり、斜に構えて批評したりすることなく、今の自分と、眼の前にある自然に、寡黙に正面から向き合いながら、場と係わって行く。暮らしが隅々まで刻まれた里山には、大仰な構えや小手先の仕事が通用しない。毎回、この現実の中で、それぞれが試されているように感じています。
     小さな村での八年の試みが残したその足跡と、これからの歩数のゆくえを、自らの足元を確認しながら、この先も追ってゆきたいと思います。

    2003年10月31日
    雨引の里と彫刻 実行委員会
    中井川由季


  • 第5回 雨引の里と彫刻について

    里山を背景に、なだらかな地勢が広がる。「雨引の里と彫刻」の会場・大和村は関東平野がはじまる場所でもある。村内には川が流れ、民家と石材加工所などが平らな土地に点在している。広がる田畑で働く人達が遠くに小さく見える。時おり、通りを真っ白な花崗岩を満載して作業車が行き交っている。空では、流れる雲と筑波の山がその姿を刻一刻と変えてゆく。村の外れで、こんもりと緑でおおわれているのが雨引山だ。
    美術は、長い間、村里の暮らしとは縁遠いところで展開された。いつのまにか彫刻も、周囲に何もなく、光もコントロールできるような仮想的な空間を求めるようになった。自律した作品は、特定の場所と関係を持つことから離れた。
    「雨引の里と彫刻」には様々な作家が集まって、村の人々の協力を得ながら、美術や彫刻の古くて新しい土壌にそれぞれ異なる思想と表現で向き合っている。
    展覧会の準備は、会期の1年以上前に始まる。誰かが気づいた問題点は全員で共有され、それらは一つ一つ時間を掛けて丁寧に削ぎ落とされる。どんなに良い展覧会を開いても、その結果は作品に帰ることをみんな知っている。それでも、少しでも良い展覧会にしようと、時にガチンコになりながら話し合いは続く。
    今年も、この素朴だけれど骨の折れる作業を共に費やした時間が、野外個展会場の寄せ集めではない「雨引の里と彫刻」の特質を支えていた。
    回を重ねるごとに地元の人達とも少しずつ良い関係を持てるようになってきた。第5回展が終わる頃には、参加作家だけでなく、多くの人の視線が次回に向けられているのを感じた。 そんな状況の中、もうすぐ私たちは共有地・大和村を平成の大合併により失う。この先何が出来るのか。答えはまだない。
    けれども、ここに集まる作家は本気の話し合いをする一方で、みんな呑気に構えている。「雨引の里と彫刻」は今年やっと8才になったばかりだ。明日にもまた楽しみが待っている。大切なのは、この先もゆっくりと一歩ずつ歩き続けていくことだ。
    私は今、作品の撤去を終え、夕暮れが迫る里中の小道に立って、ついさっきまで自分の作品があった辺りをぼんやりと眺めている。1年余り季節の移ろいとともに、この場所に通った日々を想い出しながら、気持ちは早くも次回へと巡って行く。
    黄昏の薄明かりの中、2カ月ぶりに静けさを取り戻した里山の景色は、以前に比べてほんの少しだけ広く気高くなった様に見える。

    2003年11月5日
    参加作家、彫刻家
    戸田裕介


  • 作家の一言

    第5回 雨引の里と彫刻に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。


    望月久也
    月に相対す。何れこの星に繋がれて。


    齋藤徹
    花崗岩、1360×1850×1050 様々な植生の根元的な活力のひとつを、この場で限定しようと私設フォンターナを置いてみました。それは昨年、ここで、精力的に粘膜のように全てを覆い尽くした葛を見たときに始まりました。


    グループ・等(佐治正大及びメンバーズ)
    地球のエネルギーが、あるいは地球の息吹が溢れた様な、半球ドームの群落です。ドームは地球エネルギーの集まる処であると同時に、私達の生命エネルギーが再生する処、ドームに寄り添えば心が安らぎ、ほっとして、再び暖かいエネルギーに満たされてゆきます。


    中村ミナト
    地と水の接するところを選んだ。晴天、曇天、雨天、強風、豪雨と、水面は色々に変化する。そして水際にはエネルギーが凝集し振動する。このエネルギーを証明するものを作った。


    島田忠幸
    もう一つのアートの切り口として、「核武装した日本–それは、ありそうもない話なのか。それとも近々現実のものになる話なのか」・・・・


    宮澤泉
    木がそよぐ、石にふれる、電極のプラス、マイナスを確かめ感じ直す。そんな作業をしてみたいと思っている。


    芝田次男
    集落の中に木造の古い建物を見つけました。その建物が何なのか最初はわかりませんでした。かつて、消防活動のための「機庫」だったようです。役割を終えた建物は不思議な小屋のように見えます。不思議な小屋のある場所には何か目印になるものを作りたいと思いました。目印の材料は「石」です。


    山上れい
    シンプルな要素で広がりのある空間を作りたいと考え、昨年からリングを基本にした作品を制作しています。初めてこの場所を訪れたとき、幼い頃畑で見上げた青空を思い出し、とても懐かしい気持ちになりました。穏やかに澄んだ空気を大切にし、それと響きあう彫刻を作りたいと思いました。


    中井川由季
    強烈な日差しが、畑やアスファルトの道路を眩しく照らし、その竹林と小道に黒い影を落としています。そして光は竹林の中にも鋭く差し込み、光と影の強いコントラストが生まれています。コントラストの下に鈍く輝く銀色の作品を横たえて、夏から秋にかけての光の強さと角度のゆくえを追ってみたいと思いました。


    岡本敦生
    石塚さんの御自宅に展示します。母屋と納屋と倉がありますが、現在は空き家になっています。敷地には雑草が生い茂って、納屋と倉はかなり荒廃しているのですが、その朽ち果てようとする建物の中や敷地全体に、人達が生活していた魂のようなモノを感じます。建物は朽ち果てても、凛として朽ち果てないモノ、そのような何かを三つのUNITの中に吹き込み、空間の中で凛として立ち続けます。


    山本糾
    垂直と水平が交差するところに時間と空間が生まれ、時間が空間化、空間が時間化することによって事象が発生する。水面に落下する水はそのような宇宙生成のモデルであり、エロティシズムの根源です。宇宙の中心に滝があり、その水は窪まで流れて虚空に落下している。


    村井進吾
    春には見事に咲いた櫻の大木。少し傾いて立つ木造の小さな薬師堂。遅い夏の前には稲と麦の緑に囲まれて葉桜に覆われていた。他の作家が選択する場所だと思っていたが最後までとり残された。白御影を手掛けることになったのはこの場の持つ力だと思っている。落ち葉と雨の滴の集積はどんな「泉」を創るのだろう。


    大槻孝之
    今回彫刻展が行われるのは、農道が葉脈のようにはり巡らされた地区だ。道を歩いてみると、林や畑の形をなぞるように有機的な曲線が錯綜し、農業を営みとする静かな生活のにおいがする。作品の発想も、そのような景観 の中から生まれました。あなたも、この風景の中に一日迷い込んでみてはいかがでしょう。


    海崎三郎
    目にした時は妙に気になるのだが、言葉にならないままに忘れてしまう。そう言う繰り返しが何度かあったように思う。
    私にとってH鋼はずっと前から美しいものだった。
    最近、そんなことを思い出すように気がついた。
    今回の雨引には、秋月の下にもう一つの月をたたずませてみたいと思っている。


    渡辺尋志
    水には形がない。しかし存在する立体である。基本的には無色透明であり、眼には見えないものなのだが、その存在は判る。実像なのか、虚像なのか、在るのか無いのか判らないもの。しかしとても大切なもの。今回は舟のような形を利用し表現してみた。水を大切にしてきた雨引の地への贈り物になってもらえるだろうか。


    鈴木典生
    桜の木の下に、様々な大きさの白御影石を敷いたこの作品は、降り積もった雪の様に、色々な物を覆い隠している。パーツには穴が空いていて、その穴が大気と大地を繋いでいる。その穴の奥には生命体が宿っていて、雪解け穴から芽を出す植物の様に、密やかに「その時」を待っているかもしれない。桜の木の下で。


    槇 渉
    ものの始まりと終わりを考えると現時点は一体どこに位置するのか知りたい欲求がある。人類進化、地球未来そして自己生命などなど様々な思いがめくるめく中、雨引の現時間を封じ込めることによってささやかな安心を得るのである。


    横山飛鳥
    雨引の里を巡ると、神社や祠があちらこちらに祀られていることに気付く。ひとたび神社に足を踏み入れると日常の喧騒から離れて非日常の静寂に包まれる。それは、私の中にも刻まれているであろう千年の記憶が、時空を超えて呼び起こされる瞬間である。人の世界と神の領域、此岸と彼岸を結ぶ存在として真っ直ぐな道が続く景観を顕在化してみた。


    志賀政夫
    木にバーナー・L鋼、5040×5040×200 香取神社の境内に佇むと、そっと吹く風が、太古の風を乗せてささやき始める。記憶を取り戻し、ひとつひとつの思いが色になって輝き、それぞれに散っていく。優しい風、激しい怒りの風、涙ぐむ風、そしてほほえ風。数千年の旅を終えようとする風が、きざまれたすき間に色を置いている。風の色は記憶の途中。


    丸山富之
    久しぶりの野外展示です。お墓詣りの方々に、私の作品はどう感じてもらえるのでしょうか。


    田中毅
    こんな狛犬が居たら、面白いかな。近頃、置かれる狛犬は皆んな同じような感じで、きれいに作られ過ぎてる感じがする。俺ん家のだったら、こんな感じでいいかな。


    古川潤
    物の形を単純化していった究極は球体だと言いますが、角が取れて丸くなった自然の河原の石には、球はおろか同じ形すら見つける事は難しい事です。一つひとつに物語があって、ささやかでもその形に持った力強い主張は日常にあってとても魅力的です。少しだけ見る角度を変えて、新しい発見をしてもらえたらと思います。


    藤本均定成
    自分が関わる社会、特に身近である芸術社会をじっくり観察してみると、面白いことが多々感じられます。タイトルについて考えてみる。もしタイトルであった『文字』が作品に、作品であった『物』がタイトルになってしまうことや、その区別が無くなってしまうことを考えていると楽しくなって来ます。


    村上九十九
    大和村大国玉の大地に椅子のステージ。木という素材に魅せられ、彫ること、切断すること、磨くこと、組むこと、構成することなど、彫刻の手法、造形の宿命に長い時間をかけてきたが、これらの作業に植えることを加えよう。この関係はぜひ美しくあってほしい。


    松田文平
    物体の存在は、他との比較があってはじめて成り立つものですが、人の意識においては比較対象なしで独立して成り立つことが可能だと思っています。たとえば宇宙の果てを思うとき、なにかと比較しては全体像をつかむことはできません。常に石を彫って石の外に出るようなものを造りたいと意識しています。


    平井一嘉
    原石からもとめる形を彫り出すときに必ずいらない部分が出ます。同じ石なのに私の身勝手で作品として残る部分と捨て場にこまる廃棄物となってしまった部分。石には変わりないのに、私によって敗者となった石たちに晴れの舞台に登場してもらい喜んでもらえる存在になってくれればと思っています。


    大栗克博
    第3回展から5回展まで、水の行方、光の行方、そして風の行方と行方シリーズ3部作の最終章。風を大きく取り込み、またときにはいなすといった空気エネルギーの代謝作用。しかし、この時代、行方として見守らなければならないのは、自分、私自信のこれからの行方ではないだろうか。


    廣瀬光
    たとえば2つ以上の物質が存在する場合、互いの関係は相対的な位置や距離、大きさによってより複雑になり、それによって生まれる緊張関係は変わってくる。ものとものとの間にすきまを作ることでまた別の関係が生まれてくるのではないか。


    山添潤
    人間は学習する生き物である。まさか同じ過ちを二度と犯す筈もなく、何事においても前回より劇的に向上しうるものである。人間は学習する生き物である。筈である・・・。


    水上嘉久
    地表に露出した岩盤が、雨や風などの風化作用によって削り取られて岩石となり川の水流や海の波の力により石に形が生まれる。さらに侵食が進むと砂礫となって地表や海底に堆積されてやがて岩盤となり地殻の一部を形成する。地球環境が激変して人間と一部の生物が死滅したとしても尚地球は数億年ないし数十億年は生き続ける。


    山本憲一
    『円形砥石』とは石の表面を擦り、形成するための道具に過ぎません。しかし制作の過程で偶然に生まれる「形体の変化(消耗した形や割れたかけら)」に不思議な存在感を感じました。この趣のある形を自分の造形に取り込み、雨引の自然の中で表現させていただきます。


    高梨裕理
    そこへ行ったら何も起こらなかったと思うか、
    何かが起こったと感じるかは、
    そこへ行った人しかわからない。


    安田正子
    ドイツの初秋には生クルミが出まわります。食べ残しを数個持ち帰り、アトリエの庭に埋めたら翌年忘れた頃にそれらしい芽が‥‥‥、そしてまた忘れた頃、ふと目をやると堅いクルミの殻が半分、根元にころがっていました。欅の巨木に力をもらって、芽生えのかたちを表現してみました。


    百瀬博之
    作品は畑の石を掘り出すことを主として制作しようと考えた。その場所への関わりかたとして、物と時間をそこから得、そこで費やそうとした。掘り出された石や物が、作品の素材としてではなく、そのものの出現自体と、掘り起こした行為がかたちにならないかと考えた。どんぐりは毎年これ位にはなるらしい。


    國安孝昌
    いつも場の気配を読むことから、私の仕事は始まります。遠く霞む筑波山を背にした雑木林の一角に、天の気を地に導きつなぐ、憑代(よりしろ)を立てたいと思います。雨を引く里の天の気。雨を集めるイメージを塔状の彫刻に作りたいと思います。願わくば、そこに眼には見えない、大いなる何かが気配されることを期待して。


    中村義孝
    子供の頃から森に入って遊ぶのが好きだった。森の中を歩き回っていると、太陽や風や水が長い年月をかけ造った自然の造形物を目にすることがあり、その不思議な形に度々驚かされることがあった。今回私は何も造っていない。自然のなした業に少しだけ手を加えただけだ。


    佐藤晃
    ゆるやかな起状の畑やあくまでも水平な緑色の田圃。隣接する背の高い森は意外にも深く続いている。森を背に廻りを見渡してみると、視線は遠くの山や空へ向かう。この場所を基点に彫刻を考えてみる。私にとって石を刳り貫くことは周囲との関係を探る手段である。


    菅原二郎
    この作品は立方体を割っていったときに出来るであろう割れ目だけを取り出し、それに厚みを加え、ひとつの石より彫り出し、そのブロックの中に含まれていた面の構成を現したものです。その面のいくつかに大小の窓を開けその空間の拡がりを田園の風景の拡がりの中に置いたら、と考えました。


    金鉉淑
    何度もまわり、やっと見つけた小さな豚小屋。
    都会育ちの私にはなれない場所であり、興味深さで惹かれる。
    ‘ここだ!’ 豚がこどもを産まなくなってから停止してしまった時・空を酸化し過ぎた空き缶がモノ語る。私はここで新たな時・空をほりだす。


    金沢健一
    100mm角のアルミニウム角管を50mm幅に切断する。それを3つ組み合わせ、約50のバリエーションの形態をつくる。広い雑木林の中に入り、それぞれを木に取り付ける。あたかも木の上の小さな家のように。


    井上雅之
    便利さや効率に追われて随分と遠景に隠されてしまいましたが、物事を理解し、程よくこなしてゆく力としての「知恵」に心惹かれます。生活の基盤として受け継がれてきた地に、積み上げるという極基本的な行為で形づくられた形体を置くことにより、そこに重ねられた時間と固有の営みを露にしたいと考えました。


    田村智義
    わずか50年前まで、日本の歴史書に旧石器時代は記されていなかった。火山灰の降りそそる中、人間は生存できないと考えられていた。岩宿の赤土の中から、相沢忠洋氏が槍先形尖頭器を発掘し、この定説を覆したのだ。学閥の波においやられた黒曜石の輝きに、何かオーラのようなものを感ずるのは、私だけなのだろうか。


    サトル・タカダ
    このイメージは三日月のアーチの造形美と隠れた部分の空間の魅力から発想をしました。鉄材による構築が池の中で立ちアーチの空間に宇宙からのいん石を思わせる岩を吊り下げた造形作品がこの環境の中にはたしてどのような印象を見る人達に与えるかは興味のあるし、静かな雰囲気を驚きのある風景と変えるか楽しみであります。


    戸田裕介
    彫刻を作る。「物」が持っている「魂」を引き出したいと思う。「魂?、そんなモノ無いよ。」誰かが忠告してくれた非科学的な考え。けれど、現実に物と対峙する時、圧倒的な力を感じるモノから繊細なものまで、理論的に説明出来ない「何か」を感じる瞬間が在る。美しい風景や日々の暮らしの中、そんな気配は潜んでいる。


    山崎隆
    鑑賞コースの関係で45番、最終番号の作品になってしまいました。見に来て下さった方々は随分とお疲れになって、私の作品の所へ到着することと思いますが、どうぞ最後まで見てやって下さい。愚直に、ひたすら自分の思いを石に刻んだ作品です。


  • 第5回 雨引の里と彫刻 ドキュメント

    2002.08.25(日)
    第1回全体会議
    *第5回 雨引の里と彫刻実行委員会を設立
    *同展運営委員会を設立
    *展覧会予定地域の見学

    2002.11.10(日)
    第2回全体会議
    *係りと責任者を決定
    *参加費の徴収

    2002.12.08(日)
    第3回全体会議
    *作品設置場所の検討
    *ポスター、図録、サイン計画等のデザイナーの決定
    *各係りからの状況報告

    2003.01.26(日)
    第4回全体会議
    *設置場所の検討
    *区長さん出席のもと、作品設置場所の地権者を検索
    *各係りからのプランを検討

    2003.02.23(日)
    第5回全体会議
    *設置場所の検討と決定
    *イベント等の検討
    *会場管理係、ボランティア係からの提案等

    2003.03.23(日)
    第6回全体会議
    *ポスター、チラシのデザイン及び内容の検討
    *展覧会の観覧ルート決定

    2003.04.13(日)
    第7回全体会議
    *ポスター、チラシのデザイン及び内容の検討
    *各係りから報告書、予算書の提出

    2003.05.25(日)
    第8回全体会議
    *ポスター、チラシ、DMのデザイン及び内容の調整
    *小品展、イベント等の打ち合せ

    2003.06.22(日)
    第9回全体会議
    *ポスター、チラシ、DM決定
    *会場のサイン、キャプション、看板等について、予算も含めて検討
    *小品展、作家の一言、搬入についての打ち合せ

    2003.07.20(日)
    第10回全体会議
    *ポスター、DM等の発送

    2003.08.03(日)
    第11回全体会議
    *詳細マップ制作のための、観覧ルート近隣のデータ収集

    2003.08.08(金)-08.20(土)
    会場設営開始・作品搬入期間

    2003.08.18(月)-08.30(土)
    関連企画「雨引の里へ」開催 (ギャラリーせいほう / 東京・銀座)
    *本展に向けてのプランニング及び小品展

    2003.08.21(木)
    案内板の設置・インフォメーションセンターの設営

    2003.08.23(土)
    第5回雨引の里と彫刻開催
    *オープニングセレモニー(大和ふれあいセンターシトラス)

    2003.08.24(日)-11.03(日)
    ボランティアによる休息所「大和撫子庵」開設
    手打蕎麦大好き会による実演販売(会場内の各公民館)

    2003.09.07(日)
    第1回バスツアー (10:30-17:00)

    2003.09.25(木)
    *NHK水戸放送局による取材、放映は10月16日「いっと6けん」

    2003.10.04(土)-10.06(月)
    *大和サミット(大和と名の付く市町村のサミット)のメンバーを案内する

    2003.10.03(月)
    第2回バスツアー(10:30-17:00)

    2003.10.12(日)
    月見の会(大和村いこいの家)

    2003.11.02(日)
    いなかの会議「雨引の里と彫刻 その試みと収穫」(シトラス )
    展覧会感謝会と打ち上げ会(福祉センターあまびき)

    2003.11.03(日)
    展覧会終了

    2003.11.04(月)-
    作品搬出開始

    2003.11.05(火)-
    カタログ制作開始

    2003.12.21(日)
    第12回全体会議
    *カタログ校正

    2004.02
    第13回全体会議
    *カタログ発送

    第5回 雨引の里と彫刻 実行委員会構成
    第5回雨引の里と彫刻も、今までの雨引の里と彫刻と同様に、全作家が実行委員となり、展覧会を企画・運営するために其々の係りを決め、仕事を分担しながら運営していった。
    第5回展は参加作家が45人に増え、係りの数を増やし、展覧会に関る仕事を細分化した。各係りには代表者がいて、その代表者が随時手の空いてそうなメンバーに仕事を分担するという方式を取った。
    第4回展からの運営委員制度(近隣の作家が集まって、全体会議に向けての緊急議題の検討)は、そのまま踏襲し、本展に向けて全員一丸となって準備と運営にあたった。

    実行委員会:全参加作家45名
    係りの構成:
    実行委員長 運営委員会 事務局 いなかの会議係 イベント係 インフォメーションセンター受付係 インフォメーションセンター設営係 オープニングセレモニー係 会計係 会場担当係 会場管理・警備係 記録ビデオ係 キャプション係 後援・協賛係 広報係 コメント係 懇親会係 サイン計画係 サイン設置係 小品展係 書記係 助成金係 バスツアー係 搬入・搬出係 ポスター・チラシ・図録係 ホームページ係 ボランティア係 村報係
    以上のような作業分担で、第5回雨引の里と彫刻は実施された。


  • あいさつ

    第4回雨引の里と彫刻開催までの経過

    雨引の里と彫刻も第4回展を実現することができました。 あいさつをかねて、この展覧会の開催に至るまで約1年間にわたっての経緯を簡単に記してみます。
    昨年5月から月1回の全体会議を開き毎回約30名余りの作家が参加して様々な問題や提案を討議してきた。
    2000/5/21
    今まで3回にわたって参加作家が企画、運営をしてきた主旨を説明し討議した。 4回展のゾーンと会期、参加費等について討議した。
    6/18
    参加メンバー42名を決定、前回の討議事項である会場を阿部田、中根、高久、鷲宿地区とした。新たにボランティア、ホームページ委員を含む役割分担、会期、予算、参加費を決定。各作家は次回会議までに作品設置希望地を3箇所ずつ選定し役場企画課の地図に記入、平行して出品作家リスト(生年月日、略歴、代表作品等)作成の資料提出。
    8/20
    設置場所の確認、決定。なお場所が重なっている作家は当事者で話し合って次回9/10の会議までに決定してもらう。ボランティア、ポスターチラシ、田舎の会議委員よりの中間報告。
    9/10
    各地区長出席のもと各作家の選んだ展示希望地の可能性について打診。また区長さんからそれぞれの地権者に話を通して頂いた上で作家が挨拶に行き最終的な許可をもらうと言う流れを説明。
    10/22
    会議の前に各作家地権者へ挨拶回り。4回展は参加メンバーが増えたため会議に出すたたき台を作る組織の必要を感じ運営委員会(13名)を設置。ポスター、チラシに盛り込む内容(オープニング、桜と彫刻を見る会、バスツアー2回、いなかの会議)等のイベントを確認。会期中の受け付けについてアルバイトと作家1名としアルバイトの費用は作家達で負担。受付(インフォーメーションセンター)に携帯電話を用意。
    11/26
    ポスター、チラシの原案(一部訂正)を確認。運営委員会提案のルートにしたがって巡回、所要時間約2時間、全行程約15km、ルートは一方通行とし作家番号は通し番号とする事を確認。
    2001/1/14
    ポスター、チラシの最終原稿を発表、確認。助成金について、前回同様芸術文化振興基金に応募、4月には内定予定。ホームページ、ボランティア、受付の各委員よりの報告。様々な理由から最終的な参加メンバーは38名と1グループとなった。
    2/18
    ボランティア委員より鷲宿公民館で地元の主婦達による手造りの器によるお茶、食事のサービス、野菜、特産品の販売も行う。役場の提案により無料貸自転車を20台ほど用意。石翔会(若手石材業者の会)より搬入出の機材提供の申し入れを頂く。搬入設置を3月10日~23日の間に行う。各委員(会場案内板作成設置、シトラス受付会場設営、作品コメント、オープニングパーティー等)の仕事の手配を確認。村の広報誌に4~5回この展覧会について載せることとした。各作家は写真撮影のアングルと時間をカメラマンに伝える。
    このような準備段階を経、それぞれの係が実際の仕事をこなして展覧会の開幕にこぎつけた。 約1年にわたる経過の中で今回特に感じた事は地元村民の理解と盛り上がりでありそれが具体的な形としてボランティアの活動や搬入機材の提供といった形に現れたように思う。また4回目に初めて“あなた方、一体何を考えてこの活動をしているのか”と言った質問を投げかけてきてくださった。言い方を変えればようやく村の一部の方々とではあるがコミュニケーションを持つ事が出来たのが大きな成果ではないかと思う。

    雨引の里と彫刻 実行委員会
    菅原二郎


  • 第4回 雨引の里と彫刻について

    静かに行く人は遠くへ行く
    CHI VA PIANO SI VA LONTANO



    私は第3回の「雨引の里と彫刻」に参加して、北関東の山里の村という圧倒的なリアリティを持つ空間を前に、30人を越す彫刻家達と愚直といってよいほど真面目に何度も何度も会合を重ね、村の人々とも話しながらささやかな展覧会を立ち上げるという経験を共有できた。 『静かに行く人は遠くへ行く』。展示の興奮がひとしきり醒めて、私はイタリアの諺と聞くこの言葉を思い出した。
    現代の文化はどんどんデジタルという仮想現実に向かい、サブカルの軽さばかりが時代のリアリティとして喧(かまびす)しい。だが、そんな趨勢をどう出来るものではないと承知しつつ、心ある少数の人はそんなところには真実は無いことに気づいている。
    近代、芸術家は鋭敏な感性で次の時代を予感させる先行指標のようにいわれたが、現代、本当の芸術家は、時代や人々が捨て去ったものや忘れたものの意味や大切さを落ち穂拾いのように集めながら「オーィ、みんな、どこ行くんだよ。」と時折、人々に静かに呼びかける、トボトボと時代の殿(しんがり)を行く人であると私は思っている。
    「雨引の里と彫刻」を訪れると参加作家の表現の方向性は様々で同じ展覧会を共にすることが奇異に見えるかもしれない。しかし、私達は今は流行らない価値だけれども一点の共有地点を持っている。それは、ここに集まった彫刻家達はみな美術を信じている、愚直なほど真面目に彫刻をみな考えている。ということだ。
    そればかりか展示に参加してみると本当は彼らは美術を信じている以上に人々を信じているのだと気づいた。私は雨引の地でトボトボ行くのは一人ではないと勇気を貰うことができた。
    あえて耳目を集められない田舎でささやかで地味な展覧会を試みる「雨引の里と彫刻」は10年先15年先にボディーブローのように病んだ時代と社会に効いてゆく。そんな展覧会に回を重ねるごとに成長して行ける予感と手応えを私は感じている。
    追伸
    5月27日。今日、私は第4回展に参加し終えた。いま、回を重ねて二つのことを思う。ひとつは、改めて、雨引の里の空間や風景が豊かなこと。もうひとつは、雨引に集った作家達の志(こころざし)を遂げる道は遠いことである。けれども、作家達の静かな歩みは真摯な情熱を深く宿して揺るがない。そう私には信じられた。

    参加作家
    國安孝昌


  • 作家の一言

    第4回 雨引の里と彫刻に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。


    グループ・等(RA)
    地球は唯一水をたたえた惑星と言われています。生命の源である「水」をテーマに、二つの作品を制作しました。
    光る川;桜川を美しく、水を大切に、と云うテーマの作品で桜川に関わる全ての生き物が、輝いていてほしいと願い制作した。 水の塔;1000本を越えるペットボトルで、約5mの「水の塔」を創り、天と地をつなぐ、大きな水の循環を表現します。


    望月久也
    全きものは物語を生まない。私の制作は核心へと辿り得ず、ただ境界を彷徨するのみ。完全は幸せではない。彼の国の歌に曰く、 「答えは風に吹かれている」と。


    山崎隆
    自然物である石は、一つとして同じものが無い。自明のことではあるが、テクノロジーの魔法にかかると、そんなこともぼやけてくる。見えなくなる。知らず知らずのうちに感性は均質化され、何かを取り戻そうとするが見つからない。この作品の設置場所は以前、山火事がおこったところ。今林が新たに少しづつ再生し始めている。ここに彫刻を置く。


    島田忠幸
    白山神社参道の脇にある車2台が気になって仕方ない。何か因縁が有りそうだ。ガラスが割れ錆び付いた乗用車と、いつでも走れるような赤い軽乗用車が奉納されているように見える。それにしても気になる。気になるので隠し秘密にすることにした。隠せば隠すほどなにか見えてくるものがありそうだ。


    槇 渉
    私はある日ここに置かれた。木々の中、場違いだと思いながら風に揺らぐ太い幹、枝葉を通して差し込む光を浴びても表情をかえない,いしなのである。そして思う、私も木々や動物、そのほか多くの仲間とシンフォニーを楽しむ予感だけはする。


    金沢健一
    昨年の夏の午後、この竹林を発見したときの驚きは今も忘れない。竹林は奥が深く、作り出される空気は濃密であったけれど凛として畏敬の念を抱かせた。この竹林に3本の鉄の角管で構成された柱状の形態を9基たてる。竹林の作り出す時空間に僕の造形と素材である鉄の意志を挿入する。


    サトル・タカダ
    自然空間の中における彫刻の有り様としてこの展示はある意味において実験の場であり修練の場である。私の彫刻は自然の畏怖を精神的支柱として空間の緊張と時間の停止した瞬間の力学的構造の美にもとづいている。この橋は地軸の見えない方向を指針するものでなぜ川にあるのかは水の流れに人生をうつす心の橋の持つ彼岸への憧れ等の認識も含めこの作品の背景も担っている。


    藤倉久美子
    今回は見て下さる方々に、ほっとしていただけるような作品になれば・・・と思い制作致しました。十年ほど前のある一家族をイメージして出来た作品です。
    芸術はもともとは遊び心から始まったもの、原点にもどりたいと思っています。


    水上嘉久
    石屋さんの跡地をお借りし、建物の基礎部分をキャンバスに見立てて、私なりの自然観を表現してみました。それは、場所との融合というよりも、むしろ対比させたことによって、私と美術との関係を探る極めて私的な試みです。


    松田文平
    白御影石に本来は割るための穴を穿ち苔を植えました。苔は夜露を栄養として生育しています。平たく敷かれたブロック状の石は水の粒である夜露を表現しています。形があるものは目に見えるもので、形のないものは目に見えないもの、そのどちらにも属さないものの象徴として夜露をテーマにしました。


    戸田裕介
    この里に降る雨は、家々の屋根を濡らし田を潤して、霞ヶ浦へ鹿島灘へ、そして大平洋へと流れて行く。一部は空へ戻り、一部は作物の中に取り込まれて、人の中に取り込まれて日本各地へと拡がって行く。この里を渡る風は、何処から来て何処へ行くのだろうか。今吹いている風は、人々の中に子供たちの中に取り込まれて、日本中に、世界中にそして未来へと吹いて行くのかも知れない。


    村井進吾
    緩やかな起伏の農地に囲まれた日当たりのよい場所にある墓所に隣接する小さな森は、作品を持ち込むには少し面倒な気もしたが惹かれる気持ちが強くこの場所を選んだ。
    [作法]とはその物のあるべき姿であり、私自信の有り様である。


    藤本均定成
    昨年より、伊沢正名さん撮影のカビ、キノコ、コケの写真をどのように、かつ楽しく見ていただくことのできる装置をつくり、小学校、菌の研究会、美術展、博物館等で発表しています。今回は井沢さんが6ヶ月間現場に通い撮影したコケ、キノコの写真を雨引の方々、そして“雨引の里と彫刻”展を訪れる方々にも、どのように見ていただけるか楽しみにしています。


    廣瀬光
    以前、設置場所を探しにこの雑木の林を訪れたとき、林はもっと重く体にまとわりつくくらい密度がありました。冬を過ぎ下草を刈られた林は、奥にまつられた祠も容易に見渡せるほど軽くなり、経過した時間をはかることが出来ます。作られた作品もまた同じようにその内部に過ぎて行った時間の長さをためています。重さとはまた別の質量がそこにはあるのだと思います。


    宮沢泉
    お忙しいところ雨引の里と彫刻展にお越し頂き有り難うございます。言葉にならない心の状態がありますが、一方で心にならない言葉というものもあるのでしょうか。とウランバートルの草原の羊がメコンデルタの水鳥に訊ねました。返事はただ鳴き声にしか聞こえませんでした。この辺りが月明かりに照らされる頃、彼の地は朝日の光彩のなかにあります。


    佐藤晃
    ある空間に対して彫刻を考えるとき、その大きさの決定は重要な要素となる。物量として想定した石のかたまりは思いのほか充足し、強烈な存在感で周囲を圧迫する。その中身を削り、えぐりとって行くことで最初の圧力は減少され、存在は次第に周囲の空気と拮抗しはじめる。枠状に残った石が自然の振幅の中で、空や廻りの緑に対して揺れ動く様に立ちあがってほしい。


    中井川由季
    麦畑の中、祠とそれを守るように木々が繁る。傍らに置く作品に「空の音を聞く」と名付けた。波のようにうねりながら広がる畑と森、起伏に沿って細い道が繋がっている。空が高い。その場所に立つと、世界の片隅でしかない小さな領域が、まるですべての中心であるかのようだ。僅かな変化まで察知できるような気がする。


    芝田次男
    石と石とを積み重ねることで、できてくる形の中に、植物的な要素が入ってきました。たとえば、ニョキッ。とのびた茎があるとして、その茎の中から新しい芽が、規則的に、しかも意外な形をして芽吹く様は、不思議としか言えません。


    海崎三郎
    鉄の重さと大きさに、そばにいるだけで疲れを感じた。仕事が進むにつれて暴力的な恐さにも似た鉄の一面を見た。その理屈を探りなだめて行くことは、不思議にも楽しく心が高ぶる。無くなることと残ること、裏側と表側、見せることと隠すこと、そんなうらはらな言葉が熱によって一つになっていく。


    井上雅之
    本来、人は景観などを意識することなく営みを続けてきたはずです。しかし人々の営みの合理性、無駄なく能率的で道理にかなった行いが、収まり整った風景の外観を形作ってきました。これが心地良い眺めの由来です。美しい農地、農産物製造地は、それぞれ役割を担う事物の集合体であると言えます。その中に役目を持たない異物を置いてみたいと考えました。


    山添潤
    石をハダカにしてしまおう。わくわくしながら一枚一枚脱がすもよし。勢いで一気に全部脱がすもよし。恥ずかしがる石もあれば、自分から脱ぎそうな石もある。やり方によってはがっかりしたり、゛おっ゛ということもある。いずれにしても、口説くことからはじまります。


    安田正子
    木漏れ日の差し込む小さな林を見つけました。手持ちの板材を組み合わせて、循環する水のイメージを考えてみました。いつもの形を離れての制作は設置の時まで続き、今でもこの場とどうかかわりたいのか自問自答しています。


    岡本敦生
    環境の中で目立たないこと、風景の中に取り込まれて見えなくなる様なもの、本来なら際立った存在感を持って自己主張するはずのモノが、表装の曖昧さの陰で、環境の色に染まり風景の中に溶けて行く。見る意思を持たないと見付けにくいんですが、見えて来ると不可解なもの、そんなものに興味を持っています。


    中村義孝
    自分の手で原形を鋳造するようになってから25年ほどたちますが、いまだに失敗を繰り返しています。しかし、そのおかげで新しい造形の芽を見つけることもあり、毎回新鮮な驚きを持って制作をしています。今回展示した作品は、近年ずっと追い続けているテーマで、人間の体に機械のイメージを与え造形したものです。


    國安孝昌
    村を巡ると稲作の雨引の里では、水そのものが生命を紡ぐ賜物であると気づく。私は筑波山を背景にした用水池を見た瞬間、睡蓮が咲くように、ここに作品を浮かべてみたいと思った。睡蓮が象徴する眼には見えない彼岸と此岸の宇宙を、作品を憑代(よりしろ)として、雨引の風景にすることで、この眼に見たいと考えた。


    横山飛鳥
    日常のふとした瞬間に、空間にみたされている光の存在にあらためて気づくことがあります。光は何かにあたることによって認識されますが、光源からその「何か」までの間に確かに存在しているはずの光を、手にとるように見たいのです。昼はふりそそぐ自然光を集め、暗くなると微かに光を放つ・・・光の体験をするための装置です。


    渡辺尋志
    雑木林は、日本人が自然と共生してきた一つの証であり、近年注目されているエコロジーの代表的なものです。この二次林は、人の手が加わらないとそこで荒れ果てて、最後には消滅するのです。雨引には未だよく手入れされている林が多く、自然を理解し共に生きている人々が沢山いるのでしょう。その中に、作品を置くとき何の形が一番邪魔にならないか考えて制作してみました。


    山上れい
    真鍮の線、面の組み合わせによって新しい空間を創出したいと考えています。初めて大和村を訪れたとき、美しくきらめく空気・光・風を感じました。柔らかな陽光の差し込む木立の中で、そのきらめきを表現したいと思っています。


    志賀政夫
    雨引の里高久神社の境内に、そっとふく風。かつての栄華の痕跡を残して、今、静かに眠り続ける。それは、あたかも記憶の途中のような、優しい風。時には、激しい怒りの風。涙ぐむ風。そしてほほえむ風。昔の風の色が微かに見える。風の色は記憶の途中。


    田中毅
    人は、いろいろ自分に、何かしら行を課していることがある。インドの行者とか、僧侶などは有名だが、酒断ちとか、たばこをやめたりするのも一種の行なのかも知れない。子供の頃、家の前でお経を称えたり、近ごろでは、駅前などでの立行とか、そんな人のイメージを、形にしてみた。


    鈴木典生
    天地の恵みによりつくられた場所、豊かな土壌に身を置いた。自己の体を基準として石により構成したこの作品は、地表からやや浮き覆っている形態をなしている。物質的要件を適えることによって、以前には存在しなかった「場」を獲得し、それはひとつの「風景」となるであろう。


    菅原二郎
    大きな石を8つに割った場合を想像すると、その原石の中に今まで存在していなかった面の構成ができる。それは想像上では存在するが具体的には見ることができない。そんな形に厚みを加え一つの原石から彫り出してみた。それに加えてその面にいくつか穴をあけたらどうなるだろうか、というのが今回の作品です。


    古川潤
    じっと一つのことを考えつづけると、ふとした瞬間からそれまで思っていたことが急につまらなく感じられてしまう時がある。きっかけはどうであれ、心が軽くなるというか楽になるというか、逃げかも知れないけれど何かが解ったような気にもなる。
    本当は一つのことを考え続けるほどの頭がないのかも知れないし、考えたような気になっているだけなのかも知れないけれど。


    田村智義
    クワガタの角をテーマに作品を造り始め五年になります。最初の2~3年は、形を追求することに終始していたと思いますが、感情を石に伝えようとすると、形は常に変化し限りがないように思います。現在、情感や気のようなものを石に封じ込めることが出来たら・・・と考えています。


    齋藤徹
    木立の中、雨を受け陽を浴び、新緑の香を感じ、落葉のお教えを受ける。そして、時と在を内に感ずる為に形として表わしたものを捧げたいと思いました。多極化によって難解な内に、ただよう日々を送る私としては、先への指針の助けになってくれればという思いです。


    平井一嘉
    子供が豆を持って積み上げようとしています。豆は不定形な丸味があるので積み上げるのが難しいのです。豆は夢、命、それともなんですか?私が居ることあなたが居ること、ここに来て立って、全風景の中に溶け込める喜び、思いが感じられたら私も嬉しいです。


    大栗克博
    季節的、空間的、精神的な開放感をテーマとしています。大和村の光や風、匂いといったものを取り込めるような形態を考え、生命観が溢れる静かな山里の中で、注ぐ光の角度により、作品がその場にどのような存在感と影響力を示すのかが、今回の最大の関心事です。


    村上九十九
    作品に使用されている木は大島の百日紅、福島の欅、茨城の椹です。いずれも樹齢数百年の巨木たちで、異なる地にてその仕事を終えた樹木です。これらを木組み、組み立て、木で木が誕生しました。 全部朽ちれば木の高みに帰れるのに、また私は余計なことをしてしまったような気がします。


    百瀬博之
    マッシュルームの栽培小屋は経済の流れの中で生れ、その終わりと共にその役目を終え、そして朽ちてしまう。消滅するまでの間の一瞬だけ私の作品として呼吸したことがこの小屋の歴史に加わることで私にとって意味が生れる。貝殻はかつてそのうちで生命が存在した栖である長い時間をかけて増殖して、生き続ける間はその証として変化し続ける。作品もまた生命の殻かも知れない。


  • 第4回 雨引の里と彫刻 ドキュメント

    第4回 雨引の里と彫刻 ドキュメント

    2000.05.21(日)
    第1回全体会議
    ・第4回雨引の里と彫刻実行委員会設立会
    ・第4回展についての提案
    ・予定設置場所の見学

    2000.06.18(日)
    第2回全体会議
    ・参加作家決定
    ・展覧会会期決定
    ・係り役員の決定

    2000.07.25(火)
    ホームページ試験運用開始

    2001.02.18(日)
    第8回全体会議
    ・各イベントの詳細決定
    ・ポスター・チラシ発送

    2001.03.04(日)
    ボランティア準備会
    ・藤本氏工房にてもてなしの器制作

    2001.03.10(土)-3.24(土)
    作品設置期間

    2001.03.17(土)
    案内板設置作業

    2001.03.24(土)
    インフォメーションセンター設置作業

    2001.03.25(日)
    第4回雨引の里と彫刻 オープニング
    大和村ふれあいセンター(シトラス)

    2001.04.01(日)
    「大和撫子庵」開設
    ・食事お茶のサービスと野菜果物の販売

    2001.04.08(日)
    桜と彫刻を見る会
    鷲宿地区グランド調整池/花見

    2001.04.15(日)
    子供会による彫刻展見学会(中根地区)

    2001.04.22(日)
    バスツアー(第1回)
    スタンプラリー彫刻展見学会
    さくら子供会(阿部田地区)

    2001.05.13(日)
    バスツアー(第2回)
    雨引の自然観察会と彫刻(バスツアーと併せて)

    2001.05.20(日)
    「大和撫子庵」終了、総勢19名参加

    2001.05.27(日)
    第9回全体会議
    ・カタログ用データの決定
    いなかの会議
    大和村ふれあいセンター(シトラス)
    ・テーマ「雨引の里と彫刻のこれから」

    2001.05.27(日)
    第4回雨引の里と彫刻 会期終了

    2001.05.28(月)-6.10(日)
    作品搬出期間

    2001.06.02(土)
    打ち上げ会(雨引研修センター)

    2001.07
    第10回全体会議
    ・第4回雨引の里と彫刻実行委員会解散会
    ・カタログ校正

    2001.07
    カタログ発送


  • あいさつ




    photograph SAITO Sadamu


    私たちは雨引の里の2回の展覧会から多くのことを学びました。
    作り手にとって、設置場所の選択は直接作品にかかわる大切な問題です。
    地形やそれを覆う緑の高さ、ひかりの量、水のゆくえ、風の向き、空と大地の割合にいたるまで、展覧会の時期を想定しながら自然の中に身を置いてみます。
    そして歩きまわることで自分と自然との接点を見つけだし、作品の居場所を探すことの楽しさと、それを実現させることの難しさを同時に味わいながら、雨引の里で発表を続けてきました。
    そして今年に入り、私たちは新たに第3回展にむけて動きだしました。
    出品作家も最終的には33名というこれまでにない規模になっていました。
    前回までの反省点をもとに多くの方々に参加していただき、話し合いを重ねているうちに、この展覧会に対する大和村全体の理解がよりいっそう深まっていることに気がつきました。
    そして私たちの意識も同様に熱っぽさを増していきました。
    「雨引の里と彫刻」展は、ゆっくりと育ってきていることをこの時実感することができたのです。
    これは私たちにとってとても大きな収穫でした。
    田舎の風景を再確認しようという目的は、第3回展にも引き継がれています。
    作家自身が身をもって体験した大和村の自然から、どんなかたちで作品と風景が結びついていくのか御高覧いただければ幸いです。

    雨引の里と彫刻 実行委員会


  • 第3回 雨引の里と彫刻について

    3年前に7人の地元で制作している彫刻家達によって始められた同展も素材、規模も回を重ねるごとに拡大し3回目の今回は参加作家33名、38点の規模の展覧会となった。
    この展覧会の最大特徴のひとつは美術館とか地方公共団体などが主催するのではなく作家達が自主的に運営している点である。第2点は作家達が自分の作品を展示したい湯所を探し、役場の協力を得ながら各々が地権者を訪ね承諾を得てはじめて場所が決まるという点であろう。
    その結果ほとんどの作品は作家が選んだ場所を強く意識して作られた作品となった。
    現在、宇部、須磨をはじめとする国内で開かれている多くの公募のコンクールや野外彫刻展では作品の審査はされるがその作品がどのような場所に展示されるかは主催者に任されているのが現状である。
    今回の作品は林の中(栗林、雑木林、桐林)川のまわり(土手の上、河川敷)用水池の中、その周辺、畑、蕎麦畑の中、農道の横、神社の境内等、ある場合は山林などによって比較的閉ざされた空間に、又ある場合は広々とした田園風景の中、筑波山を背景にと様々な状況の中に展開している。
    現在私たちが彫刻に接する多くの場合、それは美術館や画廊といったニュートラルな空間に置かれたもの又は公共の場や建物に設置されているいわゆるパブリックアートと言われているものではないかと思う。大げさな言い方をすれば彫刻、ひいては文化というものはそのような場でしか接することが出来ないのが現状なのではないだろうか。
    私達が行っているこの展覧会は大都会でではなくそれこそ美術館も画廊もないような行政の最小単位である村、大和村で開催しておりその意味するところは彫刻、文化はもっと日常生活の中で普通に接するものであり特別なものではないということを、少しずつでも日本の中に浸透していってもらえないものかと思うからである。


    雨引の里と彫刻 実行委員会
    菅原二郎


  • 作家の一言

    第3回 雨引の里と彫刻に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。


    芝田次男
    森のなかでは、太陽の光が樹樹の間で色々と変化しながら、独特の明るさと暗さとを作り出しています。それと、多くの木や草の生気のようなものが満ちていて、あの魅力溢れる空間になっているのだと思います。作品は、森のなかに「集う」思いを表現しています。集うものたちは、そこでは樹と同じような形態をしているので、地上に落ちた影は森に同化しています。


    鈴木典生
    実際に日に触れるもの(客感的に見えるもの)に対し、潜んでいるもの〈見えないもの(地下にあるもの、あるいは精神)〉どちらがそのものの実体なのか、どちらが大切なのか、また、何を守るべきか、何を残せるのか、私はゆっくり、じっくり考えている。


    廣瀬光
    川や田畑や家、植物は均一で大きな流れは南北に沿っていた。たぶん空気の密度と同様に北から南に見えないほどにゆっくりと移動しているように感じた。ここに置かれるであろう作品の物質的な問題は、この時点ではほぼ想定されていたので周囲を取り込むための、あるいは受け流すための形態がより重要であった。


    松田文平
    表装物の中を知るための一番はじめに受ける印象とすると、表装を極限まで削りとっていったときに物の形は消滅してしまうということです。ちょうど「らっきょ」の中身を確認するための皮むき行為に似ています。石材は「むく」の素材のため、中と外を把握するのに好都合な素材であります。


    水上嘉久
    場所について-光音風臭気冷気透明偏光明滅  狂犬麦汽車緑青呼吸腐蝕仮死夢臨終至上完全
    水平垂直上昇下降圧力重力多重屈折温度真空  東西南北春夏秋冬時空静止雲水付虚無石微動
    因果遠近農夫迷信忘却過去湿地田園境内子供  酸化陰摂取灰研磨臓樹液死骸雲母石英御影石


    村上九十九
    私の母は93才。目も耳も言葉も健常である。体は縮まり子供のように軽くなったが、かけがえのない存在である。母に喜んでもらうために自分は頑張っているのだという思いが無意識的にあるのかもしれない。いずれ訪れる絶対的不在への恐怖感、虚無感に立ち向かう行為としてまた自分にも間違いなくやってくる確実な(空虚)に対し不完全な存在を彫刻することで、時間を埋めなければならない。故に、木を削り組みたて、上昇する空間(水辺)に設置した。


    岡本敦生
    タイトルに付けているUNIT くユニット)という言葉には「これ以上崩すことの出来ない基本的な単位」という意味があります。このUNIT(作品)のおかれる環境は問題ではありません。今回のように山のなかにあっても、都会にあっても、家の中にあっても良いと思ってます。UNITに続く9910はこの作品の認識番号、A. LB. は形のコンセプト、s1/1は縮尺、riは中に詰まっているものの番号です。


    藤本均定成
    私のものを作ることが芸術との出会い‥ それを通して「存在の本質」を見ることができればと考えてきました。現在はそれと共に、芸術そのものの在り方と仕組みに興味をもっています。今回は、観賞することに的を絞って作品とし、芸術の輪郭らしきものが見えればと考えています。


    島田忠幸
    現代において、芸術は宗教に代わって超越的な体験を人々にもたらすものだ。たとえばそこに無いものを見たり、感じ取ったりすることができる装置としての彫刻である。森を舞台装置として、きまざまに読み解ける物語を発表したい。


    たべ・けんぞう
    この作品の材料は、使えなくなった機械の部品、壊れた湯沸機、捨てられたバイクのパーツなどの部品です。この世で使命をを終えたもの達に生命を与え、新たな世界へと再び新生させようというのが、私の仕事です。


    渡辺尋志
    古事記のなかに「天地四方を以て六合(くに)となす。」という一節がでてきます.この地に六合を感じました。人の住む豊かな土地を視ました。そして、狸も見ました。こういった自然があるっていいですね。狸の隣に人間が住めるって良いですね。無くさないでね。狸の六地蔵に願いをこめて制作しました。


    國安孝昌
    雨引きの里をめぐると溜め池の多さに篤かされる。稲作の地では水そのものが生命を繋ぐ賜である。自然と生命が直接につながることを拒絶していく現在の文化の進路に苦しさを覚える。私は雨を呼ぶ憑(よりしろ)代を作りたいと思った。


    安田正子
    日頃、仕事場で黙々と制作しているものを、限りない自然空間へ引っ張り出してみると、何か答えが返ってきそうです。草いきれの径をのぼりながら、ここに置かせてもらってもいいですか…と いつも思うことでした。


    村井進吾
    循環する物質である水と安定した状態を保つ石が一体を成して在ります。刻々と変容する水、時を留めたままの石塊、それぞれの物の性質がどのように牽制し響きあい、新しい杜の海を形作るのでしょうか。


    大栗克博
    農村部の畑の上に水の流れを意識した作品を置きました。現在、酸性雨やダイオキシン問題などわたしたちの日常の生活に直結する水にまつわる問題がたくさんあります。水の行方は、わたしたち人間の行方であり、人それぞれが水に対する思い入れを語れるような作品と考えました。


    田村智義
    パチャママとは、インカ帝国の神々の名前のひとつを引用したものです。
    ボンチョと帽子を身にまとい、幾万年もの時を経て山と化した姿を表現しました。


    中井川由季
    五月雨の中で、森を背にした小さな溜め池を見付けました。大和村のこの地区には溜め池が点在していて、この土地を特徴づけています.その中のひとつ、この溜め池に作品を設置しようと思いました。私は粘土で形作り、それを焼成して作品を作っていますが、「作りたい形」はいつも自然のなかからみつけています。そうして作った「もの」を溜め池の片隅に置いてみたらどんな姿に移るだろうか、恐ろしくもあり、楽しみでもあります。


    山上れい
    真鍮の線材の組合せによって、新しい空間を創出したいと考えている。初めて大和村を訪れたとき、美しくきらめく空気・光り・風を感じた。やわらかな陽光の差し込む木立の中で、そのきらめきを表現したい。


    サトル・タカダ
    自然環境と人間がどのようにして共存するか未来に向かい様々な試行が提案されている。自然の美しさや恐れを人間は素直に受け入れその恵みを永遠に持続きせたいと願うものではないであろうか。今回[BIO-BRIDGE]という造形は従来型の野外作品ではないコンセプトで成立されている。水上に浮かぶ構造になっていますが、単に浮かぶだけでなく水の環境の生態系をどのようにすれば、濁らず、清い水に持続できるかを考えている。水の中にある微生物によるカタルシスを生み出し水の循環を可能にした再生型ビオトープの一つである。次に造形のコンセプトであるが、生命のDNAの二重螺旋構造を感覚的に表現し水の中から空中へのびて行き、水のなかに入る直経60mmの金属パイプを溶接により加工し抽象的な形態が無主力の空間に浮かんでいる。昼の太陽光では明快な色彩による形態が夜間になると紫外線の熱を利用して蓄光材の性能により蛍光色の美しい光を発光する。しかもその光は蛍の光のようにゆっくりと点滅を繰り返す。構造的に水の中で浮くためには浮力が必要になる。このためにステンレス製のドラム缶を利用した。全体のバランスを調節するためのバラストの計算をしなくてはならない。ドラム缶は正三角形の形状をもち水深50cmの所で鉄パイプによりジョイントされ一体になっている。次に水の環境メカニズムについてであるが水の汚れの原因である栄養塩類の植物性プランクトンをとりこみ水環境の修復を行なうため人工生態礁を設置し食物連鎖を促進することにより植物性プランクトンの抑制による透明度の増進をし自然環境を守るため有効な試みを果たすものと思う。また、今回のプロジェクトのなかに盛り込まれている特色として太陽電池の利用もある。作品独自による動力を発生させる。広大な湖のなかに設置された場合にも作品それ自体で夜間に発光させることが可能である。


    山崎隆
    青木神社、参道の入口。御影石の鳥居が長い年月を経て、あたりの景観に静かに溶け込んでいる。台車に(供物)⇒GIFTを載せた作品で鳥居との空間的、観念的共存を考えてみました。どなたでもお気の向くままに、何かを載せて頂ければと思っています。


    平井一嘉
    もし、遺伝子組替えなどで大きな豆ができるようになったら、豆の木はどうなるのでしょう。「青木神社ではこんなことがあったなあ。」と、観にきてくれた人の心のなかに伝説として残ってくれたらいいのになあ!


    斎藤徹
    地上での、人間が作ったあらゆる建造物を見ていると、科学と文明の力に驚かされることが多いが、地球規模で起こる様々な現象(気象的なもの、地表下の動きなど)と、それらが引き起こすエネルギーを考えると人間の非力さを痛感せぎるをえない。しかし時としてその恵みを忘れ、対立の関係に位置し、過度の開発と破壊へ向かってしまうことがある。私は、自然からえたエネルギーを自然に還していくような姿勢で、人間がかかわっていくべきと考えます。この場における天壌(碑)も、そういった意味で考えてみました。


    槇 渉
    長い間石を彫って思うことは、随分割ったり穴をあけたりしていじめてきたこと。いや逆にいじめられてきたのだが、このへんで石も自分の足で自由にまだ見ぬ世界を歩いてもらおうか。


    田中毅
    風雨に耐え、熱帯の強い日差しと気温にも負けずに重々しく咲く花に出会えるかも?


    佐藤晃
    石の中を刳り貫き、脱け殻のような枠状にして、空や廻りの景色と対比させて提示したい。こんな想いが制作の発端にあります。これを実現する場を大和村の中に求め、たくさんの方々のご協力により、イメージは姿をもちはじめました。さあ、これからです。


    菅原二郎
    この作品は四角柱を6この部品に割り、それらをすべて使って内を外に向けて組合せたらどんなかたちになり、またそれはどんな感情を感じさせるものになるのか・・・に興味をもち作った作品で、理論的には各部分を正しい位置に組合せるともとの四角柱になります。


    海崎三郎
    室内でありながら、半分屋外の空間が入り込んだような、そんな作業場を見付けました。その半分、半分が微妙に両立し、融合していることにとても新鮮な空間を感じました。今回156cm×124cm×100cmの鉄の作品をそこに置くつもりです。


    望月久也
    川岸に作品を置きます。川の流れや周田の移ろいは、それとは一見無関係に営まれているようです。しかし、日々の繰り返し、四季の巡りとして感じられるサイクルも、何一つ同様ではなく変化の中にあります。「在る」とは時間と場所を切り取る目印のようなものです。


    西川利夫
    私は丹沢山塊の北端にあり、四囲を山に囲まれた神奈川県相模湖町という人口約1.1万の小さな町に住んでいます。対して、雨引の里は間東平野に位置し、限りなく続く水平に開けた大空間の裡にあります。筑波山を背景にしたこの「場所」で、物理的に面をもたない私の彫刻が、皆さんの視線によってどのように再構成されるのでしょうか。


    大槻孝之
    作品「方舟」は、河川敷の設置場所に何回か足を運び、広い空と風の通る草原の間で何ができるか思考しながら出来たものです。作品を触媒として、向こう側にある空や雲や緑を見てくれればうれしいのです。


    宮沢泉
    日々、目にうつる緑
    耳に聞こえる緑
    そんな緑を石に彫ってみたいと思いました。


    グループ・等(佐治正大及びメンバーズ)
    地球の環境を守るためのメッセージとして、多くの制作者により、森の木々に包帯を巻き、見てくださる方々や子供たちの思いを伝えて頂くための大画面を用意して、みんなの参加するアートとしました。コンポスト型トイレもあります。生きものたちの森を体感してくだきい。


    小口一也
    2回展は風神・本展は地神をテーマに、そして万物との対話をこころみた・・・・・金鏡の神は、筑波山が真正面に見えるところに祭られ、わら宝殿の前に一升瓶が献納され、雑木林の片隅で土壌を含めた万物の生物に「生きる」ことを語りかけている。


  • あいさつ

    1996年春に、大和村で制作を続けてきた彫刻家たちが集まり、田舎の風景を再認識しようという目的で「雨引の里と彫刻」展を開催いたしました。
    ’96年秋、第1回展の考え方を引き継ぎ、様々なジャンルの作家たちが参加する展覧会を計画することから始めました。
    展覧会にかかわる全ての経費を参加作家が負担するという条件にもかかわらず、多くの作家たちの賛同を得てスタート致しました。
    展覧会に向けて全体会議を重ねながら、大和村役場の方々や地区の区長さんたちにも参加していただき作品設置場所を決め、基本的に作家個人が地権者の方々の承諾を得るというかたちで準備を進めて行きました。
    ポスターや案内状に関しても関係各位のボランティアにも似た協力で、展覧会の開催にこぎつけることが出来ました。
    この展覧会を作り上げた作家たちのエネルギーが、風景の中の彫刻を通じて私たちをとりまく日本の現状を再発見するきっかけとなってくれることを期待しています。


    雨引の里と彫刻 実行委員会
    菅原二郎


  • 作家それぞれのコメント

    今回参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家のコメントです。


    井上雅之

    生産現場として幾世代にも渡って受け継がれて来た
    人工空間の田圃に興味を持ち、
    確かな手応えを感じ、働きかけられたこと。
    共同作業ゆえの人の繋りが、
    力を持って姿を現わす場に立ち会えたこと。
    新たな試みというものは
    期待以上の喜びを与えてくれるものです。


    大栗克博

    水辺には、鳥や魚や小動物などさまざまな生き物が
    集まります。望楼とは、遠くを見るための
    高い建物、物見やぐらといった意味のものですが、
    その彫刻を手がかりに、背景の池に映る
    空の色や水位の変化、小動物など
    豊かな自然の営みを見てみたいと考えました。
    期間中赤く染まる秋の夕暮れを映し出した水面が
    強く印象に残っています。


    大槻孝之

    この展覧会の魅力は発表の場が美術館や公園のように
    生活の外側に囲われてある空間ではないからです。
    軌道敷跡は、かつて電車が走り
    人や物が運ばれ他の場所と繋がっていた所であり、
    今は人々の記憶とともに残る空間です。
    また田畑や林は、作物を育て収穫するという
    自ら物を産み出す生きた空間です。
    そのような大和村の生活の内側に彫刻が
    入りこんでいけた事がとても新鮮でした。
    そしてそれはなによりも彫刻とは何かという問いを
    山びこのように問いかえされたからです。


    岡本敦生

    のんびりとした田舎の風景がある。
    都市化・近代化が進行する過程で、何かが破壊され
    退化してゆくのを感じている。
    それは風景だったり農業の手段だったり
    生活の中身だったりするのだが、その波を我々の手で
    くい止めようなんて考えている訳では無い。
    ただ、失われつつあるものをもう一度自分の心の中に
    刻み込みたいと思っている。


    海崎三郎

    栗林の中は、葉が空をさえぎり木洩日が落ちてくる
    美しい空間でした。竹ぼうきで落ち葉を掃いていくと、
    少しずつ固い土の面が表れてきて、
    最後にはそれがどこまでも続く土間のように見えました。
    背のひくい空間を選んだことや、
    落葉が雪をうけいれることは、作品と土のかかわりを
    考えることであり自分にとっての野外を
    そこから始めようと思いました。


    小口一也

    感性の表現が異なる27名の作家が参画し、
    苛酷な物質面と自然環境の中で作品との共存性を
    模索しながらお互いにぶつけあった時空は、
    貴重なる財産を提供してくれました。
    生きているということ・を
    ここ数年テーマとしている小生にとって
    土壌を含め森羅万象の生物と神話の世界で対話を
    こころみたつもりであったが、自然の厳しさに
    数度崩壊され己のあまさに痛感しました。
    また鑑賞者は、田園風景とそのなかの作品を
    散策されこの田舎を愛し堪能された事でしょう。
    数多くご鑑覧いただいた方々・
    ご指導協力いただいた方々・この環境を与えてくれた
    この地に感謝したい。


    佐治正大

    作家主体を大基本に”全て我々の手で”と
    勇ましく始まった展覧会ですが、
    実際は手弁当代よりも費やされた時間が大変、
    核となって引っぱってくれたメンバーの熱い情熱に感動、
    頭が下がります。”物づくり”も同じ、
    この情熱温度を上げる増殖炉が欲しいものです。


    サトル・タカダ

    沈黙する空間 失った時間
    解き明かす事のできない人間の不条理
    だが一瞬、此処には熱い何かがあった。


    志賀政夫

    旧雨引駅のプラットホーム……
    遠い昔の出来事が、流れる風によって聞こえてきます。
    遠い記憶をたどり、人々のささやきを聞きます。
    風が色をそっと置いていきます。
    雨・風・雪 冬の80日間ここに生活しました。
    作品名「風の色」(人々のささやき)
    1998年1月21日 火葬。
    大和村 雨引の里に眠る。


    芝田次男

    展示空間に選んだ栗の林は、
    10年の歳月が経っているという。
    晴れた日の夕暮れ近くにこの若い林の中に居ると、
    葉を落とした木々の細い枝が長い影を
    地表に延ばしているのを見ることができる。
    陽の光によって方向づけられた樹影は、美しさと
    不思議な規則性とを合わせ持つようだ。


    菅原二郎

    第2回雨引の里と彫刻、27名の彫刻と
    大和村の田園風景との出会い、人々との出会い。
    1回展ではまだ見えなかった新たなものが
    見えて来たような気がする。
    ふだん美術等に接する機会の少ない村の人々に彫刻を、
    具象も抽象も含め様々なジャンルの現代美術を、
    眼にしていただけたのではないだろうか。
    美術館や画廊等でふだん美術に接している人々には
    彫刻と風景という対比のもとに美術の新たな可能性を
    見出した人々もおられるのではないだろうか。


    鈴木典生

    子供の頃から何度も足を運んでいた雨引観音。
    その歴史を感じさせる風情のある参道。この場所に
    自分の作品を置くということは考えたこともなかった。
    しかし、この展覧会に参加した事により、
    様々な作品、人、自然に出会い、改めて雨引という土地、
    そしてこの地域に生まれ育った
    自分というものを再認識する事ができた。
    そして、展覧会が終わった今、この場所で自分には
    どんな事が出来るのか、どんな可能性があるのか、
    新たなる欲求が生まれてきました。


    田中毅

    雪も雨引の里に降り、作品を引き立たせてくれた。
    雨引の里でやってみたいという思いが、
    いろんな人のおかげで僕の中で今回成功しました。


    土屋公雄

    子供の頃より山のある風景に親しんできた私にとって、
    はじめて訪れた大和村の風景は懐かしいものであった。
    今回その山と森を背景に作品が展示できた事を嬉しく思っている。


    常松大純

    田園風景のなかに<場>を求めることから、
    創作は始まる。
    審査がない。 賞がない。 金もない。 
    開放された心。 のびやかな造形。
    <場>との出会いのエネルギー。 
    →→→ 未知の可能性のアブリダシ。
    見知らぬ自分を見つける楽しさ。 おもしろさ。
    手づくり彫刻展。 27の個性のでる会議。 
    よき仲間との出会い。


    中井川由季

    少し蒸し暑い初夏の午後、
    集合場所に集った人々の熱気と緊張は、
    企画者のいる美術館でのそれとは違っていた。
    私は、ただ1点、自分の立っている場所を
    少しずらした所で見てみたいという
    理由のみで参加を決めた。
    「やきもの」で立体作品を作っている都合で、
    発表する都度に様々な詰問が飛ぶ、
    それらの質問の最適解を
    自身の中に見つけ出すための経験の1つとして、
    この展覧会に参加できたことは得がたいことであった。


    長嶋栄次

    自然との調和をイメージの一端として
    制作したについては、一寸ばかり考えが甘かったようだ。
    冬枯れの軌道跡や田畑の表情は硬く時には
    冷やかにすら感じる厳しさもあった。
    しかし反面、周囲にめぐる緩やかな山波や
    樹林が想像以上に穏やかで、
    優しく作品を包容してくれるのを知った。
    その理由を悟ったのは雪景色の中であった。
    今度は萌え、灼けるような時に試みてみたい。
    終りに、このような機会を与えて下さった方々に多謝。


    八田隆

    この展覧会は私にとって、人の集うことの意味を
    あらためて問い直すいい機会でした。
    一人の作家が、情熱を傾けて
    仕事に打ちこめる「場」が与えられて、
    そのことのみ全神経を集中する。
    一人の作家が、全体の展覧会のためにあるのではなく、
    自分のためだけに作品を設置する場所に現す。
    そんな一人一人の作家のエネルギーが結集して
    この作品展のイメージをすごくいい方向にもっていって、
    それが見に来てくれた人にも「伝わった」と思う。


    平井一嘉

    私は雨引観音の山門の前に展示させて頂きました。
    私自身も車を使いますが、お寺までほとんどの人は
    出入口である門を潜らずに、車で上がってしまいます。
    昔の人はどのような思いで参拝したのであろうか。
    便利さゆえに忘れられた自然の再発見はまず、
    歩く事のような気がしました。


    廣瀬光

    考えること(思考)、作ること(制作)、
    それを見せること(発表)はそれぞれとても重要で
    切り離すことのできない関係にあります。
    展覧会「雨引の里と彫刻」は特に、
    見せるという行為おいてに実験的な試みがありました。
    農業そして石材産業で成り立つ大和村、
    日本的な田舎の風景がまだあちこちに残るこの村に、
    全く別の文化ともいえる27の現代アートが置かれ、
    大和村といういつもの風景が
    およそ2ヵ月半という期間の中で
    どのように変わっていったのか、それとも変わらなかったのか
    それらを見つめる目を持ち続けていたい。


    藤倉久美子

    本当はもう手遅れかもしれない。
    でも、今からでもよいから、
    気付いた時からでもよいから、何かをはじめないと
    地球は滅びてしまうかもしれない。
    そんな思いが頭の中をよぎって、
    田舎の風景の中に作品を置いてみて、
    人間達の傲慢をかえりみて、
    人間達が汚してしまった
    海や山へわびる気持ちになりました。


    藤本均定成

    社会の構造が複雑になり職種が多様化され、
    本来ジャンル化されるものではなかった芸術の世界も
    それに同調するかのように、
    いろんな様相を見せ始めています。
    観賞する側も展覧会の企画を選べるようになり、
    “見る人と作品の出発点”に立たなくても、
    既に観ることが整理されているのが
    普通となってきています。
    今回の「第2回 雨引の里と彫刻」はあえて、
    彫刻のジャンルを整理しなかったことで
    観賞する側が認識の出発点に、
    今一度立ち戻ることができたのではと考えます。


    松田文平

    一つぶの小石を水面になげた時から
    一点を中心に波紋は広がってゆきます、
    そして、また小石の一点へともどってゆきます、
    これは、制作してゆく過程ににていると思います、
    そのような作業は、けっして
    実生活に必ず必要ではないにせよ、
    だれもが多かれ少なかれもちながら生活しています。
    実生活の場である雨引で作品を発表出来たことは
    新鮮な感動でありました。


    宮沢泉

    彫刻をそこに置くことで
    まわりに普通にあることが
    何かしらあざやかに感じられ見えてくる、
    歩く人が見えてきたり、
    空が高いと感じたり、
    そんな何気ないあたりまえのようなこと。


    村井進吾

    1月23日、既に作品が取り去られたその場所は、
    緑が濃い頃には異様に映った立ち枯れた栗の木立も
    周囲の冬景色に溶け込みありふれた景色であった。
    台形に切り開かれた斜面の中程に
    黒く残る掘り起こされた土の新しさが
    2ヵ月半の出来事を僅かに想わせた。


    村上九十九

    自然に対する畏敬の念をいつも心に抱いていても、
    私たちの立ち入る場所に置いて、
    あるがままの自然はあろうはずがない。
    日常的生活空間、人工的自然が風景である。
    都市であれ田舎であれ、
    終日眠らぬ眼差しがいつもあることを十分自覚し、
    仕掛けなければならない。
    一瞬であれ侵犯したい衝動に駆られた行いの証しとして、
    あらゆる注意をはらって表現を探る。
    野外空間はいつも実験の場である。


    望月久也

    野外の展示は、これまでもそれなりに経験してきましたが、
    今回は特に、場がもつ多様性というか、
    重層性(時間も含めた)のようなものを感じさせられました。


  • あいさつ

     大和村、雨引の里は都心からおよそ100km圏にありながら、驚く程豊かな自然や、田園風景が残されて、筑波神社、加波山神社、雨引観音をはじめとした数多くの歴史的、文化的な建造物も訪れる事ができる、この地域に広がる穀倉地帯、ここの山々より産する御影石に基盤を置いた石材産業は全国有数であり、近くには学究の園、筑波学園都市を山すそのつながりとしてもつ。
     この地域を都市化の波からさえぎり、この地域のもつ豊かな自然、そして関東平野を前にした山際安息空間を生かした地方性・地域性を重視した地域の文化・物の考え方を育む事が今切実に求められているのだと思う。今までの日本の考え方は段階的であり、単色モノカラーである。つまり、何々が手に入ったからその上のことをする、ある社会現象が起きるとテレビ・新聞をはじめとするすべてのジャーナリズムでとりあげその色でぬりつぶす。そしてある時期が過ぎると問題が解決されなくとも次の問題にうつる。文化においても東京中心主義であり、地方性というものを極力排しようとしてきたし、また、地方文化を担う人々も、東京指向であったように思う。
     これからの時代は、同時多発であり、多色の時代・地方、地域の時代である。同時多発的に様々な地方において、その地域に根ざした特徴のある文化の発生の必然性が問われている。 我々はこの都心に近く、かつ多くの田園・自然を残している大和村・雨引の里における山際、安息空間に地域文化を育成する一助として現代彫刻を一定期間展示する展覧会を企画した。

    雨引の里と彫刻 実行委員会