• あいさつ

    photograph SAITO Sadamu


    東に筑波山を望む茨城県中西部の桜川市一帯は、筑波山に連なる山々から良質の白御影石が採れ、石材業の盛んな地域です。1996年に地元で制作を続けていた数人の作家たちにより「第1回雨引の里と彫刻」は始まりました。展覧会は、季節と地区を変えながら6回目の「雨引の里と彫刻2006」が先月、無事終了しました。振りかえってみると今年で11年になります。出品者も今年は44人と、大きな会になりました。交通の不便さにもかかわらず観覧者の数も増え、はるばる遠方からこの展覧会を聞きつけて来てくださる人もいます。昨年の10月には、町村の合併により開催地である大和村は桜川市となり、引き続き市の協力や地域のボランティアの協力を得て、少しずつ「雨引の里と彫刻」も社会に認知されるようになってきました。
    「雨引の里と彫刻」が今日まで続けてこられた要因は、周辺地域の方々の協力はさることながら、この会の出品者の一人一人が実行委員であり、作家の自主運営によって行われているからでしょう。月1回のペースで行われる実行委員会の会議で熱い討議を重ね、その上にこの展覧会は成り立っています。展覧会の1年以上前から、地区の設定や作品の設置場所選び、会期、会場ルートなど、もろもろのことが1から決められていきます。「第5回雨引の里と彫刻」のあと、今回の展覧会の名称は「雨引の里と彫刻2006」となりましたが、このことも、会の在り方について根本に立ち返って討議した結果です。このような討議を持つことで自分の展覧会であるという責任と意思を一人一人が持つからでしょう。もう1つの要因として、この展覧会は、会場地区の地権者の方に協力して頂いて行っていますが、それは単に作品を展示するためのスペースや借景として畑や林を貸していただいているのではなく、農業と石材業を営みとした生活の場の中に、彫刻、美術を関わらせて行きたいという欲求をみなが持っているからです。里山の自然豊かな大和地区ですが、曲がりくねった畦道ひとつとっても、農業を中心とした長い歴史の中で人の手によってつくられたものです。私たちの作品は、ゆっくりと生きづいているこの町のさまざまな物事や事象から触発されて生まれたものです。
    日本の風土、生活環境の中に、彫刻が根ざしていけるかどうか、地域社会の中でどんな役割を担うことができるか、これからの課題もあります。前を見据えて一歩ずつ歩んでいくことの大切さを以前にも増して感じています。そして、「雨引の里と彫刻2006」の会期が終わった今、それぞれの作家の思いを詰め込んだ、この風景の中での作品は、カタログの中にしかありませんが、彫刻の形をなぞった風は多くの人々の心に届いていくと信じています。

    2006年7月1日
    雨引の里と彫刻 実行委員会
    大槻孝之


  • 雨引の里と彫刻 2006について

    雨引の青年たちは何処へ

    「雨引の里と彫刻2006」は4月1日の桜の開花の時期と共に始まり、やがて色鮮やかな緑が芽吹き、徐々にその緑を濃くしてゆく梅雨直前の6月4日に終了した。2週間後にはすべての作品は撤去され、雨引の里にはいつもの静かな時間が流れてゆく。
    4月から5月という時候の良さや新聞各紙に展覧会の模様が掲載され、またテレビ、ラジオに放送されたこともあり、芳名帳だけでも前回の1.5倍の1500人の名が記されている。会期中のイベントのバスツアーでは、定員を多く上回る参加申し込みがあり、2回目のバスツアーは定員を増やし、更にバスをもう1台増やしたものの、断りを入れる程の盛況ぶりであった。各日曜日にはボランティアによる「大和撫子庵」の休憩所、お茶のサービス、また「手打ち蕎麦大好き会」の蕎麦実演販売もあり、全長約15キロの展覧会コースを回る人々に息継ぎの場を提供してくれた。関連イベントとして4月24日から28日まで東京のギャラリーせいほうで「雨引の里から」と題しプランニング展を開催。44人の作家の作品のプランや小品を展示し、短い期間であったがサテライト・ギャラリーとしての役割を担った。
    すべての作品が撤去された現在、この里山に、そして人々にどのようなものを残すことができたのだろうか。44人の参加作家の中にはいまだ冷めやらない熱い何かが残っているようだ。
    10年程前、石の産地であるこの地を制作の場とする7人の石彫家により、「第1回 雨引の里と彫刻」は始まった。町や村が主催するのではなく、彫刻家が自主的に運営し、展示場所を自分で探し、地権者の許可を得、その場との対話のなかで制作、設置する形態の展覧会として。このことは展覧会の基盤として現在まで踏襲され、また、展覧会の特徴にもなっている。里山や集落の風景は美しい展示空間としても、また地元の人々、地域社会との関わりといった社会的空間としても、彫刻家を誘発した。美術館、画廊といった空間は、あらかじめ見ることを前提とし、どのような作品であれ、美術として自明のものとして守られる。しかしこの場では、地元の人々との美術に対する認識のギャップから、彫刻家たちの活動は時に奇異に見られ、誤解され、無視されるといった風雨にも曝される。このような体験は、各作家が今一度、自分の作品を振り返り、また美術の在り方を再検討する機会となったのである。各回ごとに参加作家の数が増え、44人の大所帯となった今も、美術や彫刻の存在意義を自分の中で問い直すきっかけとなるものをこの雨引の展覧会は有している。
    場所選びからすでに作品制作は始まっている。どのような場を選び、そこに何を読み取り、その場といかなる関係を結ぶのか、それは各作家の目と思考そのものの現れである。同じ場所であっても各作家により、全く違う視座を持つだろう。それは作家どうしのお互いの新たな発見となり、刺激となる。いい意味でのライバル意識がうまれてゆく。多くの団体展、グループ展が年月を経ることで、はじめの理想や緊張感が失われ、形骸化している現在、10年経った今でも、このような意識が失われず、グループ展としての理想の形を保持しているのがこの雨引の展覧会ではないだろうか。それは雨引の里という場が持つ力なのだろうか。あるいは自主運営と言う形で保持された作家の意志、欲望と言い換えてもよいものなのかもしれない。
    とはいうものの、多少のほころびと惰性を感じた前回展からの仕切り直しとして今回の展覧会は動き始めた。町村合併により大和村から桜川市への移行も一因であるだろう。展覧会開催の有無、展覧会名称の問題だけで約3回の会議がもたれた。より良い展覧会にしてゆく為に、今までの反省点、問題点をひとつひとつ検討していった。約1年前から、毎月一回定期的に会議は開かれ、必要事項が決定されていく。各作家それぞれが各係に着き、年齢やキャリアなどに関係なくこの展覧会に対し等しい責任と義務を担う。毎月の会議は各作家の気持ちを徐々に高揚させ、連帯を深める儀式であるのかもしれない。このような準備の末、ポスター、案内状の発送を最後に、今回の展覧会は「雨引の里と彫刻2006」と、名称も新たにオープンした。
    結果は冒頭で書いたように今までにない成功をもたらした。
    場の特性を生かした作品が多く、これまでにない場への作家の目と思考が感じられる力作が多かった。春の爽やかな風の中を自転車で回られた方は、そのことを体感していただいたのではないだろうか。何人かの作家にとっては今後の重要な展開を示す作品になったであろう。
    バスツアーは作家のトークもあり、欠かせない人気イベントとなった。
    各マスコミの批評も今までの「彫刻家が手弁当で展覧会を実施」という記事から各作品を言及した批評になっている。また「場との関わりが借景的である作品が多く、地域社会との関わり方で物足りない」という批判的な記事もあったのも事実である。
    2ヶ月の会期中に、周囲の環境は刻々と変わっていった。5月に入ると田圃には水が張られ風景は一変した。いっせいに農作業の音、蛙の鳴き声が聞こえ始めた。緑は濃くなっていった。環境の変化は作品の見え方や在り方にも微妙な変化をもたらした。野外展示のおもしろさと同時に、改めて日本の風土の中で人々の生活と自然が作り出した里山の美しさや豊かさに目を向けるのであった。
    また地元の人の行為が思いもかけず作品空間を変えてしまう出来事もあった。例えば、5月の初め、大和駅舎内に設置されたテーブルの作品の背後に市民ギャラリーと称してパネルが立てられ写真展が開催されてしまったこと。これは以前からの無人駅の環境を改善したいという、行政と地元の人の行為であり、雨引の展覧会をきっかけに行動してしまったことであるが、作家の意図した駅舎の空間の意味が変わってしまい、撤去していただいた。作品に対する理解や認識の溝を埋めることの困難さを感じた出来事であったことを報告しておこう。
    展覧会最終日の打ち上げの席で、実行委員長の菅原二郎は今回の成功を讃えながら、次のようなことを語った。「やっと、まともに批評され、また批判される段階にたどりついた。それは10年間の地道な活動がどうにか理解され、根付き始めたからこその批評、批判であり、そのことを真摯に受け止めていく必要があるだろう」と。
    その夜、今回の展覧会で起きた幾つかの問題について皆で語り合った。展覧会の成功とは裏腹に各作家の展覧会への関わりの温度差、桜川市との関わり、メール連絡よる作家間の意志の疎通の問題、地元の人々との美術に対する考えのずれから起きる様々な問題について。かなり酒も入っていたが。
    この展覧会の持つ純粋さや熱さは青年期特有のものに感じられる。
    雨引における各作家の愚直なまでの作品や展覧会への取り組みは、きわめて個人的な表現欲に支えられている。今、その個人、個人の営みの集合が地域社会において無視できない文化活動になりつつある。
    青年期から次の段階へ成長してゆくその起点に僕たちはたたされた。
    個人の表現と社会との関わりの中で、僕たちはどのような方向に向かうのか、また何回も語り合うことになるだろう。

    参加作家 金沢健一


  • 作家の一言

    雨引の里と彫刻 2006 に参加した各作家の作品に対する思いや、制作に関して日頃考えている事、 雨引の里と彫刻に参加して感じた事など、それぞれの気持ちを綴った作家の一言です。


    山添潤/刻0602 stage-1
    力は石へと向かう 力は石に残され刻まれる 刻まれると同時にそれに反発しそこに留まれなかった結果として砕け飛び散る外へと向かう力が生じる
    その外へと向かった力を再び石の中へ向かわせる作業を試みる その一打一打にこの身をゆだねてみる その一打一打に石は包まれる


    望月久也/月下点-06
    「月下点」とは月を天頂に戴く地点のことで、回帰線より北に位置する日本では本来存在しません。ましてやこの会期中、月の上がる角度は夏至に向けて徐々に低くなって行きます。とはいえ、設置された「場」の印象では月は真上に昇ります。作品は月と人を結ぶ一つの「目印」であり、月を継ぐ「宿り」でもあります。


    村井進吾/DARK / D 0604, D 0605
    集落を廻るゆるやかな坂道の途中にがらんどうの闇がある。


    中村義孝/雷神
    山懐にいだかれた場所で雷にうたれた木を見つけました。その痕跡を見て、自然界のエネルギーの凄さに驚くと同時に、その瞬間を想像してしまいました。


    中井川由季/風が抜ける場所、雨粒を集める、転がり落ちる
    続く山並みの縁(ふち)、池と田畑がそのくぼみに集まっている。手に取ることの出来ないもの、刻々と変わり行くものに魅力を感じ、その一部や動きを「あるかたち」に止めたいと制作を試みました。作品を置く場所もまた、刻々と変わっていく自然の只中にあります。作品に開けた穴からも、その変わり行く様が覗けるでしょうか。


    井上雅之/A-061
    土を数メートルに積むことは、さほどの時間を必要としません。しかし土を積むといった些細な行為の中において立ち現れてくる、意図する意識と、意識の底に広がる意識化できない世界とのせめぎ合いが、人の営為の本質的で重要な骨格を成していると考えます。せめぎ合った総量が「つくりもの」の存在理由を保障します。


    高梨裕理/雪消(ゆきげ)
    春が来る。
    寒いと思っていたら春になっていた。
    2006年3月


    山上れい/Ring・Ring・Ring
    新緑のさざ波が打ち寄せる入江のような場所。その奥に小さなステージを見つけた。青く澄んだ空の下、田畑を渡る風とともに歌を歌いたい。


    古川潤/Weighing The Earth(1気圧の偶然)
    数カ月前、東京タワーに上る機会がありました。幼少の記憶とは違った景色が展開していたことは言うまでもありませんが、むしろそれより赤い鉄骨に支えられた仮の地面の上で繰り広げられる人間のドラマに昔と変わらない匂いを感じ、妙な安心感を覚えました。


    渡辺尋志/虚と実
    道の終わりがあった。たぶん数年後には、形も人の記憶からもなくなってしまうだろう。実在していたはずの道。
    実在することとは形なのか記憶なのか。
    形あるものと形を創るものの真実は?


    國安孝昌/雨引く里の竜神の塔
    羽田山の南に向く斜面からは、遠く富士まで広がる関東平野の田や畑の景観の西に、赤く美しい夕日が沈む姿が 印象的です。山々の縁(へり)、平野の始まるこの稲作の地に、雨を護る馮代(よりしろ)としての龍神の塔を作りたいと思います。私の彫刻にはいつも、目に見えない、大いなる何かが気配される願いを内包しています。


    サトル・タカダ/沈黙への移行
    沈黙は荒野を必要とする。世界の始まりは沈黙から生まれ、過去、現在、未来が一つの統一体をなして併存している。エレベータが瞬間に静止している時、そこに沈黙が存在する。


    村上九十九/神狼
    人はその昔、まほろばの地にも真神の疾走を見たであろう。
    「遠い彼方で狼がとびまわっている。眼だけが闇の中で燃えている。両眼星の如く輝く青きガラスの眼で。」
    たぶん今でもこの先には姿の見えない送り狼がいるかも知れない。


    藤島明範/瞑想の部屋-0604
    作品を設置した羽田山一帯の地下は6千万年前に形成された稲田花崗岩の岩盤。この岩盤のひとかけらを中腹の草地に置かせてもらった。四角い石からすぽんと石を取り出して作ったのは大小2つの部屋。瞑想のための部屋である。地球の地殻運動で生まれた花崗岩の胎内で、静かに瞑想してみよう。


    松田文平/狭間(はざま)
    越えようとしている領域は、すぐ目前かもしれないのに深遠なるディスタンスを感じている。突き貫けてしまえばまた同じように領域を求めるだろうに。


    平戸貢児/CULTIVATION
    行き止まりの道を見つけた。正面は森…後ろを振り返ると、今歩いてきた真新しいアスファルトの道が続いている。森は、先に進もうとする道を忽然と、当たり前のように塞いでいる。奇妙な空間だった。自然と人のエネルギーが凝縮したこの場所は、なにか次のエネルギーを培養するのに充分なモノの気配を感じた。


    小日向千秋/光のあつまる場所
    薄暗く湿った森の中の小径を抜けると、ぽっかりと陽光のあたる場所に辿り着く。光の雫が空から降り注ぎ拡散していく様は、あたかも森に活力を与える養分が渾々と湧き出る光の井戸のようである。森の中の秘密の場所に、光があつまっている。


    グループ・RA(佐治正大及びメンバーズ)/明日に向かって
    いち早く 行動を開始した たくさんの動物たち ゆっくりとでも確実に 前へ前へと理想の地を想って森の奥深く 私たちの知らない 新世界へ旅立つ そこには 平等ないのちがある
    そして 共に生きると言う 意味の大切さがある
    動物たちは私たちに それを伝えようとしているのです。


    志賀政夫/Black boxは風の色
    大和の里まほろばに、6個のBlack boxはそっと置かれます。
    そこは、記憶の途中であるかのように、風が流れます。
    そして、森はささやきます。太古の響きが始まります。
    そっと、色を置いて行きます。Black boxは風の色。


    大栗克博/息吹・芽吹き・響き
    四月の声を聞くと里山は、活気に満ちあふれる。草木は、芽をふくらませ 鳥は、巣づくりに励み 虫は、殻から這い出し羽を広げる。
    芽吹きの季節に息吹きあるものが、天空に向け今はじけようとするさまは、おおいに私の小さな心に響くものです。


    島田忠幸/romantic love
    風景の中で消えて見えなくなる作品を作りたかった。
    彫刻の存在を否定するわけではないが、ひそやかに秘めた片思いの恋とか、隠れた危険な関係など日常を超えるものを夢みた。
    暮れない日がないように、明けない夜もないだろう。
    情熱をやしなう糧(かて)をくるしい沈潜の秘密の中に感じた。


    山崎隆/春
    ずっと前から此処に自分の彫刻を置きたいと思っていた。
    そうしてこの場所に惹きつけられるうちに、素材や形態、題名も何時の間にか決まっていたような気がする。
    春の季節に敢えて「春」という題名の作品をこの場所に置いてみる。


    海崎三郎/花
    鋪装された道と土の道、両方とも緩い上り坂で姉妹のようによく似ている。
    切り通しの空間をなるべくそのまま見せたいと思い地面すれすれに2点の作品を置くことにした。
    この厚みのない2つの鉄は熱によって咲いた花である。
    自分の意志と鉄の意志の半々のところで咲いた花である。


    佐藤晃/枠状の石-外延と内包量XI、柱状の石-外延と内包量XII
    奥に続く小高い山は枯れた木々で被われてその山肌を顕わにしている。おびただしい数の裸の幹は揃って垂直に伸び上がり、まるで山の気が立ち登っているかの様であった。表層の果てしない拡がりと粗密の度合。一つひとつの連なりによって成り立つ外延とそれに属する内包量を、山の一部に含まれる形で表現したいと考えた。


    大島由起子/Maison de campagne
    それぞれに生活があり、それぞれに家がある。
    そんな家には様々なお話しがあることでしょう。
    私は、この美しい土地に私の家を建て、私の話を始めたいと思いました。


    鈴木典生/Stone Capsules
    アヤメやカキツバタを観賞するために作られた湿地(池)を見つけました。毎年この季節を楽しみにしている人も多いでしょう。一年に一回咲き誇る花たちの中に自分の作品を置きたいと思いました。いつもとは違う、今年だけの空間を作ります。観賞の場から互いが重なり合って鑑賞する空間になるような気がします。


    横山飛鳥/回帰-再生
    一年前、春を待つ冬枯れの木とは明らかに様相を異にする立ち枯れた赤松の森を見て、私の中に「死」というものが取り憑いた。文明の代償ともいえる自然破壊の生々しい現実の前に、為す術はない。
    遠く忘れてしまった原点に立ち戻り、その場所から新たな一歩を踏み出すために、この春に芽生えた小さな希望を、私は信じたい。


    中村洋子/蓮とともに咲いてほしい -二人の母へのオマージュ-
    ここ雨引の里山。移り変わる美しい風景がとても好きだ。1400m2の沼と接するなだらかな森。この沼との出会いは忘れられない。その出会いをメッシュによる浮遊体と筏、そしてターポリンで作った大きな葉っぱ -蓮を見立てたものだが- それらで沼の水の力、風の動き、浮かす力を造形にさそいこんでみたいと思っている。


    金鉉淑/between-064
    漂う場の気配が私を誘う。
    ココでゆっくりと、
    みつめる時間がホシイと。


    齋藤徹/天壌 2006-in the other side of a door
    昨年6月に、トリノでの木彫シンポジウムに参加したことがきっかけになってしまったのか、今回木と石の複合で作っています。
    およそ17年ぶりのことです。アトリエに楠のニオイが広がり、大好きなエンジンチェンソーの音が響き至福の時間が暫し続きました。
    そして今、迫る搬入日に怯え、己の影法師を捕まえようとするの子供の如く、完成に向かって必死の日々です。さていかになる事やら。


    中村ミナト/green of green
    鳥居をとおると鎮守の杜があり、細い参道脇の開けたところに、鎮守の彫刻があります。


    安田正子/植物のかたち-O MA ME-
    ずっとアトリエの奥で横たわっていた欅です。根元に抱きこまれた岩石は、成長のエネルギーでバリバリと砕けていました。かたちを探りおこす日々、いつしか豆が弾けて根をおろすというイメージに展開しました。


    平野米三/小悪魔の棲む杜
    日頃、鉄の丸棒で幾何学形態の多面体を作り、それらを切ったり付けたり、と子供が積み木で遊ぶように彫刻を造っています。今回はいたずらっぽくも罪のないユーモラスな形を選んでみました。これらを青木神社の参道に置くことで、題名の「小悪魔の棲む杜」を感じ取っていただけたら幸いです。


    槇 渉/気の杜
    青木神社の清閑な場に立った時、この杜と社の調和と交響の中で私(石)も係わりたいという思いを強くした。そして立木の一本を石で囲むことが自然に思えた。それは生命を構成するものは何かを啓示してくれそうな気がする、でもそのものをまたもので説明する事ができない根元的な単元が存在するのではと思いながら。


    山本糾/JARDIN
    カメラに捕らえられた光景はシャッターによって切断され現実界から瞬時に死の領域に移行する。我々の世界と平行に、写真が発明されてから現在までに撮られた総ての写真によって作られた世界があり写真を見る人は崩壊の予感とともに死の領域であるその平行世界を覗き見ることになる。それはゆるやかな死のレッスンだ。


    岡本敦生/遠い水
    塀で囲まれた宅地空間に、梅の木と柿の木が生きている。今は水の出ない水道管一本が、汲上げポンプの側で枯れ枝の様に寂しく立っていた。そこを地下に向って掘れば、水脈に辿り着くはずなのだが私は上に向って彫ってみる事にした。失われた遠い水脈を求めて。


    金沢健一/音のかけら-無人駅にて
    殺風景な無人駅の待ち合いであった。この彫刻展の会議の為に毎月、自宅から折りたたみ自転車を担ぎこの駅で乗り降りしているが、がらんとした空間はいつも空しく声だけがよく響いた。列車を待つ数分間、この空間に必要だと感じたのは音と人の気配のようなものであった。


    菅原二郎/内側のかたち 06-1
    この作品は私が今まで追及してきた石の塊の中から形態を探していくのではなく、原材料の塊の持つ大きさを最大限に生かしつつ、その塊の中に空間を作り出していくという考えで制作しました。
     結果的には石で出来た籠状のかたちとなりました。そしてそのかたちはあるアングルからは二つの三角錐の組み合わせと感じられるような形態を目指しました。


    宮沢泉/春の石
    3月、常磐道を東へ江戸川を渡り次に利根川を渡ると突然関東平野の空も高く広々とした風景が広がった。風はまだ冷たいが日ごとに強さを増す太陽の下、地表はかすかにぬくもり地中には大きなエネルギーが充満しているようだった。


    戸田裕介/風の栞・土の眷属
    鹿島神社の裏手。草いきれの漂う崖地。足もとの柔らかな土の匂。耕作地に働く人。流れる雲。桜川の向こうに見える羽田山。様々な音が、遠くから近くから聞こえてくる。私は、折々に読み返してきたこの風景の1ページに、少しの間、彫刻を挿んでおく。


    いしばしめぐみ/七色飛行人~始まりの地~
    虹の橋を架けよう。抜けるように高く、青く澄みきった広大なこの空に。
    七色飛行人が飛び立つ軌跡はどこ迄も続く天弓となり、この地から始まる架け橋となるように。


    大槻孝之/春のヴェール
    草や木がそうであるように、人もまた春の訪れを待ち望むのだろう。昨年の春の日に感じた春の気配を形にしようと、厳しい寒さの冬を過ごしてきた。ヨシの原のここから、さらさらと春の風が吹き始めることを願って。


    山本憲一/剪定期
    春の剪定の時期から芽吹きを迎える頃の桜川市の景観には感動致します。その一方で刈り落された木や草は土に返り輪廻していくはずであるがその様子を目に見る事はできない。その後者の流れを踏まえて石の塊を剪定することでこの場所に生育する木や草の変化と流れに関わりたいと考えます。


    廣瀬光/標
    古墳の跡だという小高い林のすそに沿うように行き止まりの細い農道がある、その道の途中に空間や位置を限定するための「しるし」として作品を置いた。


  • 雨引の里と彫刻2006ドキュメント

    雨引の里と彫刻2006ドキュメント

    2004/10/14
    仮称・雨引をどうしようかな会
    *次回展について、考える会

    2004/11/14
    第1回全体会議
    *開催について意思確認 34名(保留5名)

    2005/1/14
    第2回全体会議
    *参加作家の確認、新作家の推薦
    *実行委員長の決定、会期、展覧会名、設置場所の検討

    2005/3/6
    第3回全体会議
    *展覧会名の決定「雨引の里と彫刻 2006」・英語タイトル「AMABIKI 2006」
    *設置場所の検討(羽田、青木、高森地区)

    2005/4/3
    第4回全体会議
    * 設置場所、会場ルートなどを想定しながら全員で視察
    *受付、休憩所、トイレ等の検討、会費額の決定
    会議終了後、花見会(旧雨引駅)

    2005/6/5
    第5回全体会議
    *作品設置希望場所の調整(第一候補、設置場所の重複など)
    *道路使用の希望について(まほろば公園)
    *希望場所調査表の提出(地権者確認)

    2005/7/10
    第6回全体会議
    *設置場所決定までの確認(地権者の確認、区長に協力依頼)
    *実行委員会の各担当、係りの決定
    *英文HP作成についての説明

    2005/8/7
    第7回全体会議
    *各区長への説明会、地権者への連絡
    *ポスター・チラシ等についての提案、デザイナー決定
    *メーリングリストの確認、各イベントについて討議

    2005/9/18
    第8回全体会議
    *イベントについて討議(いなかの会議、バスツアー、小品展等)

    2005/10/16
    第9回全体会議
    *市町村合併にともなう役場担当者の変更と移動について
    *小品展会場(ギャラリーせいほう)の決定
    *バスツアー、オープニングについて
    *会場ルート視察、注意箇所の確認(全長約15km、約3時間)

    2005/11/13
    第10回全体会議
    *河川敷の使用について(取水時期と重なり冠水する恐れがある)
    *休憩所(大和駅)決定
    *新作家の推薦(特例として認める)
    *バスツアー、貸し自転車、ボランティア等について討議

    2005/12/18
    第11回全体会議
    *河川敷の使用について(市役所より報告)
    *ポスター、チラシの原稿確認(記載地図、氏名)
    *小品展サブタイトル「雨引の里と彫刻 2006 プランニング展」に決定
    *助成、後援、協力、広報、ボランティア、受付け、サイン計画、プレス、コメント等各担当より報告

    2006/1/29
    第12回全体会議
    *市文化課より「2008年国民文化祭」についての提案
    *ポスターチラシ原稿確認(ポスター1000、DM6000、封筒5000、チラシ20000部)
    *受付当番表、図録用作品写真、搬入出、会場サイン等について係からの説明

    2006/3/5
    第13回全体会議
    *印刷物(ポスター、チラシ、DM等)発送準備作業
    *「作家の一言」の締め切りについて
    *看板、案内表示の制作
    *保険加入、会計報告、受付当番、会場管理、各係からの報告と説明

    2006/3/18
    会場の設営開始、作品の搬入開始

    2006/3/29
    大型クレーン(25t、8t)による作品設置

    2006/3-6
    新聞、テレビ取材、art lover、etc.

    2006/4/1
    <雨引の里と彫刻 2006 開催>
    オープニングセレモニー 15:00-(大和ふれあいセンター「シトラス」ホール)
    オープニングパーティー 16:00-(桜川市いこいの家)

    2006/4/1-6/4
    ボランティアによる休憩所「大和撫子庵」(大和駅)
    ボランティアグループ「手打ち蕎麦大好き会」による蕎麦実演販売(青木集落センター)

    2006/4/9
    第1回バスツアー 10:40-16:00
    バスツアー終了後、花見会(旧雨引駅)

    2006/4/24-28
    関連企画「雨引の里から」(雨引の里と彫刻 2006 プランニング展)
    (ギャラリーせいほう/東京・銀座)

    2006/5/21
    第2回バスツアー 10:40-16:00 バス2台

    2006/6/4
    第14回全体会議
    *市文化課より「2008年国民文化祭」への参加要請、討議
    *図録内容について(写真、レイアウト、コメント、挨拶文)確認
    *搬出、ポスター、案内表示の撤去について、保険の適用期間の確認
    <雨引の里と彫刻 2006 終了> 感謝会、打ち上げ会(福祉センターあまびき)

    2006/6/5-
    会場の撤去、作品の搬出開始、図録編集開始

    2006/8/6
    第15回全体会議
    *図録確認と校正

    2006/9/17
    第16回全体会議
    *図録発送準備、発送

    雨引の里と彫刻 2006 実行委員会構成
    2004年10月に旧5回展作家が集まって「仮称・雨引をどうしようかな会」を開き、次回展の有無について考える事から出発した。
    第5回展(2003年)までは旧大和村でビエンナーレ(隔年開催)開催としていたのだが、2005年10月に旧大和村・旧真壁町・旧岩瀬町が合併し、新生「桜川市」が誕生した事と相まって、前回展から中2年置いての開催となった。展覧会名も「第○回 雨引の里と彫刻 / the ○th AMABIKI village and Sculpture」を改め「雨引の里と彫刻 2006 / AMABIKI 2006」とした。
    企画・実行・運営は、今までの実行委員方式を踏襲して、参加作家44名がそれぞれの実行運営委員となって、展覧会の企画・実行・運営を行った。ほぼ毎月開催する委員全体会議(参加作家全体会議)が決定決議機関として、旧大和村・企画課、桜川市・商工観光課・文化振興課の協力を得ながら、展覧会に向けて議論を深めていった。

    実行委員 参加作家 43作家+1グループ
    実行委員会・係りの構成:
    実行委員長/事務局/会計/司会/書記/広報/助成金/プレス/ホームページ/ポスターチラシ図録/会場/搬入出/サイン計画設置/キャプション/インフォメーションセンター設営/コメント/オープニング/受付け/バスツアー/ボランティア/会場管理(警備)/懇親会/小品展/写真記録/情報管理/市報担当
    以上のような作業分担のもとで、「雨引の里と彫刻 2006」は開催された。