• 実行委員会からのあいさつ

    桜の花の開花とともに始まった「雨引の里と彫刻」も、今年で11回目の展覧会となりました。1996年にこの桜川市(旧大和村)で彫刻の制作活動を続けていた7人の石彫家が、制作の現場で作品を発表したいと、里山や集落の中に作品を展示する展覧会が始まりました。翌年の2回展からは素材も形式も異なる作家達が呼びかけによって集まり、月一回の話し合いを持ちながら、一人一人が実行委員として展覧会を作っています。5回展までは「第何回雨引の里と彫刻」という展覧会の名称でしたが、第何回と展覧会の名称に付けると、回を重ねる為に展覧会を開催するような心持ちになってしまうのではないかと、名称一つについても検討を重ね決められてきました。また、今回の展覧会は前回の「雨引の里と彫刻2015りんりんロード」から3年半経ちましたが、それは月一回の会議を展覧会の決め事を検討するだけの会議ではなく、彫刻について話し合うことができる有意義な場にしようとしたことと、里山が桜の花で覆われ木々の新芽が芽吹く春の時期に、展示をしたいということがあって、展覧会の開催がこの時期になりました。春の展示は2006年以来、13年ぶりのことです。約2年間の準備会と全体会議を経て今回の展覧会が作られています。季節を変え、地区を変えながら彫刻の展示を行っているこの展覧会は、作家一人一人が彫刻家として、里山の生活の営みの中に彫刻を制作して置きたいという欲求が根本にあって成立しています。
    また今回の「雨引の里と彫刻2019」は桜川市、桜川市教育委員会の共催となりました。今日まで23年間も「雨引の里と彫刻」が継続できたことは、市長さんをはじめ市役所の職員の皆様や、地区の区長さん、地権者の方々、ボランティアの皆様の変わらぬご理解とご支援があってのことです。私たち実行委員もこの展覧会が桜川市の文化として発信していけるように努力していく所存です。特に今回は、春の繁忙期の時期にご協力いただき、ありがとうございました。

    雨引の里と彫刻実行委員会
    実行委員長
    大槻 孝之


  • 市長からのあいさつ

    桜川市は東京から70 ~ 80㎞圏の茨城県中西部に位置するまちです。三方を山並みに囲まれ、春には「西の吉野、東の桜川」と称された55万本の山桜が咲き誇り、市名の由来にもなった「桜川」が市の中央部を南北に流れるなど、緑豊かな自然環境に恵まれています。
     「雨引の里と彫刻」は本市でも特に自然豊かな旧大和地区を中心に1996年から開催され、今回で11回目となります。このような野外展覧会は全国的に見てもめずらしいもので、それを20年以上にわたって続けてくることができたのも、参加作家全員で実行委員会を組織し、自主的に運営していることはもちろんですが、展覧会に賛同し展示場所を快く提供してくださる地権者の方々、作家やたくさんの来場者をいつも温かく迎えてくれる地元の皆様など、大変多くの方のご理解、お力添えによるものと深く感謝しております。
     今回の展覧会は4月1日から6月9日までの約2か月間、美しい田園風景の広がる、阿部田、羽田、青木、高森地区を舞台に38名の作家による個性豊かな作品が展示されました。
     この季節の里山の風景は目まぐるしく、そして美しく変化していきます。桜の開花から始まり、山々は色鮮やかな萌黄色芽吹きはじめ、田には水が張られ美しく輝きます。田植えとともに辺りの風景は一変し、日ごとに緑は深くなってゆき、やがて梅雨に至ります。
     この里山の自然環境とともにその風景の中にたたずむ作品も幾重にも表情を変えてゆきます。遠くからいらっしゃる方はなかなかむずかしいかもしれませんが、こうした作品の変化を楽しむこともこの展覧会の醍醐味のひとつでありますので、今後機会がありましたら、ぜひ美しい里山の田園風景の移り変わりとともに作品をご覧になっていただけたらと思います。
     この展覧会には毎回多くの方が来場し、今回も市内、県内はもとより、日本各地、さらには外国からの来場者もあったと聞いております。またテレビや新聞等にも多数取り上げられ、桜川市としても大変喜ばしいことであります。
     次回の開催は未定とのことですが、今後とも「雨引の里と彫刻」にできうる限りの協力をしてまいりますので、近い将来また開催されることを心待ちにしております。
     結びに、「雨引の里と彫刻」のますますの発展と、皆様方のご活躍を祈念して、あいさつとさせていただきます。

    桜川市長 大塚 秀喜


  • 確かさ

    学生時代に初めて「雨引の里と彫刻」を訪れた時には、いずれ自分が参加することになるとは思ってもみなかった。それが作家として駆け出しの頃にメンバーとなり、今回で早くも4回目の出品となる。
     作家による自主運営を公然とするこの展覧会の舞台裏は、初参加当時の私にとって尋常なものではなかった。月一回の会議で繰り広げられる喧々諤々の真剣なやりとりには、格別の緊張感があった。展覧会開催に関わる全ての物事に向き合い、起こる事態に処していく。解決の道筋に予定調和は持ち込まず、面倒を承知で一から全員で話し合う。その過程で露わになるそれぞれの作家の気質。発せられた言葉の全てが、そのまま自分に返ってくるような抜き差しならない時間。私は渦中にいながらも、そこに社会の縮図を見る思いでいた。
     そうした縮図は、作家各々の人生の歩みや社会との関連の中で徐々に有り様を変えて行く。「雨引の里と彫刻」も時の流れと共に、真っ当に変化を遂げて来た。しかし、人ごとではない。ふと自身を顧みればこの縮図の一員である自分の内部に、さらに縮図があることに気付かされる。十人十色の作家達を鏡に、否応なく多様な自己が照らし出される。
     社会は分業。人は各々の専門を引き受け、その他を人に委ねることで初めて限られた時間で何事かを成し遂げることができる。展覧会も同様だ。作家と表現に携わるいくつかの職種が役割を分担して効果的に仕立れば足りる。
     しかし、「雨引の里と彫刻」はそれをしない。おそらく、作品制作以外の苦労を忘れて常態とするうちに、作り手として失うべきではない何かを取りこぼす可能性を、鋭敏に察知しているからだろう。大変な労力をかけて自覚し続けていることはいったい何か。それは、分業以降の歴史の中で自明となった「美術」という枠組みには求めにくい手応えのようなもの、言葉にするのは難しいが敢えて言えば「確かさ」なのかもしれない。
     ひるがえって歴史を眺めれば、これまで多様に展開してきた表現はそれぞれの「確かさ」と共に成し遂げられてきたとも言える。
    自明性への問いを掲げたり、枠組みの先端で斬新を狙う際にもそれは伴っただろう。これに対して「雨引の里と彫刻」は、風景の中に作品を置いて人に観せるという極めてシンプルな行いに専心するだけだ。だが、その過程で意義と責任の両方を受け取りながら、結果的に枠組み自体の形成過程を辿るような仕方で、表現における「確かさ」を獲得していく。
     ルートを巡り全ての作品を観る。作品は作家、観者、地域、そして社会をお互いに照射させ合う。その錯綜する反射がまた私の内部の縮図と反射する。私は内と外との変化の一時的な事情として佇んでいる。一方、作品はそんな生身の人間の機微とは無縁であるかのように、里山の暮らしの中に当たり前に存在する。それは「確かさ」を伴って観た人の記憶に残るのではないだろうか。そして、時を経る中で想起される度に解釈を更新させるに違いない。作品は思い返され、更新された分だけ作家に、ひいては観者へ新たなヴィジョンを与える。次の一歩を促しながら。

      
    参加作家 塩谷 良太