• 実行委員会からのあいさつ2022

    雨引の里と彫刻2022は令和4年10月10日(月)より12月11日(日)の2 ヶ月間開催され、参加作家33名の彫刻作品が茨城県桜川市(旧大和村)の風景の中に展示されました。前回展は2019年の春に開催しましたので、約3年半ぶりの展覧会となります。2020年の冬頃から日本でも始まったコロナウィルスによるパンデミックの為、県をまたぐ移動の制限や対面での集会や会議などが制限されました。

    雨引の里と彫刻は月一回の会議を行なって展覧会を作り上げていく会であるので、どの様に話し合いを持って展覧会の準備をしていくか苦慮するところでした。その様な中、実行委員会の若手の作家たちからweb上で会議をしてはどうかという投げかけがあり、対面とweb上での複合的な会議を持って今回展の話し合いが始まりました。
    会議を行う桜川市の大和中央公民館の使用も幾度か県外の作家達は使用ができず、このような状況では本当に展覧会が出来るかどうか、不安の中で時間が過ぎて行きました。しかし、私達は社会の状況を見ながら会議を進めて行くことを決め、何度かの準備会を行い2022年に展覧会を開催することを決定しました。

    振り返ると、1996年の第1回展から今回で12回目になります。27年間この展覧会は続き、桜川市と展覧会との関係も少しずつ変わってきました。2015年の展覧会から市との共催事業となったことや、住民の方々が展覧会に興味を持って頂ける様になったことが最も大きな変化ではないでしょうか。近所の人が散歩をしながら何度も作品を観てくれる様になりました。また、ある時小学生の男の子とおばあちゃんが自転車でルートマップをみながら作品巡りをしていました。私達が求めていたのはこういう風景を見ることだったのではないでしょうか。生活の中に少しずつ美術が入ってきているような気がします。続けて行くことの大切さを実感しました。この様な展覧会に育ってきたことは、市の支援はもとより住民の方々のご理解とご協力のおかげであると思います。

    私達作家一人一人が彫刻と真摯に向き合い、この雨引の里と彫刻を通して桜川市の文化の一助となるように良い展覧会を作っていきたいと考えています。

    最後になりましたが、今回の展覧会会場となった本木1区、西方、大曽根、東飯田、阿部田の区長さん、地権者の方々、ボランティアの方々と地域の皆様のご協力に感謝申し上げます。

    雨引の里と彫刻実行委員会実行委員長
    大槻 孝之


  • 市長からのあいさつ

    この度「雨引の里と彫刻2022」の開催を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。
    桜川市は東京から70 ~ 80㎞圏の茨城県中西部に位置するまちで、三方を山並みに囲まれ、春には55万本もの山桜が咲き誇る美しさから「西の吉野、東の桜川」と称され、市名の由来にもなった「桜川」が市の中央部を南北に流れるなど、緑豊かな自然環境に恵まれた土地です。
    「雨引の里と彫刻」は、1996年から定期的に開催され、今回で12回目を迎えました。10月10日から12月11日の2カ月にわたり、大和ふれあいセンターシトラスから始まり旧大和村の南東側に位置する本木1区、大曽根、東飯田、西方、阿部田地区の各所に33名の作家によって石材や木材、鉄、布など様々な材料を用いて制作された素晴らしい作品が展示されました。
    作品をゆったりと鑑賞するには穏やかなシーズンとなり、サイクリングやハイキングをしながら作品を巡り、里山の自然を感じながら、山々の情景の変化にあわせて作品の表情が変わっていく様子も感じられたのではないでしょうか。
    開催する度にテレビや新聞などに取り上げられ、来場者も回を重ねるにつれ多くなってまいりました。この展覧会を楽しみにするお声を聞くことも多々あり、桜川市にとって大変期待の大きいイベントとなっております。
    2020年の冬頃から新型コロナウイルス感染症の感染が拡大し、不安と混乱が続くなかで、今まで通りにイベントを実施するのは難しいと思いましたが、作家の皆様をはじめ、多くの方々の協力や応援を得て、無事この展覧会が開催できましたことは心からの喜びです。また、開催に際しまして、展示場所を快く提供してくださった地権者の方々、作家やたくさんの来場者を温かく迎えてくださいました地元の皆様など、大変多くの方々のご理解、お力添えによるものと深く感謝申し上げます。
    結びに、「雨引の里と彫刻」のますますのご発展と、関係者並びに皆様方のさらなるご活躍をご祈念申し上げ、あいさつとさせていただきます。

    桜川市長
    大塚 秀喜


  • 自然との会話

    私が初めて雨引を訪れたのは、筑波大学芸術専門学群の美術学生だった2008年のことでした。雨引は茨城県桜川市にあります。その日は、夏のような暑さでしたが美しい晩秋の日でした。空はまるでコンスタブルが描いたかのように雲が飛んでおり、緑豊かな草、木々、森によって様々な緑に囲まれた風景が広がっていました。
    まるで新しい経験の様に感じました。アート作品は美術館や屋内に展示されるものと思われています。彫刻のようなパブリックアートである可能性もありますが。しかし、作品を屋外の田んぼや自然空間の様な場所で、短期間(わずか数か月以内)展示し、その後、それらを撤去または破壊されてしまうのに、なぜその様な事をするのでしょうか?なぜそのように短命のアートワークやプロジェクトにエネルギーを浪費するのでしょうか?天候によって変形していき、構造部分を露呈する作品を展示する目的は何でしょうか?何よりも、そのような作品は、メインストリームカルチャーの性格とはやや対照的なのです。例えば、作品を簡単に移動したり、アートギャラリーや美術館に収蔵されることは容易ではありません。その様な作品がコレクターの興味を引くことも難しいのです。展覧会が終わったら、スタジオに戻すか、どこかに保管しなければならないのです。
    その日、私たちが美しい自然の中を歩き回っていると、作品が1つ、そしてまた1つと、多くの場所で現れてきたのです。それは、都市部、農村部、森をつなげるもので、その場の自然との調和を再作成するものでした。美術館に行くのとは全く異なっていました。そこでは風を感じることができ、私の周りにいる鳥や虫の声が聞こえ、緑の匂いがしました。そして、私はアート作品についてとても多くの異なる見方をするようになりました。その見方の1つ1つに異なる物語があったのです。
    この様に私は、環境アート、ランドアート、そして自然の大切な点を理解し始めました。もちろん、自然は風景画にみられるように常に芸術的表現の一部でした。しかし、1960年代末から1970年代の初めまでに、ランドアートは自然とのより親密な関係を育み、作品を「フレーミング」するというルールを打ち破りました。アート作品は、単一の視点や焦点なしに、感じるもの、経験するものになりました。ランドアートには多数の視点や観点があり、例えて言えば、1枚のスナップ写真でとらえるのは難しいのです。作品を感じて理解するには、内外を問わず自らがその場に居なければならないのです。_
    私は2018年から「雨引の里と彫刻」のメンバーになりました。コロナパンデミックが世界中に広がって約3年ですが、今年は強い希望を持って、次回展覧会の計画を本格的に開始しました。この展示会を計画するには多くの労力を要します。参加アーティストは、展覧会の詳細について話し合うため毎月集まりますが、この会議では詳細決定を行うだけではありません。各メンバーは、単に作品を作成するだけでなく、展示場所の使用許可を取得し、展示会の鑑賞ルートを計画し、カタログや案内用チラシをデザインし、看板を設置する必要があります。もちろん、財政面も忘れることはできません。
    アートグループに属し、意見や疑問を共有することは、アーティストの個人の成長にとっても常に重要です。私にとって、他の雨引メンバーとこういった意見交換をする事はとても有意義なことでした。
    作品の制作を始める時は、分からない事だらけです。作りたい作品の展示に合う場所を探したり、場所で作る作品を考えたり、スペースに合わせて計画を調整したり。この様なプレッシャーの下で、全ての参加アーティストは、限られた時間で作品を完成させなければなりません。これはまた、「雨引の里と彫刻」メンバー間に、一緒に働く大家族のような、何か一体感を与えます。しかし、それぞれの作品には独自の魂と個性があり、創造の過程では常にアーティストの自己の一部が作品に取り込まれるのです。アートの表現には無数の顔があります。ある作品は、自然の中に浮かんで風景の一部になります。他の作品は、景色と全く関係のない色や素材を使用しながらも、風景の一部となるのです。
    アート作品は、周囲の光と影につながり戯れて、その場所をとても繊細な景色にします。鑑賞者の皆さん、ルートをたどって全ての作品を観て下さい。最終的に、必ず、皆さん独自の考えを持ち、何かを感じて家に帰ってもらえるでしょう。そうする事によって、我々はパンデミックの混乱の中にあっても、ささやかな希望の光を共有できるのではないでしょうか。

    参加作家 ゼレナク シャンドル